header

宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

ヘッダー写真説明文

写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年10月1日火曜日

2013年10月1日火曜日12:11
こんにちは、Chocoです。

皆さん、何か目標はありますか。
それは小さな目標だったり、何度も何度も苦戦しながら達成することだったりします。
目標は誰でも持つことができます。
そして、達成することもできます。
でも、目標は持てても、何度も挫折して、何度も諦めて・・・。
私には、よくそんなことがありました。

そんな弱い心に喝を入れてくれた方を、今回は紹介したいと思います。

女川町にある株式会社御前屋の代表取締役、佐藤広樹さんです。

佐藤さんは自分の会社経営だけではなく女川町全体の町づくりにも携わっている方でした。
会社の社長であり、町づくりの会員であったり、父親であったり・・・
いろいろな顔を持つ佐藤さん。
しかし、そこには共通することがありました。
それは「芯の強さ」です。
忙しく動き回る佐藤さんの想いの先にあるものとは・・・。


====================

私が、佐藤さんに初めて会ったのは、7月の下旬でした。
海外から来ていたジャーナリスト志望の大学生と共に佐藤さんの事務所へお邪魔しました。

「何でも答えるよ」

気前の良い佐藤さんは、学生の質問に丁寧に分かりやすく答えてくれました。

シンガポールから来たジャーナリストを目指す学生と佐藤さん
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

佐藤さんが経営している株式会社御前屋は、創業62年の老舗です。
震災の前までは、スーパーマーケット「女川スーパーおんまえや」と旅館「海泉閣」を営んでいました。

地震発生後、女川湾から200メートル程の距離にあったお店と事務所に津波が襲い、当時社長だった佐藤さんの母親、常務だった姉、創業者であった祖父母、当時お店で働いていた従業員が津波の犠牲となりました。
その当時、専務だった佐藤さんは、仕事の用事のため石巻方面に向かって車を走らせていました。すぐに、女川に引き返しましたが、町が見えるところまで来た頃には、女川の町は海に沈んでいました。
そして、津波は先代が築き上げたもの全てを、大切な人と共に持ち去ってしまいました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「辞めるか、再建するか・・・」
被災した後、全ての人々がこの問題にぶつかります。
悔しい決断をする人、涙を押し殺して決断する人、強い信念を持って決断する人・・・
人それぞれ決断することは異なります。
しかし、多くの人々がその決断を下すまで、たくさんの想いと葛藤があったのだとおもいます。


「ここで、今まで飯を食わせてもらって、おい(私)もこうやって大きくしてもらった。やれば赤字かもしれない。じゃ何でやるのと言われると・・・
それは、自分自身の意地なんだと思う。スーパーの店舗内でおいも育ててもらったし、そいつで家族を奪われた。やっぱり悔すねー(悔しくて仕方がない)」

佐藤さんは、先代が築き上げたこの店を再建するという決心を固めたのです。

そして、無事だった従業員とともに「女川スーパーおんまえや」の再建を目指し、震災直後から動き出したのです。

震災直後は、避難所で食料を配ったり、炊き出しの手伝いを行ったり、さまざまな活動をしました。
そして、津波の難を逃れた移動販売車を走らせて、震災から2カ月も経たない5月6日から、女川町内を中心におんまえやの移動販売を再開しました。

経営していた旅館の海泉閣では、半年間避難所として地元の人を受け入れ、その後は、復旧工事のために来ている作業員の方々の宿泊施設として利用されています。


現在、大きく分けて3つの事業を展開しています。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
旅館経営
復旧工事が行われている中、女川町は町の80%が壊滅状態のため、宿泊施設も不足しているという事態を知り、佐藤さんは空家、空き地などを探し回りました。
そして廃墟となっている場所を探し当て、震災11カ月後には「清和荘」を営業しました。
昨年の11月には「なごみ荘」の営業も開始されました。
今では、3軒の宿泊施設を運営しています。
そして、多くの建設業者の皆さんが復旧作業を行うために宿泊しています。

お弁当配達
御前屋では、宿泊施設に宿泊の場合は朝夜の2食だけでなく、昼食(弁当)も付くそうです。それ以外にも女川町内であれば、1個から配達可能だそうです。また、オードブルなども注文できます。

日替わり弁当400円
このボリュームで400円は安いです!

女川スーパーおんまえや(移動販売・ショップ)
女川町立病院の眼下に女川町の中心街がありました。「スーパーおんまえや」もそこにありました。
現在、女川町では、かさ上げ工事が行われています。そのため、スーパーの再開は工事完了後になります。

震災前から、南三陸の手前の旧・雄勝町、旧・北上町、大川地区、牡鹿半島(いずれも現在は石巻市)、東松島市など、買い物に出歩くのが困難な地域を中心に移動販売も行っていました。

(女川スーパーおんまえやHPより)

また、今年の9月13日には、女川魚市場に「おんまえやショップ」がオープンしました。
(女川スーパーおんまえやHPより)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「最終的にはスーパーをやると決めている。
そのためには、いくら自分の店が良くても、女川町が良くならなければ始まらない。
皆が住みやすい環境、皆が来やすい町になるためにどうすれば良いのかを考えているんだ」

町づくりの会議や、さまざまな組合などに参加している佐藤さんは、同じように考えている人々と共に、住みやすい町にするための土台を作っている最中です。

その会議は、仕事終わりの夜の9時頃から始まります。
そうすると終わった頃には日付がまたぐ場合もあります。
いくら夜遅くても、会議は妥協することはなく、常に真剣な話し合いが進められています。

「津波の犠牲になったのは家族だけではない、会社のために一生懸命働いてくれた従業員も亡くなってしまった。
今残ってる人とともに立ち直るんだ。
自分は、たまたま居なかったから助かったんだ。
だから、この人たちのために何かをしなければならない」
佐藤さんには、津波で犠牲になった人々のためにも「良い町にする」という想いが強くあります。

「まだ2年半しか経っていない。ここからが正念場なんだ」

これから厳しくなるという時に大切にしたいのは、やはり「助け合い」でした。
震災後、社長になり、経営者を経験したことがない佐藤さん。
その状況を知り、察してくれて助けてくれた人がいたそうです。
お互いが苦しい状況で、それでも損得勘定なしに、ただ「助けてあげたい、支えたい」と一歩踏み込んで来てくれた人の温かな想いは、今も佐藤さんの心に残っています。

そんな人々の支え、従業員の支え、家族の支えを受け止めて、佐藤さんはスーパーの再建を目標に走り続けています。

メッセージボードに書いてくれた言葉は、「和」。

「和」
おんまえや 佐藤弘樹さん
「『和』は、常に和むということや場が和らぐ、そして平和を意味する。
一日一日和んでいくことによって、心は豊かになる。そんな想いで書きました」

生まれ育った町のために、会社のために、先代の為に、従業員の為にという想いで佐藤さんは日々走り回っています。
その温かな心は、全てに繋がっていました。

佐藤さんの家族は奥さんと4人の子どもたち、そして1人の甥っ子です。
津波で母親を亡くした甥、つまり佐藤さんのお姉さんの子どもにとって、佐藤さんは時には父親のような存在です。

彼は高校1年生になり、仙台の高校へ進学、野球部に入り毎日部活動に励んでいるそうです。
「お前のやりたいことは何なんだ? 目標を決めてそれに向かってとことんやれ!! 目標が決まれば、自ずとやるべきことが見えるんだから」
と、進路に迷っていた彼を見て佐藤さんは叱咤激励したそうです。

「目標を失ったとき、人はぶれる。
だからこそ、その過程が大切なんだ。
そして、何でもいい、1つのことをやり切ることに意味があるんだ」
と、佐藤さん。
「目標を明確にして、それにひたすら向かう。
それがまっすぐ直線に行くのか、右に少し曲がることもあるかもしれない。
100mで着くところが、200mで着くことになったって、それはそれでしょうがない。
達成できれば良いんだ」

佐藤さんは社長として、親として、「大黒柱」です。
大黒柱がいるからこそ、支える人々がたくさんいます。

佐藤さんは、ぶれることなく目標へ突き進んでいる方でした。

========================

これからも「女川スーパーおんまえや」は、地域密着スーパーです。
9月13日には、女川魚市場でおんまえやショップがオープンしました。
少しずつ少しずつ、復旧工事とともに前に前に進んでいきます!!

女川の町ができるとき、「女川スーパーおんまえやの再建」が実現されます。

再開されるのが楽しみです!!


女川スーパーおんまえや
http://onmaeya.com/onagawa_super.html

(取材日 平成25年8月5日)