header

宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

ヘッダー写真説明文

写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年5月30日金曜日

2014年5月30日金曜日20:01
こんにちは、ザーリャです。

前回は 東北大学災害科学国際研究所蝦名 裕一助教 に、資料保全の取り組みについてお話をお伺いしました。

「古文書は残された。大津波からの歴史資料の救出~慶長奥州地震津波[前編](仙台市)」

http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_28.html


今回は全3回の中編として、慶長奥州地震・津波についての最新の研究成果のお話です。
蝦名さんの文献の再検討によって、さまざまな新しい事実が浮かび上がってきました。
-----------------------------------------------------------------------

津波の記録の検証

「慶長三陸津波」という表記は、おかしい
蝦名さんは慶長16年(西暦1611)に発生した地震を、「慶長奥州地震津波」と呼んでいます。
慶長の地震津波の名称は、長い間「慶長三陸地震津波」と呼ばれてきました。しかし、蝦名さんはこの名称の使用に疑問を持っていたといいます。

「まず、『三陸』という言葉が、明治以降に成立した新しい言葉です。これを江戸時代初期の出来事に用いるということは、例えるなら、水戸黄門が『助さん、格さん、今がチャンスです!』というのと同じぐらいおかしいことです。それに加え、相馬藩まで被害がありましたから、被災した地域を示す名称としても適切ではありません。

また最近、相馬市が実施している相馬市史編さん事業の調査で、慶長奥州地震津波に関わる新しい史料が発見されました。それには 「奥州筋生波(ツナミ)」と記されています。つまり、当時の人たちも「奥州で津波が起こった」と把握している。これらのことを考えても、「慶 長奥州地震津波」というのがもっとも適切だと考えています。」

誤った名称の普及が、人々に誤ったイメージを定着させます。そのことが、災害発生時に被害を拡大する可能性があると、蝦名さんは防災の観点からも警鐘を鳴らします。

「震災前に『仙台平野に三陸津波が来るよ!』、といっても、ピンとこないわけですよね。『三陸って、岩手県の方の事だよね(わたしたちの地域は大丈夫だろう)。』と、人はそう思ってしまうわけです。

一般の人々に訴えかける言葉として考えたときに、言葉の持つ重みというものを考えなくてはなりません。そこから変えていって、さらに津波像というものも再検討しようというのが、今回の私の研究のスタートになりました。」

津波の記録を読み直す
実は、慶長奥州地震津波に関する歴史記録は、もともと把握されていたものだけでも、かなりの数が確認されていたそうです。

「北海道から福島県まで太平洋沿岸地域には多くの記録が残っています。仙台藩領ではスペイン人探検家のビスカイノの記録、政宗の家臣である真山家の記録、千貫山に津波が到達した記録などがあります。江戸に滞在していた公家の日記にも、「この日、江戸で大地震があった、翌日まで余震が続いた。」と記されています。歴史資料から見れば東日本大震災と同じぐらい、江戸まで大きく揺れる地震があったことは確かなのです。」

これだけあった先人の記録が、なぜあまり知られてこなかったのでしょうか。

「従来の研究では「ビスカイノや政宗の記録は怪しい」、「仙台以南の被害は疑わしい」という評価があったのです。このような慶長奥州地震津波の記録に対する、懐疑的な見方が広がっていました。そのことが、東日本大震災までの地震津波研究に影響を及ぼしています。」
「震災前は明治時代以降の津波研究が中心でした」 と語る蝦名さん
矛盾のない『ビスカイノ報告』
蝦名さんは、信憑性が低いとされてきた慶長奥州地震津波の記述について、ひとつひとつ再検証を試みていきます。その中のひとつに、地震の発生当時、仙台藩領で測量を行っていたスペイン人探検家セバスティアン・ビスカイノの記録があります。しかしこれまでは、この資料にはかなりの誇張が含まれるという研究者もいました。

「ビスカイノが津波に遭遇した場所というのは、今の大船渡市内から越喜来(おきらい)にいくあたりでした。ビスカイノは越喜来に到着する前に、人々が山の方に逃げてゆく姿を目にします。記録によれば『その後に、海水が三度にわたって満ち引きをし、村の人々は人命や財産を失った。津波の後、越喜来の村落に到着したが、被害を逃れた家で我々は歓迎を受けた』、そんな内容を述べています。

従来の見方では、津波で混乱している集落の中で、『歓迎される』というのは全く不自然である、だからビスカイノの話は嘘だ、と言うわけですね。しかし、検証を進めてゆくと、越喜来で慶長のころから代々肝入(きもいり)を務めた家は高台に家があって、今回の津波でも被害が及んでないことがわかりました。

ビスカイノの一行を接待したのは、当時の政宗の命によるものです。おそらく肝入の家ではすでに準備をしていた訳ですね。高台で津波の被害もなかったので、ここでビスカイノ達がご飯を食べさせてもらったり、補給を受けることは全く不自然ではありません。

政宗が家康に話した「千貫松」の検証
徳川家康の周辺情報を記したものに、『駿府記』または『駿府政治録』というものがあります。その中の記述に、政宗が家康に報告した慶長奥州地震津波の様相が記されています。しかし、その内容はビスカイノ報告と同様に、政宗の創作と言われてきました。政宗は、家康に作り話をしたというのでしょうか?蝦名さんは資料からその事実を読み解きます。
 かつて松林が広がっていた 千貫山
「政宗が家臣に魚捕りを命じたら、彼らは津波に遭遇してしてしまい、流されてある山の上に打ち上げられた。そこの松の木に船をつないだら、これが『千貫松』と言われる場所であった、そういう内容の資料です。千貫山というのは標高190mぐらいですから、この山頂まで津波が来たかというと、そんなことは普通に考えておかしい。だから信用できない、政宗の創作であろうと言われています。
これについて、千貫山を記した絵図を検証すると、松林が山頂からふもとまで続いているのがわかります。つまり千貫山の『千貫松』というのは『千貫山の山頂』ではなくて、『千貫山の松林』を指していると考えるべきです。

現在の千貫山は海から7~8キロ内陸ですから、普通に津波が押し寄せたとは考えにくいのですが、実は昔の地形は今とだいぶ違います。今は無くなってしまった阿武隈川の河道が、千貫山の近くまで延びていたのです。つまり、慶長の津波が河川遡上して、千貫松付近まで到達したということが考えられます。」

東日本大震災では、河川遡上した津波が内陸で甚大な被害をもたらしています。北上川では津波が50㎞も遡上した例が報告されています。

確認された津波の痕跡
また、千貫山がある岩沼市の内陸まで津波が到達したことを示す痕跡が、昨年の岩沼市教育委員会による発掘調査で見つかりました。なぜこれらの津波の痕跡が、いままで見つからなかったのか。蝦名さんは仙台藩の新田開発と無関係ではないと言います。

「去年、岩沼市教育委員会が 岩沼市下野郷新菱沼 で実施した発掘調査で、慶長奥州地震津波によって運ばれたと思われる砂の層を確認しました。この物証が出たことによって、貞観(じょうがん)、慶長それから平成と、三度の巨大津波が岩沼市付近に到達していたことがわかりました。

この津波が残した大量の砂は、本来は地表一面に覆っていたはずです。しかし、その後の仙台藩の開墾や耕作によって、ほとんどが無 くなってしまった。それだけ、仙台藩が津波被災地域で盛んに新田開発を行っていたと言えます。幸いなことに新菱沼で発見された地層では、その痕跡がしっかり残っていました。今後、この地層については様々な研究視角から調査がされることになります。そうなれば、 さらにいろいろなことが分かるでしょう。」
津波による堆積が見つかった、新菱沼の津波堆積物地層
(写真提供:岩沼市教育委員会)
---------------------------------------------------------------------------

震災が発生してから、学会でも学際的な取り組みが進み、文理連携の調査が新しい成果を上げています。お互いの調査結果を補完しあうことによって、それまで文献だけでは確認できなかった事実が、科学調査からも判断できるようになってきました。
東北大学災害科学研究所の取り組みはその代表的なものです。
蝦名さんも、歴史資料に基づいたGPS測量と数値計算から、慶長奥州地震津波のシミュレーションを行っています。
津波の真の姿はこれからさらに正確に判明しそうです。

最終回となる後編では、文献の再検討によって浮かび上がる、政宗と仙台藩の復興への取り組みについてご紹介します。

2014年6月18日 水曜日
古文書は残された。伊達政宗と仙台藩の復興~慶長奥州地震津波[後編](仙台市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/blog-post_6283.html

※本文中で使用した写真については、岩沼市教育委員会より使用許可をいただいています。


(取材日 平成24年4月30日)