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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年11月27日水曜日

2013年11月27日水曜日12:07
YUUです。

宮城県遠田郡美里町(みさとまち)は、2006年に同じ遠田郡の小牛田町と南郷町が合併して誕生しました。

その名にふさわしく、どこまでも広がっているような田園風景が続く道を隣接する石巻市方面から進むと、道路沿いから少し奥まった場所に、流線形の外観が目を引く、新築らしい建物がありました。

缶詰製造ライン、缶詰を100万個以上保管するための倉庫が備わった新工場
株式会社木の屋石巻水産 美里町工場

上の写真の建物は、石巻市に本社がある水産加工業、株式会社木の屋石巻水産の美里町工場です。今年(2013年)3月に完成、6月から本格的に稼働を開始しました。

この外観は、鯨をイメージしたそうです。

木の屋石巻水産の鯨の大和煮7号缶。現在では見掛けることが少なくなった
果実7号缶の中には、鯨本来の旨みを活かした大和煮がたっぷり

木の屋石巻水産といえば鯨の缶詰。
石巻市民、周辺の自治体に暮らす人々、そして木の屋の缶詰のファンにとってはお馴染みの「石水」マークの入った赤い図柄。
この缶詰の図柄をペイントして広告塔にしていた大型魚油タンクが津波で流されて、被災を象徴するモニュメントとして度々、報道されたのをご存じの方も多いのではないでしょうか。

「タンクそのものは50年前からあったものなんです。2006年から、缶詰の図柄を描いて広告看板のように使用していました」

こう話してくれたのは、株式会社木の屋石巻水産の木村長努(ながと)社長。

同社は、3.11の東日本大震災により石巻市の製造工場、事務所、そして木村社長の自宅も津波で全壊してしまいました。

生産拠点を復旧するに当たり、工場の移転、新築に木村社長は頭を悩ませました。内陸部に移れば津波のリスクは少ないが、新鮮な魚をすぐ加工できるというメリットは減る。最終的に役割分担による工場の分散化を決断し、缶詰製造ラインを有する新工場が美里町に誕生しました。


石巻市魚町(さかなまち)の株式会社木の屋石巻水産本社工場
魚の選別、冷凍などを行っています
津波で全壊した工場は今年、2月13日に稼働再開しましたが
現在も一部復旧工事が続いています


木の屋石巻水産は昭和32年創業。石巻市で50年以上続いてきた会社です。

「創業時は鯨の缶詰を作れば、売れる時代だったと聞いています。その後、200海里や捕鯨規制などの問題が発生して経営環境が苦しくなりました」

さまざまな外的要因により捕鯨環境が一変し、鯨の商品が作れなくなる時代が到来し、木の屋石巻水産でも、鯨以外の商品の開発、販売にシフトせざるを得ませんでした。その後、調査捕鯨などにより、再び鯨が水揚げされるようになりましたが、その頃すでに、鯨を扱う水産加工業者は、同社の他には全国でも大手3社ぐらいになっていたそうです。

現在、鯨の缶詰は、調査捕鯨による冷凍保存のものを年間を通じて使用しているので、商品は通年出荷が可能です。
震災以前は、春は小女子、いさだ。夏はいわし。秋はさんま、さばなど、40種類もの旬の地場産品を素材とした缶詰を製造していました。


美里町工場内に設置されている見学者用の販売スペース

「鯨の缶詰だけを主力に作っていればいいという時代が過ぎ、経営的にもいろいろ大変な思いをして、石巻に水揚げされる新鮮な魚を当社独自のフレッシュパック製法で製造する方式を生み出しました。原料となる素材を厳選し、素早く加工、通常機械に任せるものに人の手を加るのがポイント
でしょうか」

保存食としても重宝される缶詰は、価格競争に巻き込まれてしまうアイテムでもあります。

木の屋石巻水産では、スケールメリットが重要視されてしまう価格競争にはあえて背を向けて、品質の追求にによる差別化した商品にこだわりました。冷凍原料を使用することが多い業界の中で、生で脂のりの良い素材を厳選しているそうです。

「海外から原料を輸入するのもいいが、地元には素晴らしい海産物が豊富にあるのにもったいない。当社の商品の約9割は地元石巻産のものを使用しています。幸いに『木の屋さんの商品は違う』と一定の固定ユーザーの方々から認められているのは大変ありがたいことです」


美里町工場のラウンジスペースに大切に保管されている
(同社に集まった)ボランティアたちからのメッセージ


固定ファン、リピートユーザーが多い木の屋の缶詰。

3.11の震災、大津波により石巻工場の倉庫にストックしていた缶詰約100万個ほどが流されてしまいました。石巻および周辺の沿岸地域で被災した人々が、この木の屋の缶詰によって飢えをしのぎ、生き延びたという挿話は、震災後、新聞やテレビ等にも紹介されました。

「津波で流されてしまった缶詰が『命の缶詰』、『希望の缶詰』と呼ばれ、被災された方々の命の糧となったことは幸いでした。もちろん、缶は密封されているため、中身は食べても問題ありません。缶詰が非常食として大きな役割を果たすことを改めて痛感しました」

上の写真のメッセージボードは、被災後の石巻工場の倉庫跡にあった板に、缶詰の掘り出しや洗浄に集まったボランティアたちがそれぞれの想いをつづったものだそうです。

木村社長は、会社の宝として、これからも大切に保管していくと言います。


木の屋石巻水産の人気商品。サバ、イワシ、サンマの缶詰めともに
旬の地のものを独自のフレッシュパック製法で加工する

希望の缶詰の話は、被災者の命を救っただけではありません。

東京都世田谷区経堂(きょうどう)北口の外食店の一部では、震災以前より、サバ缶を使ったメニューを採り入れて「サバ缶の街」として、集客戦略を展開していました。中でも、石巻産の金華サバを使った木の屋の缶詰は、その味に惚れ込んだ店主やお客さんが非常に多かったといいます。

「ちょっと面はゆい話ですが、私どもの方から商品を売り込んだわけではなく、経堂の複数の飲食店さんから、ぜひ、木の屋さんの缶詰をメニューに載せたい。日本全国のサバ缶を食べ比べてみたが、一番おいしかったと言われ、取り引きが始まったんです」

震災後、石巻地域の被害状況を知った経堂の飲食店の人々が、会社宛てに、流されて、ヘドロまみれになってしまった缶詰を掘り起こして送ってくれ、と申し入れたそうです。

「ほんの一部を送ったら、もっと大量に送ってくれというんです。何でも、義援金を送る代わりに皆で缶詰を洗って、都内在住の多くの人にこの缶詰を買ってもらおうよ、と提案してくださった方がいたそうです」

泥とガレキの中から掘り返した缶詰の総数が約40万缶。

中には、缶詰とはいえ提供できない状態のものも多数含まれていて、24万缶ほどを東京へ送ったといいます。

集まった4000人ものボランティアの人たちが缶詰を洗浄しました。

商品情報、製造者名が記された紙巻のラベルは当然、皆、剥がれていて、そのまま普通に売ることはできません。そこで、「復興義援金をいただければ、この缶詰を差し上げます」という形式をとって販売したそうです。

「送ったすべての缶詰、約24万缶が完売しました。本当にありがたい話です。品質に自信はありますが、ラベルはなく、中には、開けてみないと中身が分からないものもありました。いただいた義援金は社員たちに生活費として分配することができました」


「希望の缶詰」の販売会の様子
多くの人々の想いによって積み上げられた缶詰は完売しました

サバの缶詰は、石巻港に大きいサイズの金華サバが水揚げされるようになったのが開発、販売のきっかけだといいます。

金華サバは有名な関サバと同様、石巻沖の金華山周囲の「根」(海底の岩場)に生息して回遊しないサバのことで、一見するとシマアジなどと見間違えてしまうブランドサバです。そのなかで、大きくて形の良いものを速やかに加工して、かつ味付けは独自の製法で手間を掛け行うわけですから、ある意味、おいしくて当たり前、といえるような商品です。

「贅沢な素材選別、製法のようですが、遠回りなようで、良いものを作って販売することが生き残る道だと考えてやってきました。サバ缶に限らず、イワシ、サンマなども旬の地のものを使う。加工は速やかに、味付けの材料は吟味、手間を掛けてという基本は一緒です」

同社の広報担当を務める松友倫人(みちひと)課長代理が「今年一押しだ」というイワシの缶詰は、
やはり、朝一番に石巻市場に水揚げされた背の色がエメラルドグリーンの真イワシ。お刺身でもおいしいほど鮮度の良いその日のうちに加工するといいます。

「サバ缶ももちろんお薦めですが、脂のりの良い大振りの真イワシをフレッシュなまま、味付けなどはきちんと手間をかけて加工するという製法は、当社ならではのものだと自負しています」(松友さん)

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多くの被災者の命を救い、都内を中心に約24万個ほどの缶詰が完売したという「希望の缶詰」。

「被災したことにより当社の缶詰を手に取った方や、支援の気持ちで初めて購入していただいた方においしい、また買うよと言っていただいたのが大変うれしかった。実際に食べてもらって味を評価してもらい、リピーター利用が広がったことは会社にとって大きな財産」

この話は、偶然舞い降りた美談ではなく、品質重視の生産に真摯に向き合ってきた会社だからこそ導かれた、復興支援における一つの心温まるエピソードともいえるのではないでしょうか。

「新工場は完成したけれど、課題は山積しています」

と、木村社長が話す美里町新工場完成までの道筋、今後のグランドデザインなどについては、あらためて後編で紹介したいと思います。

株式会社 木の屋石巻水産
kinoya.co.jp/eccube/

(取材日 平成25年11月11日)