header

宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

ヘッダー写真説明文

写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年9月6日金曜日

2013年9月6日金曜日16:12
「師匠との約束を守って私の店では、あんこの『たい焼き』だけで商売をしています」

気仙沼市魚町でソフトクリームとたい焼きの店「おのでら商店」を営む小野寺悟さん(63歳)は、兵庫県神戸市でたい焼き屋さんと出会ったことをきっかけに、平成5年から自らも「たい焼き」を商売として始めました。

気仙沼観光桟橋付近は建物の基礎が残る場所があります


小野寺さんの店は気仙沼の内湾、気仙沼観光桟橋の旅客船乗り場から歩いて5分ほどのところにあります。4軒が入居する仮設店舗の一番北側、赤い「たい焼き」の暖簾と大きなソフトクリームの看板が目印のお店です。

赤い「たい焼き」の暖簾が目印のおのでら商店


震災の前、小野寺さんは今の店から海岸道路沿いに少し南に行った港町でたい焼きと海産乾物の店を営業していましたが、大津波のため店舗と自宅が流失しました。

数日間続いた雨が止み青空が見られました

震災後、奥さんの出身地である仙台市への移住と店舗の移住も考えましたが、奥さんの「仙台より魚町(気仙沼市)が好き」という言葉に後押しされて、気仙沼で商売を再開することにしました。

魚町にある仮設店舗
そこでまず、中小企業基盤整備機構(中小機構)の支援を受けて自分の土地に仮設店舗を建てることにしました。
もともと魚町で一緒に商売をしてきた店主さん3人と、気仙沼市唐桑町から移設した店主さんと4店舗で、平成24年9月から営業を再開しました。
仮設店舗の中には小野寺さんの店の他に、八百屋さんとお茶屋さん、電気店が営業しています。


ところで、海産乾物の店でどうして「たい焼き」なのでしょうか?

震災前から、小野寺さんの店のたい焼きは地元の人のたばこ(たばこ=10時や3時の休憩のときに食べるおやつ)や船員さんの託送品、身近な人へのお土産に大人気でした。
売られているのはあんこの「たい焼き」のみ。
店の前にはたい焼きを求める人が列を作ることもありました。

===========================

小野寺さんは、気仙沼市大島出身です。大島で海産乾物を扱い岩手県や秋田県などに行って販売をしていました。
平成元年、兵庫県神戸市の百貨店で開かれた気仙沼の物産展に気仙沼物産振興協会の推薦で出店し、海鮮弁当などを販売しました。
6日間の催事の期間中、小野寺さんの店に毎日ホタテ丼を食べに来るお客さんがいました。
その人に「気仙沼のホタテはうまいかい?」と声を掛けました。話をすると、その人が百貨店の近くでたい焼きを売っていることを知りました。
小野寺さんは、さっそくその人~「齋藤さん」という方でした~の店に「たい焼き」を食べに行きました。
たい焼きのあんこの味に魅了された小野寺さんは、たい焼きの作り方を教えてほしいと、焼いていた齋藤さんに頼みました。

師匠の教えをかたくなに守って焼かれている「たい焼き」

齋藤さんは、小野寺さんに「たい焼き」を教える条件として「あんこの味を変えないで我慢できるか?」とたずねました。
小野寺さんは「あんこの味は変えない」と約束をして、「あんこ」の作り方とたい焼きの焼き方を教わりました。

気仙沼の人達の「たばこ」やお土産に人気です


小野寺さんは、平成5年から港町の「お魚いちば」の一角でたい焼きを売り始めました。
はじめのうちはお客さんから「たい焼きのあんこに甘みが足りない。砂糖をケチっているのか?」と言われたこともありましたが、小野寺さんは齋藤さんとの約束を守り続け、けっしてあんこの味を変えませんでした。
震災後、店を再開した今も、齋藤さんのあんこの味を守り続けています。

小野寺さんは齋藤さんに感謝の気持ちを伝え店の再開の報告をしたいと思っていますが、平成7年の阪神淡路大震災以来、齋藤さんとは連絡が取れなくなっています。
小野寺さんは齋藤さんの消息を懸命に探しましたが今も消息はわかっていません。

小野寺さんは
「齋藤さんが存命であれば会いたいと願っています。元気でいれば現在95~97歳くらいになっていると思います。私を信頼して努力して作られた『あんこ』を教えてくれた人です。今も齋藤さんの思いを大切にしていることを伝えたい」
と話します。

======================

小野寺さんは、震災後1年6カ月間仕事ができなかった時のことを振り返り、
「仕事ができることはすばらしいことです。仕事ができなかった時はとてもさびしかった。仕事をしていると、『仕事に仕事を教えられること』もあります」
と話します。

「たくさんの人のおかげでここまで来ました」と話す小野寺さんご夫妻

震災前に店があった場所の目の前には防潮堤が建つ計画があります。今仮設店舗がある場所もいずれは移転しなければなりません。

奥さんは、気仙沼で生活を始めて30年。
「津波は怖いけれど、海は好きです。海が見える風景は大切にしたいですね」
と話します。
「津波警報が出たらすぐに逃げるから・・・気仙沼の風景はねっ~! 今後のためにも選択しはできる限り多いほうがいいですね」
と小野寺さんは話します。


店内には海産乾物が並んでいます

震災から2年5カ月。
「私たちは震災から生かされました。世の中のためになりたいと思います。ないといいのですが、他の地域で災害が起こったら支援に行きたいです。妻のためにもまだまだ頑張っていきたいです」
小野寺さんは話します。

気仙沼観光桟橋には仮の駐車場が設けられ大島へのアクセスにも便利です


店には子どもからお年寄りまで多くの人がたい焼きを買いに来ます。
店の前にはすずめも、たい焼きの端の部分を切ったものをもらいに集まっています。

たくさんのスズメが「たい焼き」の端をもらいに来ています

生まれて1年目の子スズメもエサのおねだりに来ています


販売を始めたころには「甘さが足りない」と言われたたい焼きも、今や気仙沼の味、「おいしいもの」になりました。
今は外国から訪ねてくる旅行客にも「タイヤキ オイシイ」と大人気です。

小野寺さんは「震災直後の状況を経験したら、今後は何でもして生きられるよね」と話していました。

気仙沼の海産物を中心に様々な海産物が店内に並べられています

kaiiもそう思います。
あの状況の中から生きて今の生活があります。
絶望とはこんなことをいうのか? と思った、震災直後の絶望的状況から2年5カ月。電気も電話も水道も使え、おいしい食事をいただけます。小野寺さんのたい焼きが我が家にもお土産に届くこともあります。この普通の生活をとても幸せだと思います。

小野寺さんの「たい焼き」は、遠洋で働く漁業船の船員さんにも気仙沼の味として託送品で送られています。
遠い海の上で働く漁師さんには感謝価格で販売されています。


「おのでら商店」
定休日:不定休
営業時間:午前8時から午後6時まで


(取材日 平成25年7月30日)