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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年10月31日木曜日

2013年10月31日木曜日11:19
山元町にある小さなFM放送局の「りんごラジオ」は、東日本大震災から10日後の、2011年3月21日午前11時に「臨時災害放送局」として開局しました。
その当時、山元町の避難所では1つの携帯ラジオを2重3重に囲み、食い入るように聴く人々の姿がありました。




こんにちは エムです。

大地震が起こり、電気やガス、水は止まり、情報は全く入らない中、心細い時間を過ごした私たち。
わたくしエムはその時、発電装置の付いた懐中電灯兼携帯ラジオを持っていました。発電装置と言っても、手でグルグル5分回すと1分ラジオが聞ける程度のオモチャのような物です。
しかしそれでもラジオから聞こえる人の声や音楽がありがたかったし、情報には助けられました。

震災の津波は、山元町や亘理町など宮城県の沿岸南部にも甚大な被害をもたらしました。
しかし、報道機関の取材が沿岸北部に集中してしまい、頼りになるはずのラジオからも新聞からも約5日の間、地元の情報は全く入らない状態が続きました。


手作りの看板。リスナーからの思いの込もった贈り物です。

山元町から発信する山元町のための放送局が必要だと確信した「りんごラジオ」局長の高橋厚さんは、行動を始めました。

「震災前に、山元町と亘理町の有志でコミュニティーラジオを作ろうと動いてはいたんですよ」
元東北放送アナウンサーの高橋さん(以下 高橋局長)は当時を振り返って言いました。

そのような準備も幸いし、前から親交のあった新潟県内のラジオ局から機材を送ってもらう事ができました。機材が届いたのは発注した3日後という早さだったそうです。
臨時災害局の申請には斎藤俊夫 山元町町長が迅速に動き、ラジオ放送の手伝いには高橋局長が主宰する「はなし方教室」の生徒さんや知り合いの方10数名が駆けつけました。

もともとあったコミュニティーラジオが震災後に臨時災害放送局となったケースが多い中、「りんごラジオ」は震災後に白紙の状態から立ち上げた局なのです。

この時も町の関係者を招いての生放送中
そおっと歩きますね

高橋局長が山元町に移り住んで10年。定年後、里山で畑でも耕しながらゆっくり暮らそうと思っての移住だったそうですが、その希望は震災で一転しました。

開局と同時に1日も休まず6カ月(180日間)、1日15時間 高橋局長は働き続けました。
出演者は山元町町長、消防士、自衛官、町民、いろいろな人に出てもらって、現状を報告・提供してもらいました。また、お風呂や給水車の場所の案内やスケジュール、仮設や交付金などのさまざまな山元町内の情報を朝7時~夜7時まで発信し続けたのです。
夜7時以降は「りんごラジオ」の選曲による音楽を朝まで流し続け、事実上の24時間放送でした。

奥にある町役場の屋上から電波が発信されています

「『りんごラジオ』の最大の特徴は、開局以来1日も休まず放送している事と、100%自社制作であるという事の2点です」
誇らしげにそう言った高橋局長ですが、情報の発掘、開拓は並大抵ではないご苦労があると、うかがい知ることができます。
実際に、高橋局長自ら、今でも毎日のように取材に駆け回り、その記事を編集・原稿にまとめ、ある時は読み、あるときはスタッフに指示し番組を作っています。その他に「りんごラジオのブログ」の更新も高橋局長が行っており、記事と画像を掲載しています。
しかし今ではスタッフもすっかり力を付け、高橋局長と共に番組作りを行っています。

現在、高橋局長の労働時間は10時間ほどに減り(!?)1日の番組の構成も震災当時とは変わっています。しかし「地域の事は地域で伝える」という番組作りの姿勢は今も貫いています。

ここを訪れたたくさんの著名人の写真とサインが壁いっぱいに貼られています

多くの人が「りんごラジオ」を応援しているのですね

ところで、この「りんごラジオ」のような臨時災害局は東日本大震災後3年に当たる2014年3月に放送免許の期限を迎えます。
正式にコミュニティー局になり継続することは可能ですが、それは町の補助金やスポンサー企業からの収入が必要になるということ。

「現在でも仮設にはたくさんの町民が住み、県外へ避難している人もいます。常磐線の復旧もこれからです。山元町が復興するまでは『りんごラジオ』は続けていきたい。
しかし、まだまだ復興途上にある山元町の皆さんの税金を使うのは心苦しい」

高橋局長は現在のような国の復興交付金を活用している形を維持するため、「りんごラジオ」の更新を総務省に申請することに決めました。認められれば2015年3月まで延長されます。また1年後に延長手続きをし、目標は2016年まで、最長2年の延長を目指す予定だそうです。

「臨時災害局を作る側のもっと続けたいという『意気込み』や『情熱』だけでは、被災者の状況・気持ちに沿っているとは言えない。むしろコミュニティーラジオに体制を変えて続ける事が被災者の負担になりかねない」
「ベストの選択は、復興交付金で運営する今の体制をもう2年延長することだろうと考えての判断です」

臨時災害局は震災後、岩手、宮城、福島3県の各地でも開局されていますが、「りんごラジオ」と同時期に免許の期限を迎えるケースが多いそうです。「りんごラジオ」と同様に岐路に立たされている臨時災害局の今後が注目されます。

片時も止まらない局の中。活気に満ちていました

高橋局長は、情報の無かった町に情報を伝えたいという一種の使命感と、こういうことができるのは民間放送で36年仕事してきた(元プロの)人間だからこそだろうという義務感でラジオ放送作りを続けてきました。
「りんごラジオ」の内容はあちらこちらで高い評価を受けています。

局で持っている音楽のCDの一部

地域のラジオ局が無くなるのは心寂しいものがありますが、高橋局長の体のことも気になります。

現在は、土日はお休みを取るようにしているそうですが、原稿の執筆や講演依頼があることもあり、中学校での「話し方教室」の講師なども引き受けています。また、イベントなどもあれば休み返上で取材に出掛けます。高橋局長の思い描いた「里山の暮らし」の実現はまだまだ先のようです。

とても充実した(?)毎日を送られている高橋局長の目下の要望は、
「番組に対する町民の方からの反応がもう少し欲しいところですね」というお返事。
番組に対する要望や反応を元に番組が進行、流れていくようなことがあると、番組にもっと活気が出るのですけどね」

被災した常磐線坂元駅の壁に掛けられれいた看板

記念撮影用看板
(高橋局長デザイン・山下中学校の美術部制作)

人の声を直接聞き、確かな地域の情報を発信する。
報道に携わる身には根源にあるべき大事なことです。しかし、現代はややもすると簡単に手に入るパソコンの情報に頼り、パソコンで調べることで分かった気持ちになってしまうことも少なからずあるものです。
でもそれでは生きた本当の情報は得られませんし、画一されたものを流されても聴取者に飽きられてしまうでしょう。それは報道のみならず、人と人とのコミュニケーションを育むうえでも注意すべきことです。
「話す」という行為を通して私たちが高橋局長から学ばなければならないのは、そういったことではないでしょうか。

山元町役場(仮設)敷地内に設けられた小さなラジオ局
それが「りんごラジオ放送局」です

「りんごラジオ」はインターネットの【サイマルラジオ】で全国どこからでも、または海外でも聴くことができます。
また、通常のラジオ放送の他、ブログFacebookと合計4つの情報発信の方法をとっています。

私も仙台から「りんごラジオ」。聴いてみようかな。

ポリシーは2つ。「良い町には声がある!」……良い声があればあるほど良い町作りにつながる
   「小さくともラジオ局!」……軸足は町民に。公の指示は受けない
高橋局長とスタッフのみなさん

スタッフは20代、30代を中心に9人。週5日から2日と、出勤日数に幅があります。


山元町臨時災害FM放送局「りんごラジオ」
TEL/0223-29-4772
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「サイマルラジオ」



「りんごラジオ」は
山元町特産の「りんご」と、戦後の日本人を元気付けた
「りんごの唄」に復興の思いを込めて名付けられました

(取材日 平成25年10月15日)