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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年12月5日木曜日

2013年12月5日木曜日17:58
こんにちは、Chocoです。
皆さん、今日のご飯は何を食べましたか?
皆さんが口にしたもの全て生き物(植物や動物)でした。
その命を絶ち、調理したものが、私たちの口に入ります。
小さい頃、嫌いな食べ物を最後まで食べずにいたら、
おばあちゃんに「バチが当たるんだよ」
と、叱られたものです。
おかげで私は好き嫌いがありません。


いつも食べる時に言う、
「いただきます」
この言葉には、生き物の命をもらい、それを食べる人間が、自分の命を維持し生存できるということの感謝の想いが込められています。

お買い物をしに外に出て、いつも手に取る、野菜、魚、お肉・・・
それらは、人の手によって育てられ、処理され、販売されています。

今回は、普段私たちが目にすることがない養鶏場へお邪魔しました。

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以前紹介した豊作・復興祈願祭が行われた大川地区針岡にご夫婦で経営されている養鶏場があります。

2013年7月1日月曜日
豊作・復興祈願祭(石巻市釜谷)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/07/blog-post_2480.html

北上川沿いを通り、ここから約2km先の針岡に向かいます。
私が5月に見た小さな苗はグングン育ち、稲刈りが行われ、おいしいお米になったそうです。
そして、今回紹介する養鶏場は、その田んぼのすぐ横にあります。
左が養鶏場
右が豊作祈願祭の際、作付した田んぼ
小高いところにある養鶏場にも津波は来ました。

津波の跡が残る倉庫
北上川から約2km離れているところにある針岡にも氾濫した海水が押し寄せてきたのです。
「車から、家から、人から・・・ここまで流れてきたんだ」
鶏舎にいたオーナーの高橋芳男さんは、震災当時を振り返りました。
溺れている人を何度も助けました。

海からの勢いは止まらず、北上川を昇り、川から陸へ流れてきたのです。
ここの地域は、そうやって津波が押し寄せてきました。

鶏舎も半壊、シャッターも壊れ、船も鶏舎に流れてきたと言います。
出荷を明日に控えていた鶏も全滅してしまいました。


自宅は無事だった高橋さんは震災直後から地元の方々と一緒に、避難してきた人へ毛布や服、そして食料を配っていました。

鶏舎は、使うことができない悲惨な状態になっていました。

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「もうやめようか」
奥さんの貴久子さんは言いました。

「・・・もう一度やる」
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震災から半年後、たくさんの人たちの協力によって、再開を果たしました。


養鶏場を始めたのは40年以上前のことです。
その当時は、何軒か鶏舎があり、そこで約7万羽の鶏を収容していました。
成長した鶏を出荷すると、業者に回り、そこでは鶏の状態を見て成績が付けられます。
痩せている肉は量が取れないため、契約量に合うように注意しなければなりません。

「寝るところは、腹を冷やしたりしないように・・・。
やっぱり寝床が一番大切だからね」

そう言って、私に鶏舎の中を見せてくれました。

室内は、優しい灯で、温かくなっていました。

生まれて間もないヒナが高橋さんの元へ連れて来られます。
そして約1カ月半後に出荷されて行きます。
その間、2人でヒナを若鶏まで育て上げます。
それを震災前は、年に5回転していました。
季節によって気温や湿度も異なり、温度調節はとても大切です。
毎回、記録は取っているものの、同じ状態ではありません。
「昔は、機械もなかったから、餌やりも温度調節も換気扇を回すのも全て手作業だった。風の入れ具合を調節するのがとても難しかった」
と、昔を振り返りますが、機械で管理できるようになった現在でも、朝目が覚めて、寒さに気づくと、
「夕べもっと温かくしておけば良かった・・・」
と、気がつけば、ヒナの事を考えることがあるそうです。
「『暑いー』や『寒いー』と、しゃべってくれないから困る(笑)」


「ヒヨコがいないと寂しいんだ。いるといないとでは、何となく身体持て余すんだ。
辞めるかなと思ったけど、皆さんが手伝ってくれたおかげで再建することができた。
とてもうれしい。
仕事は生きがいなんだ!!」
そして、40年以上も休むことなく働いてきたことに対しては、
「ヒナを若鶏に成長させて、業者に良い評価をもらっても、満足するっていうことがない。常に改善点を考えていた。その成績で満足するということがないんだ。
だから、面白いし、ここまでやってきたんだと思う」
7万羽収容していた以前とは違えど、仕事に対する想いは変わっていません。
常に前進しているように思いました。

「私の選んだ道、養鶏業は育てる喜び、悩み、そして楽しみがあり、
幾度かの困難を乗り越えながら前向きに考えています。
身体と相談しながら、もうちょっと続けたいと思っています」
高橋芳男さん
「書くのが苦手だから・・・」という芳男さんの思いを奥さんの貴久子さんが代わりに書いてくれました。
「休みながら、調子見ながら頑張らなきゃね」
40年以上も寒い日も暑い日も、風の日も雪の日も共に頑張ってきた貴久子さんだからこそ芳男さんの想いと身体のことが分かるのです。

ヒナが来るとお孫さん方は、友達を連れてきたり、ボランティアの人たちを呼んで来ては、自慢のヒナを見せていました。
今回も2人は、ニコニコしながらヒヨコを見ていました。

12月半ばには、このヒナも大きくなって出荷されます。
それまで、高橋さんご夫婦は、ヒナを立派に育ててくれるのです。

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私たちが何気なく食べている「物」
それは、簡単にポンッと出てくるものではありません。
寒くても暑くても毎日毎日手を掛けて育てられています。

「いただきます」
生き物の命をいただきます。
そして、高橋さんのような普段見ることのできない生産者や食品加工する人、
それを食卓に並べてくれるお母さんへの
「ありがとう」が込められています。

何気なく言う言葉も、心を込めて言ってみてください。
普段よりもおいしく感じるかもしれません。

(取材日 平成25年11月10日)