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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年1月29日水曜日

2014年1月29日水曜日15:13
YUUです。

JR亘理駅から徒歩10分。
30もの事業所が軒を連ねる亘理町最大規模の仮設商店街があります。
亘理「ふるさと復興商店街」。中には、物販、飲食店だけではなく、
郵便局や理容店などもあります

亘理「ふるさと復興商店街です。

亘理町は宮城県南部の海岸線沿いに位置する町。

東日本大震災では町の面積の実に47%が大津波により浸水しました。

特に、海水浴場でも有名な荒浜や大畑浜・吉田浜・長瀞浜など沿岸地域は壊滅的な被害を受けました。

亘理「ふるさと振興商店街」は、独立行政法人中小企業基盤整備機構(以下・中小機構)の東日本大震災に関する中小企業支援策の1つ、仮設施設整備の一環として建設が進められたものです。


「ふるさと復興商店街」にある「たかぎ呉服店」
店の表札は手作りだそうです
現在、亘理「ふるさと復興商店街」に店を構える事業者の多くは、震災により、それまで経営していた店舗を失いました。

亘理町荒浜築港(ちっこう)通りに長年、店舗を構えていた「たかぎ呉服店」もそうしたお店の1つです。

「祖母が行商をしていて、父の代になって荒浜の築港通りに店を構えました。2013年度には創業56年目を迎えました」

こう話してくれたのは、株式会社たかぎ呉服店の高城勝晃社長です。

たかぎ呉服店は、震災以後、三度、販売拠点を移しています。

2011年5月に亘理町内の一軒家の借家で営業を再開。約半年後には岩沼市のマンションに移り住み、顧客のもとへ車で訪れる移動販売に移行。そして、2012年2月25日より、現在の亘理「ふるさと復興商店街」内での営業を開始しました。

高城さんに震災後の経緯を振り返ってもらいました。

「震災のあった日、店の2階で行っていた展示会の片付けのため、家族全員が店にいました。津波が来ると聞いて、皆、着の身着のまま避難しました。初めは荒浜中学校に避難したのですが、周りの水が引かない状態が続き、2日後には亘理高校へ移動。そこで1カ月ほど避難生活を送りました」

亘理高校での避難生活を終えた後、亘理町内に一軒家を借りて、家屋の一部を店舗として使用したといいます。

「荒浜の店舗は全壊し、自宅は流失して、避難生活は想像以上に長期化。茫然自失の状態が続いていましたが、なんとか一軒家を借りることができた時に、以前のお客さまから『着るものが欲しい』との要望をお聞きして、衣料品販売の営業を再開したんです」

亘理「ふるさと復興商店街」の仮設店舗内で商品の検品をする
「たかぎ呉服店」の高城勝晃社長
営業再開後、多少落ち着いたと感じ始めたのもつかの間、間借りしていた一軒家は半年ほどで出ていかなければならなくなり、2011年8月には、岩沼市のマンションに移り住むことになりました。

「場所も岩沼ですし、マンションでは店舗販売を継続することが難しいので、岩沼市のマンションを拠点としでお客さまのところを回る移動販売をしばらく続けました。しかし、さまざまな面で店舗を持たないままの営業継続は難しいと限界を感じてもいました」

長年、営業を続けてきた以前の店舗があった荒浜築港地区は、危険地区に指定されました。

すなわち、しばらくは地域住民が住めなくなる土地です。

高城さんにとっての商売とは、祖母の時代から連綿と続く、地域密着による信用に支えられてきたもの、との思いが強くありました。

それだけに、信頼関係を構築してきた顧客がこれからどこに住むかもわからない、そんな状況では新店舗開業を考えるにしても、場所の選定や新規投資の決断がつきかねます。

そうした苦悩を続けていた折に、亘理「ふるさと復興商店街」の仮設店舗での営業が可能だという話を耳にしたのだといいます。

「入居より2年間は営業させてもらえる。これからの将来の道筋を考える上でもありがたいお話でした」


扱う商品は「メイドインジャパン」の素材にこだわったものが中心
会長(先代社長)の時代から続く実績の積み重ねで、
仕入れ先との信頼関係を築いてきたといいます

「開業前は、同地区や近隣の仮設住まいの方々などにポスティングするなどして、準備を進めました。開業時は、顔なじみのお客さまが数多く足を運んでくださったりして大盛況でした」

震災より3度目の移転、約1年ぶりとなる店舗営業再開は予想以上の順調な船出となりました。

商店街周囲の仮設住宅に暮らす人々などが新しい「なじみ客」となり、かつて荒浜で営業していた時のように、あらためて人と人とのつながりを感じられようになったことがうれしかった、と高城さんは話します。

仮設店舗では、限られたスペースで「商品の見せ方」を
工夫するなどして、対応してきました

「ふるさと復興商店街」での営業を開始して、高城さんは、あらためて震災についてさまざまな思いが去来したと言います。

「仮設店舗での営業を続けていると、なじみになっていただいたお客さまが仮設住宅を離れ、全くお見えにならなくなる。いたし方ないことですが、そうしたケースがたびたびありました。そんな時は、店舗や家屋を失ったということは、同時に商圏や顧客も失ったということなのだな、と強く感じました」

仮設商店街は、震災により大きな被害を受けてなお、事業を続けようという意欲の強い店主たちが集まっています。「各店舗の連帯」で大型店に負けないような顧客目線での行き届いたサービス、商業集積による幅広い層の集客を目指してきたといいます。

一方で、仮設店舗の営業によって力を蓄えて、自立による新しい一歩を踏み出そうという店主もいます。高城さんは今春をめどに亘理駅前に新店舗を開業する予定だと話してくれました。

「たかぎ呉服店」の新店舗が今春開業する予定の亘理駅前
現在もJR常磐線浜吉田駅~相馬駅間は不通のため、
亘理駅前で相馬行きの代行バスが発着しています

「宮城県が募集を行ったグループ化補助金(中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業)への申請が採択され、資金調達のめどがたったため、2014年3月末をめどに新店舗を亘理駅前に開業する運びになりました」

グループ化補助金とは、被災企業の施設や設備の復旧費の一部を支援するものです。ただし、補助を受けるには、県と中小企業庁に地域経済や雇用、コミュニティに役立つと認定される必要があります。そのため、サプライチェーン、同業種、商店街など複数社がグループを組み、申請を行います。その団体が認定を受けると、団体に対し補助が受けられる仕組みのため、グループ化補助金と呼称されるようになりました。

認定を受けたグループに属する企業は、個々の必要に応じて復旧費用の4分の3(中小企業の場合)支援が受けられます。復旧費用は採択されたグループで決められられた用途に使われるものではありません。

商工会の案内により、高城さんがグループ化補助金の募集を知ったのは2012年の初秋のことでした。当初、商工会からの案内だけでは、制度の仕組みがよく分からなかったと言います。

「応募しても採択率は10%程度などという話も聞きました。自分たちには無理な話なのかな、と思ったりもしました。そうしたなか、中小機構の復興支援センターの担当者の方からグループ化補助金についての説明を繰り返し聞く機会を得て、チャレンジしてみる価値はあると思い直したんです」

グループ化補助金の申請が採択されるためには、認定されるためのアピール力のあるグループを組む必要がありますが、立場や状況が違う中小企業がグループを組むことは容易なことではありません。高城さんは宮城県や中小機構の担当者の方からいろいろとアドバイスをもらい、「鳥の海ふれあい市場共同組合の菊地一男理事長と協力して、荒浜地区で被災した多くの事業者にグループ化補助金申請に向けた説明や声がけを行ったと言います。

「最終的には荒浜地区で被災した物販、サービス企業のグループとして採択時は35事業者が申請を行い(現在は33事業者)、無事、『たかぎ呉服店』として補助金を活用できることになりました」


高城勝晃さんのメッセージは「一途一心(いちずいっしん)」

高城さんは、新店舗を開業を間近に控えて、次のように抱負を話してくれました。

「これからが本当のスタートラインに立つんだと考えています。一途一心(いちずいっしん)、ひたむきに仕事に対していきたいと思います」

亘理駅前での開業は、動線が限定されていた以前の荒浜地区での営業以上に幅広い層の顧客を獲得できる飛躍の機会でもあります。

「いろいろな人々の支援もあり、補助金の制度によって商売のハード面は大きく助けてもらえることになりました。今後は、仕入れの工夫などソフト面を自助努力で補い、頑張っていきたいです」

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大津波で店舗が全壊、自宅は流失。亘理高校での避難生活を経て、商売再開後は、販売拠点を三度移した「たかぎ呉服店」。

震災後、4度目となる移転は、ようやく、ついの棲家と思える場所での開業となります。

亘理駅前の新店舗開業は当初、3月末を予定していたそうですが、工事の進み具合から、「少し、遅れるかもしれません」と、高城さんは言います。開業時にはぜひ、訪れて、再び高城さんの話を聞いてみたいと思いました。


(取材日 平成25年12月16日)