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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年3月4日火曜日

2014年3月4日火曜日22:25
石野葉穂香です。

昨年末の記事で、南三陸町に応援職員として派遣されてきた、愛知県の篠原英明さんの、被災地でのボランティア活動など、業務以外でご活躍されている様子を紹介させていただきました。
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/11/blog-post_331.html

休日になると、町内外のさまざまなボランティア活動に参加されて、汗を流して仲間を増やし、多くの方々と交流されて、地元の方からも「こっちに永住して!」とまで言われている方です。

その篠原さんが「僕よりもすごい人がいますよ」とご紹介くださったのが、今回、紹介させていただく小野亮(あきら)さんです。

小野さんもまた、やはり休日にはじっとしていられない方です。

派遣先である石巻市とその周辺地域をはじめ、南三陸、気仙沼大島、福島県の南相馬市、富岡町など、遠くまで何度も足を運び、ガレキを運んだり、被災地の方々のお仕事を手伝ったりしながら、多くの方々と「縁」を結ばれました。
そして、つながりの輪を、大きく大きく広げていったのでした。


牡鹿半島「荻浜秋祭り」。14世帯(30人)の方が仮設住宅で暮らしている地区です。
お祭りでは、若い担ぎ手がいない、ということで参加(右から3人目が小野さん)。
「御輿を舟に乗せ、お祓いし、豊漁と海の安全を祈願します。とても新鮮な体験でした」(小野さん)

小野さんは、岡山県倉敷市のご出身。岡山県庁の耕地課に勤務されていました。
農業土木を本職とされる方で、例えば田んぼの形状を整える、農道を通す、ため池を作る、用排水路やパイプラインや暗渠(あんきょ:地中に埋めた水路)を整備・・・。
「いわば農地に関する土木全般にわたる業務ですね」(小野さん)

宮城県では、石巻市にある東部振興事務所の農業農地整備部にお勤め中。市域北東部の長面や針岡、大川地区の農地復旧事業に携わっています。

「派遣職員は、皆、復旧のために来ています。同じフロアに14人の派遣職員がいます」
いわば、日本各地から農地復旧のためのプロフェッショナルたちが来てくださっているのです。


石巻市網地島での側溝の泥だし作業。
側溝の泥の中に根を張ってしまった草を引っ張っているところ。奥が小野さんです

震災の翌年(2012年)、小野さんは、ネットを通じて大阪のボランティアグループ「Bit helps」のメンバーと知り合います。
ボランティアをしたい。そう考えて、ネットで情報を探していたそうです。
そして「いちばん大変なところに行くのがボランティア」という理念に共感し、まずは福島県南相馬市の小高区へ何度か通うことになりました。

さらには
「自分にできることがあるなら、もっとやりたい、役に立ちたいって考えて、2012年の12月、岡山県庁の耕地課で宮城県への派遣職員募集があったとき、応募しました。動機を書く欄には『自分にできることを、もっとしたい』と書きました」

そうして2013年4月、前任の方と交代する形で石巻へやって来られたのです。
高校生のお嬢さんと、ちょうど受験年になる息子さんがいましたが、小野さんは単身赴任。

「受験を控えた中三の息子は妻に任せてしまいました。でも妻は『現地の人たちはずーっとたいへんだけど、うちらは1年間だけのガマンなんだから行きゃあええがー』って言ってくれました」

奥様、すてきな方を宮城に送り出してくださり、ありがとうございました。


女川町の夏浜。砂浜清掃作業です。ここは〝鳴き砂の浜〟としても有名。
「歩くとほんとうに〝きゅっ、きゅっ〟って鳴くんですね。音を楽しみながら作業しました」(小野さん)
でも、南相馬のボランティアをのぞいて、東北地方に来ることは、実はほとんど初めてだったそうです。
「石巻の第一印象ですか? 海風が強い土地だなぁって。それに寒かった」

まずは三陸海岸沿岸部をぐるっとひと巡り。宮城や岩手の傷跡を見て、元の暮らしの風景に思いをはせたそうです。
「ほんとうに大きく変わってしまったんだなって・・・。でも、来た以上は、派遣の希望がかなった以上は、もう自分にできることに力を尽くそう、そう思いました」

着任早々、小野さんは早速、南相馬へボランティアに出掛けたそうです。そしてネットでボランティア情報を探し出し、毎週土日はほとんどどこかでボランティア活動という日々が始まりました。
「いろんなところへ行きたいと思ってました。被災地の状況もいろいろです。助けてほしいと言われたなら、もうどこへでも行こうと」

動き始めることで、人は人と出会い、ぶつかり合って熱を帯び、その熱がまた次の行動の力になります。

南三陸町では篠原さんと出会い、多くのNPO団体やボランティア団体のメンバーと知り合い、友達が増え、自身のフェイスブックなどで情報を発信するなどしながら、繋がりの輪はさらにさらに広がっていき・・・。


金華山の境内での修復作業。宗教法人は行政が立ち入り難いため、
多くのボランティアの方が手伝ってくださいました

「いろいろな人たちと知り合い、考えをぶつけ合うのはすごく勉強にもなります。机上で仕事をするだけじゃなく、仕事以外の部分でも、被災地の人たちと話したりする中から、〝土地が傷ついただけじゃない震災の実態〟を知ることもできます。相手の事情や気持ちを知ることは、自分の仕事にとっても、そして自分の世界観にとっても、それは大きなプラスなんです」

南三陸町の長須賀海水浴場復活大作戦にも参加。牡鹿半島では追悼イベントの準備のお手伝い、名取市の農家ではほうれん草の収穫、東松島では復興マラソンのランナーとして走ったり、浜の清掃活動、七ヶ宿町での除雪、仮設住宅の雪かき・・・。
「手を貸してほしい」という人のそばに、小野さんがいます・・・という感じ。

昨秋からは気仙沼大島へ通うことが多くなったそうです。



昨夏行われて「未来(あした)への道 1000㎞縦断リレー」。
復興に向けたメッセージを発信しながら青森から東京まで海沿いの町々を結びました。
小野さん(左端)は石巻からの5㎞の区間と、この日最後の区間(松島)に二度参加しました

「島の人情っていうか・・・。いいんですよねー。ほっこりしてしまいます(笑)」
 漁網の補修、養殖設備や道具類にくっついた付着物の除去などを手伝い、夜はお酒を酌み交わしながら、たくさん語り合う。
 きっと、人が大好きな人なんだなぁって、小野さんのお話を伺っていて感じました。

「おもしろい、っていうと語弊があるかもしれません。でも、農業でも漁業でも、いろいろな仕事、いろいろな作業と出会える。いわばいろんな職業体験ですよね。
 普段なら、きっとすることなんてないだろうな、ということができて、それが誰かの役にも立っている。やりがいもあるし、やっぱり〝おもしろいこと〟なんです」



荻浜の「竹灯籠祭り」の準備作業。
ドリルで竹に穴を開け、中に点した灯火がぽっとこぼれでるように工夫します。
「5、6本は穴を開けたのですが厚みもあり、開けるのに力が必要で、腕がぱんぱん」

ところで、東北の冬の海辺での作業、瀬戸内の方にはだいぶ寒いんじゃ?
「いやぁ気仙沼大島は暖かいですね。それに、もう寒さに驚くことはなくなりました(笑)」

ボランティアを通じて、世界を広げることができた、と小野さん。
「岡山で平凡に生活していたときと違って、考え方やものの見方が変わりましたね。得るものが増えたというか。自分の中にもそういう感謝があります。だから、世の中はやっぱり『おたがいさま』なんですよね」


小野さんが派遣されている「宮城県東部地方振興事務所 農業農村整備部 農地整備第一班」の皆さん。
多くの派遣職員の方がいらっしゃいます。
後列左から大国義幸さん(技術主査/島根県)、桑木巧さん(技師/島根県)、
ボードを持つ小野さん(技術主幹)、真鍋健治郎さん(技師/岡山県)、
前列左は鈴木正見班長(技術次長)、そして難波敏雄さん(技術主幹/岡山県)。
ボードには、小野さんが担当されている「大川地区」の復興への願いを書いてくださいました

今春3月いっぱいで、小野さんも、篠原さんも、それぞれ「地元」へ帰ってしまいます。
「そろそろ県内各地に〝お礼参り〟に行かないと・・・って思ってます(笑)。でも、岡山へ帰っても、宮城のことはやっぱり気になるでしょうね。
 連休などにはまた来たいです。そして、何か、お手伝いしたい」

石巻での小野さんの上司である鈴木正見班長(技術次長)は
「仕事も積極的だし、土日はボランティアで大活躍。選ばれて来てくれているだけあって、さすがスゴイ人だなって思います。来年もいてほしいかって? もちろん(笑)」

東北の海辺・山辺を駆け回った小野さん。ほんとうに大活躍。大きな力をいただきました。
でも、小野さんは「〝おたがいさま〟です」と、あっさり。

そんな「そばにいてくれた」っていう感じが、とてもさわやかな方です。

(取材日 平成24年2月18日)