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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年1月20日月曜日

2014年1月20日月曜日20:41
石野葉穂香です。

1月の3連休、3日連続で南三陸町へ通いました。
震災後、おそらくいちばん数多く訪ねた被災地だと思います。

街はガレキが片付けられて、かさ上げ工事などが少しずつ進められています。
震災前にも何度も通った街なのですが、でも、津波に飲まれてしまう前の景色は、がらんとした今の景色と出会うたびに、どんどん忘れていってしまいます。
街ばかりでなく、ちょっと郊外の浜辺や浦浜の風景も、です。

1月13日、南三陸ポータルセンターで『波伝谷に生きる人びと~第1部』という映画の上映会がありました。

南三陸町での上映会のチラシ(表面)です

監督は、県南の内陸部、白石市ご出身の我妻和樹監督。

今から9年前の2005年3月、東北学院大学文学部史学科の1年生だった我妻さんは、同大学の民俗調査で初めて南三陸町の波伝谷地区を訪れます。

そして地区の人々の温かさや、多彩な年中行事に魅せられ、大学を卒業する少し前の2008年3月、今度は地区にカメラを持ち込んで、映画の撮影を開始しました。

撮影したのは、東日本大震災が発生するまでの3年間。さらに2年半(手直しを含めると3年)をかけた編集作業を経て、2013年8月15日、波伝谷地区で試写会が行われたことで、この映画は完成しました。

同じく上映会のチラシの裏面。
青海と緑野の光の中に、波伝谷地区の暮らしの風景が描き出されます。

「景色」を記録した映画ではありませんが、スクリーンの中には、今はもう、津波にかき消されてしまった浦浜の人々の「風景」が、暮らしの回りを包む音や、方言などとともに、くっきりと描き出されています。
ああ、そうだ、こんな色だった、こんな光だったんだと、私は昔の志津川町時代にまで記憶を遡らせたりしながら、ほっこりと懐かしい気持ちも抱きつつ、この映画を拝見しました。

波伝谷地区は、戸倉地区から神割崎へと向かう国道398号の沿線にある集落です。
人々の暮らしは漁業が中心です。

そこには、獅子舞など個性豊かな祭りや、「講」という地域社会独特のコミュニティ(仕組み)があり、人々は深く関わり合い、助け合い、影響し合いながら暮らしています。

波伝谷地区の人びとの飾らない素顔が
スクリーンの中に生き生きと描き出されます

「ほとんどの民俗調査は短期間、ほんの数日間だけ取材して、その成果をまとめる場合が多いのですが、僕が師事した先生は『関わった本人が強く感じた事柄こそが大切。その地域の中で学生が成長してこそフィールドワークは有意義なものになる』と教えてくださったんです」
と、我妻さん。
「学生時代の調査は濃い密度でできたと思っています。でも、それだけに終わらせず、僕はカメラを持って、再び波伝谷を訪ねたのです」

カメラは、波伝谷に生きる人々の日常を追いかけています。決して豊かとは言えないけれど、移りゆく時代の中で、力を尽くして生きる人々の姿、変化していく地域コミュニティのあり方、変化しないで伝えられていく地域のありよう、伝統……などが、人々の言葉や振る舞いを通じて、あぶり出しのようにじわりとスクリーンに浮かんできます。


波伝谷地区の裏山は桑畑。かつては養蚕も盛んな地区だった・・・。
映画は地区の長い歴史も伝えてくれます

我妻さんが映画を制作するのはこれが初めてでした。
「映画について学んだこともなかったし、素養があったわけじゃない。撮りたい事柄が撮れないってことの方が多かったけれど、言葉だけでは収まりきらない地域の情報というか、生の言葉や表情、魅力ある人々が集う地域の魅力が写せたと思っています」

我妻和樹監督

映画は、震災発生から3日目の映像で終了していますが、震災がテーマの映画ではありません。


「この作品は、初めと終わりの震災の場面を省いても映画としては成り立ちます。
けれども震災があって自分の中ではっきりしたのは、人が生きている限り、人の営みは続いていくということです。人と人がともに生きていく、その根本的なところは、形を変えながらも変わらず続いていく、それが、震災後の今を生きる日本人に対しての、僕からのメッセージです」


この日2回目の上映のあとの監督あいさつ。
町の人たちがたくさん鑑賞にみえていました

 波伝谷に生きる人びとにとって、波伝谷という地区(=講やコミュニティ)は何なのか。
地区の仕組みやしがらみの中で、ときには葛藤しながら生きている人々の姿を、その瞬間を切り取りながら、何よりも地区の人びとの表情と言葉で伝えたい、と。

この日は3回、上映が行われ、観客は延べ120余人でした。
私(石野)のように、昔日の光を懐かしむように見た方も多かったようですし、「貴重な記録」「ふるさとっていう感じがいい」「人々の繋がりが素晴らしい」と語っていた方もいらっしゃいました。

南三陸町の佐藤仁町長も来られていました。
「震災後の映像は何百とあるけれど、震災前の南三陸を
これほど丁寧に撮影した映画は初めて見ました。
第二部も、力強く生きる浜の人びとの暮らしを、また追いかけていってください」

次回の上映会の予定などは、今のところはないそうです。
でも、映画祭への出品なども通じて、広く知ってほしいと監督は言います。
「全国の人たちにも見てほしい。少しずつ、見ていただける機会を増やしたいです」

震災という出来事は、どうしても「震災という出来事の記録」を映画にも求めてしまいがちです。
波伝谷地区の皆さんにとっても、震災は、とてつもなく大きな出来事だったはずです。

でも、我妻監督が、やがて撮影するであろう第2部では、「震災後」を主題として全面に出すのではなく、震災という出来事をも包み込みながら、波伝谷という地区が、人びとの暮らしの風景が、どう移ろってきたのかが、きっとまた、静かに描き出されていくのだと思います。


この日の上映会のスタッフの皆さん。
監督のメッセージは(見えづらいですが)「ありがとうございました」です

ストーリーなど、台本的な構成はあまりありません。
見る人の想像力をかき立てる作品です。その点、刺激的であり、意欲的な映画です。
映画人・我妻和樹の「こだわりの映像」が、きっと大きな価値を残してくれるはずです。

ご覧になりたい方は、
「ピーストゥリープロダクツ peacetree_products@yahoo.co.jp
まで、お問い合わせください。

(取材日 平成26年1月13日)