header

宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

ヘッダー写真説明文

写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年5月28日水曜日

2014年5月28日水曜日11:00
こんにちは、ザーリャです。

皆さんは、400年前の「奥州」(現在の東北地方)で、今回の東日本大震災に匹敵する大地震と津波があったことをご存じでしょうか。
先人は、その経験を後世の私たちに伝えるために、実は多くの記録を残しています。

なぜ、その記録が私たちに届くことがなかったのでしょうか。
なぜ、私たちは記録に手を伸ばさなかったのでしょうか。
その理由を考える必要があります。

震災後、「正常化の偏見」という言葉をよく耳にするようになりました。危険が迫ることを認識しても、人間には危険を無視する心理が働くというものです。私たちは無意識のうちに、知るべき情報を「正常化の偏見」という“ふるい”にかけて、都合の良いものだけを取捨選択していたのかもしれません。

「嘘や誇張があるのではないか?」。そんな偏見や先入観に惑わされず、あるがままに古文書の記録を受けとめたときに、私たちには何が見えてくるのでしょう。先人たちは、私たちに何を伝えようとして記録を残したのでしょうか。
伊達政宗や川村孫兵衛は、破壊された被災地に立ったとき、何を思ったのでしょうか。

それを知るために、私は仙台市の青葉山にある東北大学の川内キャンパスを訪れました。

-------------------------------------------------------------------------------

お話をお伺いしたのは、東北大学災害科学研究所で歴史資料保存研究分野の研究を行っている
蝦名裕一助教です。

蝦名さんは東日本大震災の発生以前より、現在はNPO法人である「宮城歴史資料保全ネットワーク」(理事長:平川新 宮城学院女子大学学長)を通じて、歴史資料の保全活動の最前線に立ってきました。現在は400年前に起こった慶長奥州地震津波の姿を、歴史学の視点から検証されています。

「震災によって、一般的だった多くの認識が変わりました」
そう語る 蝦名 裕一 助教
「ちょうど良い時にいらっしゃいましたね。パソコンで作った新しい資料もあるんです」
私がお伺いした2日前に、千葉県にある国立歴史民俗博物館で慶長奥州地震津波の講演をされてきたとのこと。
その時の最新の成果がまとめられた資料を拝見しながら、お話を伺いました。

なぜ歴史資料が重要なのか
東日本大震災が起こったことで、歴史資料に対する注目が高まっています。古文書などの歴史資料を分析することが、防災や減災にどうして役立つのでしょうか?


「私は今回の東日本大震災と同規模の大地震と津波が、400年前にもあったと考えています。つまり、低い頻度で発生する低頻度巨大災害を考えるためには、数百年、数千年といった長い歴史の中で、災害を調べなければなりません。日本で最古の紙は約1000年前のものです。したがって、歴史学、古文書からの研究は1000年ぐらいの災害の歴史がカバーできる有力な素材として、東日本大震災の発生以降注目を集めているのです。」

類いまれな日本の文書文化
そもそも、古文書には何が書かれているのでしょうか。なぜ普通のお宅の土蔵に保管されているのでしょうか。古文書に馴染みのない私たちにとっては、その内容の想像がなかなかつきません。記録ということは、日記のようなものを思い浮かべますが・・・?
蔵の中の様子。古文書は村の記録である(写真提供:宮城資料ネット)


蝦名さんは、地震で被害を受けた土蔵の写真を見せてくだいました。散乱する土蔵の中の長持(ながもち)には大量の古文書が縛られて入っています。「安政三年」と年号が確認できるものも見えます。

「東北の場合は、庄屋や名主である『肝入(きもいり)』や村役人が中心になって、それぞれの村々で民政が行われていました。そのさまざまな記録が古文書として残っているのです。江戸時代以降、爆発的に識字率が上がってきますから、日本における識字率や行政能力の高さを示す資料であるとも言えます」


「歴史資料の現状ですが、文化財指定になっているものはごくごく一部で、多くの書類はたいていは旧家の土蔵に眠っている状態がほとんどです。実際に蔵の中に入ってみると、長持に入った大量の古文書が、無造作に埃をかぶって置かれているようなことが多くあります。また、襖(ふすま)の下張に使わなくなった文書が貼られて残されていることもあります。一般の家に多くの古文書が残されている、これは世界にも類を見ない日本の文書文化(もんじょぶんか)であると言っていいと思います」
襖の下から現れた古文書 (写真提供:宮城資料ネット)
蝦名さんは、それを示す興味深い話をしてくださいました。

「アメリカの研究者が、1700年に北米西海岸で発生したカスケード地震の記録を探して、わざわざ日本に来た時のことです。アメリカには一切記録がなかったんですね。そうすると日本の岩手県や静岡県に残されていた古文書に、地震も無いのに押し寄せた異常な津波(『みなしご元禄津波』)として、記録されていたのです。

それによって地震発生の正確な日時まで特定できたのです。実はアメリカ西海岸で起きた遠地津波だったのですね。そのアメリカの研究者は、『日本にはこんなに記録があるのか』と言って驚いている。日本にはそのように、類いまれな文書文化があるのです」

日本に残された記録は、質・量ともに、世界でも抜きんでている。この意外なお話には、私も驚きました。

日本の古文書はもはや日本だけの記録ではなく、人類にとっても貴重な記録だと言えそうです。


◆NPO宮城歴史資料保全ネットワークの設立と保全活動
ただ、こうして残ってきた歴史史料も個人の所有物であるため、世代交代や改築に伴って処分されるという現実があります。また今回の東日本大震災のように、天災によって一瞬にして失われることもあります。資料の保全活動は、実際にどのように行われているのでしょうか?


「わたしたちがそのことを強く認識することになったのが、2003年の宮城県北部連続地震でした。地震の発生後、歴史研究者と学生で歴史資料のレスキューのために現地に入ったのです。ところが、作業に時間がかかったこともあって、現場に到着する前に『もう捨ててしまったよ』というケースが多かったのです」

これではいけないということで設立されたのが、「NPO宮城歴史資料保全ネットワーク」(以下、「宮城資料ネット」)でした。近い将来に高い確率で起こる宮城県沖地震への備えという意味もありました。蝦名さんは当時まだ学生でしたが、その活動に深くかかわるようになったといいます。

古文書を一枚一枚撮影する (写真提供:宮城資料ネット)
「宮城資料ネットとしては災害発生の前から歴史資料の保全活動を行うという形で始めていきました。最初は沿岸地域の資料調査を行いましたが、2008年に宮城岩手内陸地震が発生します。

宮城資料ネットは地震発生当日には対処リストを作成し、それを元に現地での資料調査を行いました。資料の存在を確認すると、現場でデジタルカメラを使って写真撮影を行います。こうしてデジタルで記録することで歴史情報を残すのです。

撮影を終えた原本は中性紙封筒(中性なので酸化、劣化しにくい)に入れて、所蔵者の方にお返しします。いわゆる、「宮城方式」と言われる資料保全のモデルです。所蔵者との信頼関係を損なわないこの方式が、全国にも広がりつつあります」

資料を持ち帰らず、その場で写真を撮って所蔵者へ返却する「宮城方式」。蝦名さんはその理由をこう話します。

「資料の分析をするときには、写真を見ればいいのです。写真だから、原本を痛めることもありません。なによりも、これらの古文書は個人の歴史でもありますが、同時に地域の歴史でもあります。できるだけ地域に残るような形が、より好ましいと考えています」

東日本大震災の発生
そして、2011年に東日本大震災が発生しました。
組織を構成している大学の事務局そのものも被災し、大きな被害が出ました。震災前には数多くの古文書の存在も確認されていた沿岸部も、集落は津波にのまれ、瓦礫しか残っていない状態になっていました。

「資料が残っていても、津波をかぶってしまったものはカビが生えてしまったり、泥や汚水で傷んでいました。文化財として、たいへん危機的な状況です。また、建造物への被害も甚大だったために、解体される家屋も多かったのです。資料の保管場所がなくなると、古文書も廃棄してしまう。歴史資料にとって多くの危機的な状況が一度に現れたのが、東日本大震災の特徴でした」
津波により被害を受けた古文書(写真提供:宮城資料ネット)
被災資料の保全活動
東日本大震災以降、宮城資料ネットでは、危機に瀕した歴史資料のレスキューに当たりました。HPでは、現在の取り組みと合わせて、当時の緊迫した被災地の文化財の報告を見ることができます。

宮城歴史資料保全ネットワーク
http://www.miyagi-shiryounet.org/

「東日本大震災では宮城資料ネットの保全活動だけではなくて、文化庁が全国的な組織として被災文化財等救援委員会を作りました。全国から文化財にかかわる専門職の方や博物館関係者が被災地へ入り、こうしたレスキュー事業を手伝ってくださりました。もちろん全国各地から個人の支援やボランティアもありました。日本において、官と民が一緒になって歴史資料を救出した先例になったと言えるでしょう。そういった協力関係が、今回の歴史資料のレスキューにかなり役立ったと言えます」

歴史資料の保全は「心のレスキュー」
東日本大震災以前に、宮城資料ネットでは沿岸部の古文書の写真撮影も実施していました。沿岸部では、実物資料は津波によって亡失してしまったケースもありました。その結果、宮城資料ネットで撮影していたデータだけが、唯一の資料になってしまったと蝦名さんは言います。
レスキューを行った石巻門脇の本間邸の蔵
市民の寄付によって修復保全されることになった(写真提供:斎藤秀一写真事務所)
「こういった保全活動を続けることで歴史情報を後世に残すことができます。『自衛隊は体のレスキューをするけれども、古文書を残すことは心のレスキューである』と言われたこともあります。実際に被災された方の家に行きましても、『全てが無くなりましたが、家の歴史だけは、おかげさまで残すことができました。』といっていただくこともありました。古文書を残す事、地域の歴史を守るということは、『心のレスキュー』であると考えています」

保全資料の活用
こうして守った貴重な歴史資料を、これからどのように活用してゆくのでしょうか?

「今年3月ぐらいから宮城資料ネットでは、『歴史叙述再生事業』というかたちで、地域の本を作るようにしています。今、被災地が大きく変わろうとしています。その地域の歴史を残してゆこうという取り組みです」


よみがえるふるさとの歴史 1
『荒浜湊のにぎわい 東回り海運と阿武隈川舟運の結節点』 : 井上 拓巳

よみがえるふるさとの歴史 2
『慶長奥州地震津波と復興 400年前にも大地震と大津波があった』 : 蝦名 裕一


資料の応急処置
震災が発生した2011年、蝦名さんたちは週に23度の頻度で被災地に入り作業を行っていました。現在はだいぶ状況が落ち着き、応急処置のために大学へ搬入した資料の保全作業に力を入れているそうです。
宮城資料ネットでの資料の応急措置の様子は、2012年のココロプレスでもご紹介しています。

「和紙と墨」
http://kokoropress.blogspot.jp/2011/12/blog-post_844.html

「今はレスキューしたさまざまな文書を同時並行で保全処理しています。資料が『これ以上状態が悪くならない』という状態にするのが応急措置です。今のところ、約5万点にはなると思います。作業はこれからもずっと続いていきますし、今後も建造物が解体されるようなことろが出てくれば、資料の保全をしてゆきます」

震災で傷んだ建造物の取り壊しは、現在も行われています。蝦名さんは、震災から3年を経た今でもレスキューの要請が止まることはないと言います。


「資料を解読して、歴史学研究をしたり、こうした本にすることで活用してゆく。もう少し進んでいくと、地元の資料を使って古文書教室をやったり、今度は古文書を知的財産として地域に還元してゆくことができます。古文書が地域の共有財産として活用できるようになってゆくはずです」

保全した資料の今後の活用について、蝦名さんはそう話しました。


(つづく)




続編はこちら・・・
2014年5月30日 金曜日
古文書は残された。ゆがめられた解釈 ~慶長奥州地震津波 中編~(仙台市、岩沼市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/05/blog-post_30.html

2014年6月18日 水曜日
古文書は残された。伊達政宗と仙台藩の復興~慶長奥州地震津波[後編](仙台市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/06/blog-post_6283.html

-----------------------------------------------------------------------------
次回は、最新のデータを交えて見えてきた「慶長奥州地震津波」について、引き続き東北大学の蝦名裕一助教にお話をお伺いします。

※本文中の写真は宮城歴史資料保全ネットワークよりご提供いただきました。




宮城歴史資料保全ネットワーク
http://www.miyagi-shiryounet.org/



(取材日 平成26年4月30日)