header

宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

ヘッダー写真説明文

写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2014年1月13日月曜日

2014年1月13日月曜日14:01
こんにちは。kaiiです。

今年は暖かく過ごしやすい年明けでしたが、中旬には、今シーズン最強寒波が襲来し日本海側を中心に大雪を降らせるなどしています。アメリカなど北半球の国々でも寒波の影響と被害を受けています。
多くの人がお正月休みの最後の日となった1月5日は、二十四節気の一つ「小寒」でした。
「小寒」とは、寒さが厳しくなり降雪と寒風に悩まされる時期とされています。この時期から少しずつインフルエンザの罹患者が増えていきます。皆さんどうぞご自愛ください。

震災から2年10カ月。現在の気仙沼の復興の様子をお伝えします。
今回は気仙沼魚市場の周辺地域など南気仙沼地域の状況をお伝えします。

南気仙沼地区は気仙沼魚市場の南側から大川の東側を中心とする地域です。
震災前は水産加工会社や冷凍工場などがたくさん建っていた地域です。

嵩上げされた土地
(平成26年1月8日撮影)南気仙沼地区
気仙沼の主力産業の水産業が本格復旧していくためには、気仙沼港に水揚げされた魚を加工し全国に発送する冷凍工場や加工工場などが必要です。



この地域は震災から1年くらいまでは、壊れた建物がまだ残り、満潮時には土地が浸水していました。
今では加工場などの復旧に向けての土地の嵩上げ工事が進み、新しい水産加工会社の建設も進んでおり、完成した工場も多く見られるようになりました。

気仙沼魚市場前に建設が進んでいる工場
(平成26年1月8日撮影)

気仙沼魚市場前に完成間近の水産加工会社
南気仙沼地区の鎮守社「一景島神社」。
気仙沼湾から200mほどの気仙沼市弁天町にあります。
津波で社殿などを失いました。
平成24年12月に新しく建てられた社殿には今年も多くの人が正月参りに訪れました。

新たに建て直されたばかりの一景島神社社殿(平成25年1月6日撮影)

一景島神社社殿
同じ場所で撮影しました。風景が前年と違うことに驚きました
(平成26年1月8日撮影)
平成25年8月に「イオンふるさとの森づくり」という支援事業により鎮守の森として植樹されたモクゲンジ、ヤマザクラ、ヒサカキなどの小さな苗木も寒さに耐え育っていました。

小さなつぼみは花を咲かせる準備中です


鎮守の森に育っていく「ヒサカキ」などが植えられています

埋め立て前の神社付近の写真
「一景島」は、昭和31年に気仙沼魚市場移設のために埋め立てられるまでは気仙沼湾に浮かぶ岩礁で、「浮島(別名魚取島)」と呼ばれていました。
一景島神社は「弁財天」を祀り、大漁を祈願する港の守護神です。

岩礁だったなごりを感じることができます
一景島神社の西側に建つ「ホテル一景閣」は、平成25年のお正月には改装中でした。平成25年5月にリニューアルオープンし、営業しています。

ホテル一景閣(平成25年1月6日撮影)

工事が進められていた南気仙沼地域
(平成25年1月6日撮影)

平成25年5月にリニューアルした
ホテル一景閣
(平成26年1月8日撮影)
大正5年に割烹旅館として営業を開始した「ホテル一景閣」の営業再開は、気仙沼湾に「復興の灯り」を灯しています。

気仙沼魚市場南側桟橋
(平成26年1月8日撮影)
気仙沼魚市場の復旧工事も順調に進んでいます。去年の1月には津波の傷跡が残っていた場所も修繕されてきれいになりました。船を着ける港の工事も順調です。

気仙沼魚市場南側桟橋
(平成25年1月6日撮影)
気仙沼魚市場に水揚げされた魚は梱包され、トラックに乗せられ、全国に向けて発送される準備中でした。

荷積みを待つトラック
(平成26年1月8日撮影)
大川公園のサクラ並木は、工事のために伐採されることが決まっています。
一部のサクラを別の場所に植え替えて残すために、移転作業が続いていました。

大川公園のサクラ並木
春までには伐採されることが決まっています
(撮影平成26年1月8日)
災害公営住宅の建設予定地には、パティーションもの設置されていました。

旧気仙沼市立南気仙沼小学校の跡地には
災害公営住宅が建てられます
(撮影平成26年1月8日)
確実に町の復興は進んでいます。
写真を見比べていて「人間の記憶」の曖昧さを感じました。震災からもうすぐ3年ですが、生まれ育った町の震災前の姿を忘れつつあります。
「この場所に何が建っていたのか」
「住宅だったのか店舗だったのか」
少しずつ忘れ、確実に変化している町の姿に少しずつ慣れてきました。

人間の記憶の曖昧さと記録を残すことの大切さを感じています。

(取材日 平成26年1月8日)