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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年5月22日木曜日

2014年5月22日木曜日19:57
こんにちはエムです。


去る418日。石巻市雄勝町桑浜に鎮座する「白銀神社」(しろがねじんじゃ)の春季例祭が開かれました。
例祭では国指定重要無形文化財「雄勝法印神楽」の奉納も行われ、会場となった桑浜と羽板両地区は1日華やぎました。


わたくしエムはこの日、仙台市青葉区八幡に鎮座する「国宝 大崎八幡宮」が企画した東日本大震災復興支援 沿岸部神社再建事業視察研修旅行 に同行し、雄勝町の伝統的な例祭と法印神楽の様子を初めて拝見することができました。

この視察研修旅行については2回に分けてご紹介しております。

5月7日付「大崎八幡宮〜復興支援・視察旅行[行程編]」
5月11日付「大崎八幡宮〜復興支援・視察旅行[出会い編]」

ーーーー「白銀神社 春季例祭」ーーーー

東日本大震災では雄勝町全体で、建物の約80%が壊滅的な被害を受けました。
ワカメやホタテ貝などの養殖業が盛んな桑浜・羽板両地区は、震災前には約70軒ありましたが、現在は約50軒に減っています。

「神社の再建が地域の復興につながる」と大崎八幡宮の小野目博昭宮司が信念を持って行っている「被災神社復興支援活動」。その言葉通りのことがこの日の例祭で起きていました。
震災の影響でこの地区を離れていた住民も集まり、お祭りに参加しているという情報が届いたのです。

迫力満点の神輿渡御

雄勝町の祭りには昔から雄勝町の住民が協力して神輿を担ぎ、神楽を伝承してきた歴史があります。
この日神輿を担ぐのは地元住民と応援に駆けつけたボランティアの方々です。
神社があり、祭りを行うことによって人が集まり、地元や他の地域に関係なく人と人をつなぐ “絆” が生まれていました。
地域の復興はこうしてつながってゆくのだと、目に見える形で教えられた出来事でした。


神輿は町内の家々を巡り港で海上安全祈願の御祈祷を終えた後、私たちの待つ広場に入って来ました。
震災前は港のそばの宮守(みやもり)と呼ばれる旧家で神事が行われていたとのことですが、そこは被災してしまい、現在は少し高台にある、この「老人憩いの家」の広場で行われているのです。

ところで初めて目の当たりにした雄勝町の例祭ですが、神輿渡御の迫力に圧倒され言葉を失いました。

「ヨーサイド! チョーサイド!」という掛け声とともに内側、外側、内側と3回傾かせ
ワーッ!! っと右回りで走る。それを数回繰り返す

 
「ワーーッ!! 」と走る神輿。疲れた担ぎ手は交代するが、まさに体力勝負です。
目指すは神輿を納める台
台の前では、そろそろ台に乗せたい担ぎ手と、もう少しやれという男衆の力のせめぎ合いが何度か繰り返されました。
もう限界なのでは……と見えてからさらに繰り返すこと数回。
しかし、もっと長くやる年もあるそうです。

やっと台に納まるようです。
しかし、このタイミングを外すとまたやり直しらしい

神輿が台に納まり一同ホッとした瞬間
この御神輿は、海面から約25m高い白銀岬に鎮座する「白銀神社」に収蔵されていたため津波の被害はなく、少しの破損で済んだのだそうです。
修復を終えた後、震災の翌年には例祭を再開しました。

祭りにかける思いと情熱が伝わり、見ている私たちも元気になる神輿渡御でした。


ーーーー国指定重要無形民族文化財ーーーー
「雄勝法印神楽」

600年以上も昔から舞われてきたという歴史がある「雄勝法印神楽」は、羽黒派の山伏・修験者たちが一子相伝で舞い伝えてきたことから名前に「法印」と言葉が残っており、もともとの内容は祈祷色の強いものだったということです。
しかし明治に入って施行された神仏分離令により、往古のままでは舞うことができなくなったため、演目を日本書紀や古事記を題材とした内容に改め、仏教用語などを除いて作り直されたました。
かつては33番あった演目ですが、雄勝法印神楽保存会により現在は28番が継承されています。

台に納まった神輿の前に神楽の舞台がありました。
それは神様の御前で行う「神事」を意味します

さて舞台では神楽に先立ち「湯立ての神事」が始まりました。
加持祈祷を行い「ニエ湯」を湯笹で払って舞台や広場に集まった氏子、私たち衆人が祓い清められます。

昼神楽で最初の演目「初矢」

その後いよいよ神楽が始まるのですが、行われるのが昼か夜かで、最初に舞われる演目が違うようです。
昼神楽では「初矢」(しょや)が舞われました。
これは天御中主尊(アメノミナカヌシノミコト)による、天地創造の舞。

続いて「四天」。東西南北、または春夏秋冬を意味する
日本の自然界を司る4人の神様の舞

「岩戸開」。最も重要で必ず舞うことになっている演目。
天照大神が天の岩屋に身を隠す、ご存じ「天の岩戸」の物語

「五矢」。天照大神に反抗して
高天原を追い出されたスサノオノミコトの物語
時間の都合で、私たちはこの4つの演目を鑑賞しましたが、神楽はまだまだ続いていました。

このように震災から3年が過ぎた今でこそ、華やかで幽玄な神楽の舞台が伸びやかに行われていますが、東日本大震災では神楽面や装束などの全てが流され、失われてしまったのです。

そんな失意の中、音響を担う2つの太鼓の1つが、海を隔てた金華山で見つかりました。
流れ着いた先は「金華山黄金山神社」が鎮座する浜でした。
「白銀神社」と「金華山黄金山神社」は祀っている御祭神は同じ。「神縁」と言うべき不思議な巡り合わせであったそうです。

神楽面、衣装、小道具、舞台など全ての物が震災後復元されました

他の地域から寄せられた写真を資料に、保存会の会員の立ち会いの元、
何回かの削り直しを経て全ての神楽面がよみがえりました

当時、住民のほとんどが数カ所の仮設住宅に離れて住み、町の復興のめども立たない平成23年の6月、地元の方々の思いや願いを受け、日本ユネスコ協会連盟文化復興支援を中心とした法印神楽を復活させる活動が始まりました。

まず関係者総出で物品の調達に奔走したそうです。
そして数々の試練や試行錯誤の末に1つ1つ道具をそろえてゆき、何と同年10月、神奈川県鎌倉市の鎌倉宮で、震災後初となる法印神楽の奉納を果たしたのです。

衣装の生地を扱っていた呉服店も流されたため
衣装作りにも苦労がありました

祭りと神楽の復活が心のよりどころであり、いかに雄勝町の地元にとって大事なものなのかを証明するような出来事だったと想像します。

〈法印神楽の音調〉
宮太鼓2基と六穴の横笛1本で構成され、強弱の変化がある調子でしっとりと優雅に舞う場面と、荒々しく豪壮に舞う場面があります。

左右の太鼓の真ん中に横笛。音色は美しく日本神話の幽玄な世界に誘います。
2人で打つ太鼓は乱れることなく同じ調子を刻みます。古来のまま正確に受け継がれてきました

他の地域の神楽に見られない特徴の1つ「石の帯」
腰にある板が「石の帯」
神楽の舞い手は女神の役も男性のみ。また、「采(ザイ)を切る」という、歌舞伎の「見得を切る」動作にも通じるような独特の動きがあります。
(采=馬の尾っぽの毛で作ったカツラのようなもの)
そういった形態や動作、伝統的な衣装などを見ても、能や歌舞伎の元となったのは神楽ではないかと、保存会副会長の伊藤博夫さんは言います。

日本の宝と言えるこのような伝統ある文化を考える時、大崎八幡宮の小野目宮司が言った言葉を思わずにおられません。

「『民俗芸能』『伝統芸能』というものはそもそも神社の前で行ってきたものです。
神様の前だからこそ意味があるのであって、そこには魂が込められます。
大きなホールや舞台などで行うのは単なる演劇でしかなく、このままでは本来の意味を失ってしまうのです」

震災などで、大事なものが阻まれることのないよう、私たち全体の問題として考え、守っていかねばならないと強く感じました。

復興にはまだ幾多の問題を抱えている雄勝町ですが、こうしていつも通りの祭りが行われることがどれだけ地域の活力につながるのか、人の心の大きな支えになるのかを、身を持って体験させていただきました。

雄勝町の皆さんが納得できる復興が1日も早く成されることを願って止みません。

雄勝法印神楽の詳しい内容は
「法印神楽な奴」で知ることができます。
http://www.geocities.jp/hoinkagura/

また、震災からの復興の様子は「法印神楽な奴」の中の「復興の軌跡」に記されています。





(取材日 平成26年4月18日)