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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年2月24日月曜日

2014年2月24日月曜日15:08
YUUです。


先日紹介した語り部タクシー「語り継ぎます」~仙台中央タクシー・語り部タクシー 前編の続きです。


2014年2月14日金曜日
「語り継ぎます」~仙台中央タクシー・語り部タクシー 前編(仙台市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2014/02/blog-post_14.html

私は、仙台中央タクシー株式会社(以下・仙台中央タクシー)の語り部ドライバー、石濱信次(いしはま しんじ)さんの案内で、仙台市若林区荒浜地区、名取市閖上(ゆりあげ)地区一帯を巡りました。

災害危険区域に指定され、震災後に新しく建造された建物が全くない荒浜地区は、がれきの山こそきれいに撤去されていたものの、一面何もない平野が広がる風景を見ると、流れた歳月の分だけあらためて、大震災と津波の凄まじさを思い起こされました。

荒浜地区を巡回したあとに向かった先は名取市閖上地区。語り部タクシーの基本コースに含まれるこの地域も、津波被害が甚大だった場所です。

名取市閖上字五十刈(ごじゅうがり)1番地にある閖上中学校
現在は名取市手倉田字山216-1の地に仮校舎を建て、移転しています

最初に立ち寄ったのは閖上中学校。

震災時には指定避難場所になっていました。

不幸なことに、この中学校にたどり着き校舎屋上に避難する直前に津波に飲み込まれた犠牲者が、多数いました。閖上中学校の14名の生徒も亡くなられたそうです。3月11日は、中学校の卒業式当日でした。

生徒の遺族の方々が用意した献花台
震災から約3年が経過した取材当日も複数の人々が訪れ、
合掌する様子を目にしました


幾度となくこの場所に訪れている石濱さんによると、学校の前に設けられた慰霊碑、献花台の前には、訪れる人が途絶えることはないといいます。


閖上中学校にある慰霊碑の前で説明する震災の「語り部」
仙台中央タクシーの石濱信次さん

「震災当日、閖上中学校の14名の生徒さんがお亡くなりになりました。3月11日の一周忌にあたる2012年3月11日に慰霊碑の除幕式が行われたそうです。慰霊碑には、亡くなられた生徒14名の名前が刻まれています」

石濱さんが説明してくれました。

名取市のサイトで確認すると、閖上地区の人口は震災前の2月末の時点で5612人でした。大震災の市民の人的被害は、平成26年1月31日現在で死者884名(名取市調べ)。この数字には、行方不明者や避難生活での体調悪化や過労などの間接的な原因でお亡くなりになられた方は含まれません。

3.11の震災で名取市で亡くなられた方の多くは、閖上地区の住民の方です。地域住民の人口と震災による死傷者、行方不明者の数を見比べるだけでも、大津波がこの地に残した爪痕の大きさを考えずにはいられません。

「指定避難場所の閖上中学校を目指す途中で大津波に飲み込まれた方々のことを思うと、運命の残酷さと、犠牲になられた方や遺族の方の無念さを思わずにはいられません。当時は多くの人々が想像しなかった津波の恐ろしさ、大津波の悲劇について、防災の観点からも、より多くの人々に伝えていく必要があると考えています」

語り部タクシーの利用者は、全国の学校関係者や消防団員の方が非常に多いそうです。多くの利用者は、石濱さんをはじめとする「語り部」から震災についての話を聞き、実際に被災地を見聞することで、少しでも今後の教訓として生かしたい、と感想を述べるそうです。

閖上日和山の慰霊塔
現在も花を手向(たむ)ける方が後を絶たないそうです

次に向かったのは、日和山(ひよりやま)です。

標高6.3mの日和山は、津波の襲来した太平洋が一望できる場所ということもあり、閖上に残されたシンボルのひとつとして、数多くの人が訪れ、震災で犠牲になられた人々の冥福を祈り、手を合わせている場所です。

この地は閖上地区のほぼ真ん中にあるので、高台に登れば、閖上の全域が見渡せます。

閖上日和山の高台から見る閖上地区の現在の風景
左手に見えるのが「閖上仮設魚市場」です


仙台市荒浜と同じく、建物の基礎部分だけ残し、一面に更地となったままの平野が広がる名取市閖上一帯。

海沿いに見える建物は、2012年5月29日に完成した「閖上仮設魚市場」です。

閖上は漁業の町として栄えてきた歴史を持ち、藩政時代には、城下町に海の幸を届ける台所の役割を果たしていました。仮設魚市場は、津波で全てが流されてしまった魚市場再建のために、国の被災地域産業地区再整備事業の交付金を利用して中小企業基盤整備機構(東京)が建設したものです。

この施設ができたことで、漁師さんたちがせりや漁具の整備などを冬場の吹きさらしの中で行わなくても済むようになりました。しかし、震災以前は数多くの住宅が建ち並んでいた周囲には、現在、一切の建物はありません。

県外から語り部タクシーによってこの地を訪れた人々は一様に、日和山から眺める閖上一帯の風景に大地震、大津波をイメージし、息をのむといいます。

語り部タクシーの「語り部」として石濱さんが常時携帯しているという震災資料


閖上から仙台市内への帰り道、石濱さんは、「語り部」としての心得について話してくれました。

「災害危険区域に指定され、新しい建物が建てられない地域にしても、がれきが撤去され、道路が整備されるなど、周囲の様相は時間とともに変化しています。そうした状況、復興への歩みをできるだけ正確に伝えられるようにモバイル端末、震災資料や交通事情の変化を書き込んだ道路地図などを常時携帯してしています」

石濱さんによると、語り部タクシーの利用者は、こうした震災関連資料を眺めながらドライバーに質問をしたり、訪れる被災地域の確認をすることも可能なのだそうです。



語り継ぎますと、「語り部タクシー」についての思い、今後の抱負を話してくれた
仙台中央タクシー取締役の清川晋さん(右)と語り部タクシーの基本コースを案内してくれた石濱信次さん(左)

石濱さんとともに仙台中央タクシー本社に戻り、清川晋取締役に「語り部タクシー」について話を聞きました。

「歳月の経過とともに震災と被災地に対する人々の関心が薄れ、『風化』しつつあるというような話も伝え聞くようになりました。しかし、震災に対する防災の必要性などを語り継ぎ、実際に1人でも多くの方を被災地にお連れすれば復興のスピードを速める一助にもなると始めた『語り部タクシー』は、利用者の感想や、ドライバーからの報告を聞くと、まだまだ役目が終わっていないと率直に思います」

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未曾有の大震災より約3年、語り部タクシーを開始した2012年10月より1年以上が経過して、当時より道路などのインフラ整備やがれき撤去は格段に進みました。
それでも、仙台市荒浜地区、名取市閖上地区など大きな津波被害のあった被災地域は、いまだ、その原風景に震災の爪痕を大きく残しています。

震災より時が流れた現在(いま)こそ、「語り部」たちが語り継ぎ、被災地の変化、現状を案内する語り部タクシーの意義は非常に大きいと感じました。

仙台中央タクシーでは、今回の記事で紹介した仙台市沿岸部、名取市閖上地区を巡る基本コース(2時間30分)のほか、石巻・東松島コース(6時間)、気仙沼。南三陸コース(7時間)など複数のコースをあらかじめ用意。利用者の時間や予算、要望に合わせたオリジナルコースの利用にも対応しているといいます。


語り部タクシーに対する問い合わせは下記ホームページで。

仙台中央タクシー
http://www.sendaichuotaxi.co.jp/

(取材日 平成26年2月5日)