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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年1月24日金曜日

2014年1月24日金曜日18:33
石野葉穂香です。

平成25年12月8日、南三陸町の「ベイサイドアリーナ・文化交流ホール」で「第10回 子どもたちの郷土芸能発表会」が開催されました。


南三陸町の総合体育館「ベイサイドアリーナ」

ふるさとの人々が受け継ぎ、磨き上げてきた郷土芸能。
東北地方は、その「宝庫」です。
三陸地方にも個性的な祭りや郷土芸能が数多く伝えられ、南三陸町だけでも、15以上もの舞踊や囃子や太鼓といった芸能があります。

数百年もの長い年月をつないできたもの、時代の中に生まれて新たな歴史を紡ぐ創作芸能・・・。
風土や民俗を映しながら育まれてきた祭り。
地域ならではのエネルギーが、楽曲や踊りとなってほとばしります。

この日の参加団体は、旧仙台藩領北部に伝わる鹿踊りの原形ともいわれる「行山流水戸辺鹿子躍(ぎょうざんりゅうみとべししおどり)、明和元年(1764)に地元の八幡神社に初奉納されたという「入谷打囃子」、子どもたちが鉦や太鼓を打ち鳴らして田畑の鳥獣を追い払った行事が起源という「長清水鳥囃子」、旧藤浜小学校が戸倉小学校に統合(2007)される前に始められていた子どもたちのよさこい踊りを継承する「戸倉小心輪海」、そして志津川大森地区の有志が平成5年(1993)に立ち上げた「大森創作太鼓旭ヶ浦」の5団体です。

大森創作太鼓旭ヶ浦の迫力いっぱいのステージ

戸倉中の「長清水鳥囃子」。
ガレキの中から小太鼓6個が見つかって、始業式のあと
すぐ活動を再開しました

戸倉の子どもたちが、「鳥囃子」の伝統を守り、つないでいってくれます

学校の授業へ取り入れたり、地域行事や祭礼で披露されるなどの取り組みも続けられてきましたが、今日はまた、そのひとつの晴れ舞台。
元気な声が、朝からロビーに響き渡っていました。

参加団体のひとつ「行山流水戸辺鹿子躍保存会」の村岡賢一さんに、お話を伺いました。
「〝あの日〟の津波は、鹿頭も衣装もササラ(鹿が背負う装具)も太鼓も、すべて流してしまいました。特に太鼓は軽いから、皆、海に流れていったと思っていた。ところが12個あった太鼓のうち11個が泥の中から見つかったんです。衣装やササラも出てきた。それを見て〝よし、またやれる〟と思いました」
そして、震災から2カ月後、お隣・登米市の「葉桜まつり」で早速、復活の舞いを披露します。

登米市に避難していた多くの人たちに
「オレたちだって、まだがんばれるぞ!」
と勇気を与えてくれた「行山流水戸辺鹿子躍」の勇壮華麗な舞

「『葉桜まつり』でぜひ踊りたい!」と言ったのは、震災時、戸倉中学校の2年生だった小野寺翔くんでした。

保存会では、小学校5年生以上の男女に鹿子躍を教えています。郷土芸能は地区全体で伝承していくことが大切。男の子も女の子も、ほぼ全員が踊ることができるのだそうです。

翔くんは、各避難所に散り散りになっていた仲間の中学生や高校生にも声掛けし、メンバーを集めました。

「踊ることが不安だって言っていた仲間もいました。でも、練習を始めてみたら、みんな、すぐに元気になった。やっぱり躍動感っていうか、踊りが元気をくれたのかな」(翔くん)

震災後の初舞台となった『葉桜まつり』。
でも、集まったお客さんたちの表情はどこか曇っていたように感じたそうです。

「みんな、やっぱり表情は暗かったけれど、僕らが踊ることで少しでも明るくなってくれたらって思いました。もう、やるしかない――って」(翔くん)


「行山流水戸辺鹿子躍」は、旧仙台藩領北部に伝わる「行山流鹿子躍」の原形ともいわれ、
300年以上も前に誕生した歴史ある芸能です。

一時期、途絶えてしまいましたが、昭和57年(1982)、地区の高台で
〝享保九年(1724)〟銘の「躍供養碑」が発見され、鹿子躍復活の機運が高まり、
直系の躍りを伝える岩手県一関市舞川の鹿子躍保存会の指導を受けて、平成四年(1992)に復活しました。
鹿頭をつけた8人の踊り手が太鼓を打ちながら踊り、魔を退け、先祖を供養する踊りです


会場には、南三陸町から避難していた人たち、そして、登米の人たちがたくさんやってきました。
そして
「誰もが目に涙を浮かべて大喝采してくれました。その様子は全国に報道され、問い合わせや出演の依頼もたくさん寄せられました。子どもたちが『鹿子躍』を世に出してくれたのです」(村岡さん)

「僕も『葉桜まつり』の舞台を踏んで、『ああ、自分たちがつないで行かなくちゃ』と思いました。本当に、やってよかった、復活できてよかったと思いました」(翔くん)


現在は高校2年生となった小野寺翔くん

そして、全国からは「踊ってほしい」という依頼が殺到。東北六魂祭、神戸市、熊本県、石垣島、さらには、あのダルビッシュ有投手が所属するアメリカ大リーグのテキサスレンジャースのオープニングセレモニーにも招待されたのでした。

「祭具への支援もたくさんいただくことができました。そんな多くの人たちからの応援に、元気な踊りでお返ししたい。日本中、世界中の人たちに感謝と元気を伝えていけたらって思います」翔くん)

この日、舞台で団体の紹介をしてくれた阿部成美さん(戸倉中学校2年生)も、
「鹿子躍が復活したときは本当にうれしかった。私も次は舞台に立って、世界中に元気を届けたいです」

ちょっと緊張気味?
団体紹介をしてくれた阿部成美さん。
この日は舞台に立ちませんでしたが、もちろん「鹿子躍」の舞手です

なお、戸倉中学校は津波で校舎が大きく損傷し、現在、志津川中学校の校舎を間借りして授業を行っていますが、今年(2014年)4月には、正式に志津川中学校に統合されます。

「震災の時、私はまだ小学生でした。あの、海がすぐ目の前に広がる戸倉中の校舎で勉強したかったな・・・」(成美さん)

この日、舞台に立ったのは、今は高校生になった小野寺翔くん、そして三浦伸くん、佐藤貴大くん、高見真彦くん、阿部卓真くん、佐藤浩成くん、小山文哉くん、三浦友裕くんの戸倉中学校3年生たち。
戸倉中生として最後の、そして、新しい〝挑戦〟の踊りでした。

戸倉中生7名+高校生1名。この日のトップバッターとして
大いに会場を盛り上げてくれました

村岡さんは開会のあいさつで、
「津波によって多くのものが流されても、皆さんの身体の中には、流されずに残ったものがあります。それをつなげていってください」


「水戸辺鹿子躍保存会」の村岡賢一さん。
南三陸町伝統芸能復興実行委員会の会長でもあります

と、子どもたちを激励。

大人たちが磨き上げてきた技や音色。
ふるさとの繁栄や、季節の豊かな実り、家族や仲間の息災を祈りながら歌い、踊って、皆が心を通い合わせる「まつり」。

「水戸辺鹿子躍」と「大森創作太鼓旭ヶ浦」の皆さんです。
全国から「踊ってほしい」「演奏してほしい」という依頼がたくさん来ていて、
東北六魂祭をはじめ、県内外へ一緒に出かけて行くこともあります

コミュニティという「絆」を、次代へと伝え残していくこと。
それは「守る」「伝承していく」という、彼らの〝挑戦〟でもあります――。

(取材日 平成25年12月8日)