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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年4月9日水曜日

2014年4月9日水曜日22:03
石野葉穂香です。


4月に入りました。
でもまだ、少し寒いなーっていう時もあります。
手袋やマフラーを片付けてしまうのに、ちょっとためらいを感じてしまう・・・。
宮城の4月は、そこのところがちょっと難しいかもしれません。

唱歌『母さんの歌』ではありませんが〝編み物〟って、「温まってほしい」という、作り手の思いが、ダイレクトに伝わってくるものですよね。

今冬、使っていた私のマフラーも手編みです。
きっと私への思いを込めて編み上げられたもの(だと思ってます)。

今回は、少し前に取材したエピソード。

編み物を通じて自分たちの楽しみを創出しよう・・・と始めた活動が、やがて、他の被災地の方々へ、さらには世界の子どもたちにも、毛糸の温かさを届けたい! という、温かな絆を結んでいくことになった、七ヶ浜町の皆さんの活動を紹介します。

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昨年12月20日、七ヶ浜町の中央公民館で「高山外国人の方との震災報告会 七ヶ浜と海外を繋ぐ希望の支援」というイベントが行われました。

七ヶ浜町の「高山外国人避暑地」に暮らす外国人の方々と町の住民の皆さんが集って、2011年3月11日に東日本大震災が発生した時のこと、その後の日々のこと、そして外国人の方々と一緒に〝編み物〟を通じて交わしてきたあれからの日々の、さまざまな活動について語り合いました。

「高山外国人避暑地」は、海を見晴らす岬の上にあります。

サーフィンのメッカでもある七ヶ浜町小豆浜。
正面の小高い台地上に「高山外国人避暑地」があります














明治22年(1889)、当時の第二高等学校(現在の東北大学)に英語教師として赴任していたF・W・ハーレル博士と、東北学院の第二代院長だったD・B・シュネーダー博士は、七ヶ浜町の菖蒲田浜の東、小豆浜を見下ろす青松繁れる小高い丘を訪れました。
そして、この地の風光に魅了され、在仙の外国人と語らってコテージを建築しました。

これが、のちに「日本三大外国人避暑地」として、「山の軽井沢」「湖の野尻湖」と並び称されることとなった「海の高山」の始まりです。

以来、「高山」には、在仙の外国人ばかりでなく、東京や関西などに赴任してきた教師や宣教師の皆さんが、短期、あるいは長期にわたって、ここで暮らし始めることとなったのです。

七ヶ浜町は、もう125年も昔から「国際交流」が行われてきた先駆地なのです。

でも〝あの日〟、大津波は、菖蒲田海水浴場をはじめ、高山外国人避暑地のコテージ群の一部にも押し寄せました。
多くの建物は無傷でしたが、この日滞在していた6カ国8人の外国人の方は、異郷で遭遇した大災害にとまどうばかり。

左から宮地ウエンディさん、テディ・サーカさん、
通訳ボランティアの藤井拓哉さん、ティナ・サーカさん


「状況も把握できず、こういう場合のコミュニケーションの方法も分からずに、とても不安でした」
とおっしゃるのは、高山に33年暮らしているスコットランド出身の宮地・ウェンディさん。

実は、外国人の方々と七ヶ浜町ボランティアセンターの「避暑地サポーターボランティア」の皆さんとは「地震や津波が来たら、どう行動するべきか」という話し合いを、震災の1カ月前に開いたばかり。
まさかその直後にこんな大災害が起こってしまうなんて――!

春が過ぎ、町に応急仮設住宅が建ち始めたころ、オハイオ州出身の宣教師テディ・サーカさんは、仮設住宅の人たちのことが気になり始めました。
阪神淡路大震災のあと、仮設住宅に入居した人が、孤独な気持ちを抱えてしまうケースが多かった、という話を聞かされていたからです。
 
「皆サン、編み物するかな?」
テディさんは、ウエンディさんにも呼び掛け、お二人の長年の趣味でもある「編み物」を通じて、町の人たちの役に立てたら、楽しみや友だちを見つけてもらえたら・・・と考えました。そして2011年6月、七ヶ浜町ボランティアアセンターを訪ねます。
そして間もなく、『YARN  ALIVE』(ヤーン アライブ』という名の編み物クラブが立ち上げられました。

『YARN  ALIVE』の皆さんの作品のひとつ、膝掛け


YARNは毛糸、ALIVEは生きる。つまり「毛糸で生き生き」という意味。仮設住宅に暮らす年配の女性たちを支援する活動がスタートしました。
「編み物には不思議な力があります。誰かのためにすることが、自分自身の癒しにもなるのです」(テディさん)。

この活動に、共感の輪が広がって行きます。
愛知県の霜平恵美子さんは、息子さんと「被災した人たちは冬になったら寒いよね」と話し合い、2011年6月、東日本大震災の被災者に手編みの防寒具を贈ろう、と『手作りマフラーを、東北に』プロジェクトを立ち上げました。
やがて、新聞記事で『YARN  ALIVE』の活動を知り、8月にはテディさんにコンタクト。そこから、交流が始まりました。
 さらに皆さんの活動は、さまざまなメディアを通じて海外にも紹介され、世界中の人たちや毛糸会社などから、毛糸や棒針などがたくさん届けられました。


NEXCO東北さんから「絆りんご」の差し入れもありました

活動と支援の輪は、さらに広がります。
今度は、七ヶ浜の女性たちが編んだ作品が、他の被災地にも贈られることとなり、さらには「戦争も津波も同じ」と、シリアの難民の子どもたちや赤ちゃんのためにとセーターやマフラーや帽子を編むプロジェクトもスタートします。
テディさんの息子さんが、温かい作品をぎっしり詰め込んだ大きな箱をシリアへ届け、大感激されました。
メンバーのある女性は言います。
「私たちも難民みたいなもんだからサ。助け合わねぇとナ」

「知らない同士も友だちになれた」
「何かをしているっていうのがいい」
「誰かが使ってくれたら役に立ってうれしいと思える」
活動日でない日にも、編み物仲間は集まっています。


外国人避暑地の皆さん、『YARN  ALIVE』の皆さん、
そして七ヶ浜町社会福祉協議会、ボランティアの皆さんです

「報告会」では、フォトグラファーのティナ・サーカさんが撮影した震災後の町の人たちの写真のDVD上映会や、通訳ボランティアの方を交えたトークショーが行われ、二部では地元の子どもたちが海外ボランティアの方への感謝の手紙を英語で読み上げました。
来場者の皆さんも、時に感動して涙したり、時には爆笑したり。楽しい時間となりました。


英語でスピーチ。ちょっとドキドキ?

「七ヶ浜の皆さんは、素晴らしい方々ばかり。がんばっていることが、私たちにとっても励みになっています」(テディさん)
「震災後、外国人とのイベントがあったとき、渡邉町長が『どうか七ヶ浜を愛することを止めないでください(Please never stop Love shichigahama)』と言ってくださったことが、すごくうれしかった」(ウエンディさん)

テディさんは言います。
「津波なんてイヤな出来事。でも、そのあと、私たちの世界は広がりました。日本中、世界中へと繋がって行ったことが不思議。みんなで作った作品を、三陸の他の被災地にも、世界中にも届けていきたい」
女性たちは、セーターやマフラーばかりではなく、いつしか大きなネットワークを編み上げたのです。

小豆浜には、冬でもサーファーの姿が

東北の人たちがよく使う「おかげさま」「お世話さま」「お互いさま」という、昔ながらの言葉。
それは、やさしくて力強い地域力の表れでもあります。世界に通用する言葉です。

人と人との関わりがどんどんつながっていく――。
女性たちのあたたかな活動が、世界をやさしく包んでいきます。

(取材日 平成25年12月21日)