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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年4月21日月曜日

2014年4月21日月曜日19:24
石野葉穂香です。

「1963年11月22日、J・F・ケネディ大統領が暗殺された時刻、自分がどこにいたかを記憶している人は多い」――。
軍事小説やスパイ小説などを多く手がけた英国の小説家フレデリック・フォーサイスの代表作のひとつ『オデッサ・ファイル』は、この有名な一文で書き出されています。

この事件はアメリカ人にとってとてもショッキングな出来事で、今でも年配のアメリカ人の中には、ケネディが狙撃されたその瞬間、自分がどこにいて何をしていたかをはっきりと覚えているという人は多いそうです。
歴史の中には、そんなふうに、多くの人が“記憶を共有するその日”があります。


2014年3月11日午後17:00過ぎ。仙台市の青葉城址から見晴らした仙台市。
「あの日、あのとき」から〝4度目〟となる夕暮れでした



私たち日本人は、平成23年(2011)3月11日の“衝撃”を、決して忘れることはできません。

あの日、あの瞬間、あなたはどこで何をしていましたか?
そして、それからの日々をどう生きてきたでしょうか?

今年もまた、多くの方が、それぞれの思いを抱きながら「3.11」を迎えました。
県内各地で〝あの日〟を忘れないために、思いを未来へと繋いでいくために、さまざまなイベントが開催されました。

そのひとつ。仙台市中心部で行われた「希望プロジェクト2014」の模様の一部を紹介させていただきます。


献花台に添えられた「希望プロジェクト」の説明ボード


今年で3回目を迎えた「希望プロジェクト2014」。
仙台市中心部にある9つの商店街がひとつになり、東日本大震災を忘れず、手をとりあい、これからもいつまでも伝え、繋がっていこうというイベントです。


「仙台なびっく」前に設えられた献花台。
風が少し強い日でしたが、頭上には青空が広がっていました


この日は、仙台なびっく、藤崎一番町館前、東北ろっけんパーク前の3カ所に献花台が設えられ、それぞれの会場には8月に行われる「仙台七夕まつり」の七夕飾りに使うための「千羽鶴」を折るコーナーも用意されました。在仙はもちろん各地から駆けつけてくださったミュージシャンによる音楽ステージも催されました。


用意された花の中から一輪を選んで献花。
多くの方が、手を合わせてくださいました

よく晴れ渡った一日でした。でも、風は冷たく、少し強く、3年前の「あの日」の寒さを思い出してしまいます

献花台の前に足を止めて、花を捧げてくださる方もたくさんいらっしゃいました。
そして、流れてくる音楽にじっと目を閉じて聞き入る人、祈るように手を組む人。



各会場ではコンサートも行われ、
優しい音色にじっと目を閉じて聞き入る人も



〝あの日、あのとき〟自分はどこで何をしていたのだろう。
〝あれからの日々〟をどう過ごしてきたのだろう――。


藤崎一番町館前には、俳優の柴俊夫さん、松崎しげるさん、田中健さん、西田敏行さんの4人が中心となって有志の俳優仲間や著名人たち約100人の協力のもとに2011年6月に結成された復興支援プロジェクト「NEVER FORGET 東北」のブースもありました。



プロジェクトの皆さんは、被災地の人々、子どもたちを支援するために、全国各地で精力的にチャリティーイベントを行っていらっしゃいます。

この日は、俳優の柴俊夫さんが駆けつけてくださり、俳優さんや女優さんたちが自ら撮影したポートレートやスナップなどをデジタル変換して絵画作品に仕上げた「俳優たち自らが撮影した絵画展」のほか、〝革命ヴィオリニスト〟竜馬さん、そしてギタリストのyutakaさんのお二人によるコンサートも行われました。


震災前からボランティア活動を続けていらっしゃらる俳優の柴俊夫さん。
「NEVER FORGET東北」を代表して駆けつけてくださいました



竜馬さんとyutakaさん


スタイルにとらわれない、奔放なエンターテイメント。
でも優しく温かく、胸に染みてくるアコースティックな心安らぐ音。
竜馬さんは、演奏しながら泣き出してしまいました。




心をほっと温めてくれる音に、多くの人が足を止めて聞き入っていました


そして午後2時46分。
「東北太平洋沖地震」すなわち「東日本大震災」が発生した時刻、中心商店街9カ所で、黙とうが捧げられました。
雑踏は一時止まり、街は一瞬静まりかえって――。
〝あのとき〟そして〝あれからの日々〟を、誰もが静かに思い出していたはず。




「オールジャパン。『優和』。やさしく和する。こんな言葉はないのかもしれないけれど。でも、皆がもう忘れかけていますよね? でも、誰にでも起こりうるこんな出来事を忘れないで、ひとつになる心、やさしいこころを持ち続けていてほしいって思います」
そうお話しくださった、柴俊夫さんの声が、とてもやさしく柔らかでした。

「これから先、もしかしてまた日本のどこかで起こってしまうかもしれない災害のために、そのとき、私たちは何を感じて、どう行動しなければならないのか。東日本大震災という痛ましい出来事をただただ風化させてしまっていいのか」

「もう36年目になりますが、もともと子どもたち、養護施設のためのボランティアを続けていました。震災でいちばん気になったのはやっぱり子どもたちのこと。ほら、僕たち芸能人ってアドバルーンになり得ますよね? 僕らが被災地の子どもたち、もちろん大人のためにも何かお役に立てたらって。そういう思いで始めたし、もちろんこれからも長く〝継続〟していきたいと思っています」


「優和」--ひとつになるやさしい心。
震災の記憶が薄らいでいくのは、もしかしたら仕方のないことかもしれないけれど、
〝やさしい気持ち〟だけは、誰もがずっと持ち続けることができるはず。
その心があれば、私たちはきっと支え支えられながら、繋がっていけます

「やさしい力」の「継続」――。
私たち東北人は「お世話さま」「おかげさま」「お互いさま」という、地域にあった昔ながらの気風・優しい心を、今も持ち続けているはず。
それは、私たちの地域社会が持つパワーでもあり、誇りでもあります。

さまざまなことを思い出させてくれる3.11。
あれから3年と1カ月が過ぎました。
今日まで、そして明日から。
〝あれからの日々〟は今もずっと続いています。

(取材日 平成26年3月11日」)