7月最初の週末以降、東北地方でも熱帯性気候の早過ぎる到来に悲鳴を上げる人が続出。今年の夏はえらいことになるかも、と身構えていたら、中旬以降の仙台市は、関東以西の方には申し訳ないような涼しい日が続いています。
海に面した仙台市は、夏の涼しさだけじゃなく、海にさまざまな恩恵を受けてきました。物流、海産資源の恵みなど、伊達政宗の先見性は確かだったようです。
仙台藩から宮城県へと受け継がれた地域の発展に海と良港の存在は欠かせませんでした。
ところが、3.11の震災では、この恵みの海が大惨事をもたらしました。
名取川沿いから海岸線にかけての護岸工事が現在も続く閖上地区 |
江戸時代以前より良港として栄えた歴史のある名取市閖上地区。
藩政時代は伊達政宗が開削させたといわれる日本最長の運河、貞山運河(堀)を使い、仙台城下に海産物を運んだそうです。
夜の凪(なぎ)の時間帯を思わせる、風をほとんど感じない7月の晴天の1日。堤防沿いから穏やかな名取川の水面を眺めていると、閖上地区に牙をむいた大津波は夢物語ではなかったのか、と現代でも制御不能の自然の大きすぎる力をあらためて感じます。
震災以前はこの更地一帯に家屋が建ち並んでいた |
震災直後の閖上地区の映像をご記憶の方も多いかと思いますが、地震と津波によって倒壊したり、流されてしまった家屋のがれきは撤去され、現在は、上の写真の堤防付近だけではなく、至る所に更地が広がっています。
35年前の宮城県沖地震後に土蔵から鉄筋コンクリート造に立て直したという 佐々木酒造の蔵。RC造に建て替え済みだったため、 津波の直撃は受けたが、原形はとどめている |
堤防付近の更地が広がる一帯に、原形をとどめている家屋が一軒ありました。
案内してくれたのは、写真に写っている男性です。
震災以前は、この場所こそがこの方の仕事場でした。
今年度より蔵出しが再開した「宝船 浪の音」 |
「宝船浪の音(ほうせんなみのおと)」の蔵元。
閖上1丁目で140年の歴史を持つ老舗の造り酒屋、佐々木酒造店の専務取締役、佐々木洋さんが、旧工場の内部から、付近一帯を案内してくれました。
2011年3月11日、午後3時57分、大津波が全てを飲み込みました |
酒蔵内の時計は、2011年3月11日、大津波の直撃を受けた時間で止まっています。
佐々木さんは異変に気付くや否や、条件反射的に、走って鉄筋コンクリートの蔵の屋上に駆け上がったといいます。
「本当に紙一重の部分で難を逃れることができたんだと思います。津波に気付くのが少しでも遅かったら、助からなかったでしょうし、酒蔵の外装を震災の前の年に改修したばかりだったことも幸いしました」
酒蔵の屋上から眺める津波の様子は、閖上で生まれ育った佐々木さんも、想像の範囲外の規模だったと当時を振り返ります。
「屋上にはたどり着いたものの、その時に一望した周囲の様子から自分は助からないかもしれない、と感じました。屋上といっても、大型商業施設のような高さではないですし、今は持ちこたえても余震の続く中、第二波、第三波が来たらどうなるか…すぐには安心できる状態ではありませんでしたが、そうしたなかで避難策を講じていました」
津波は、酒蔵の3分の2を飲み込み、水面からは大量のがれきが飛び出していました。
奇跡的に無事だったタンクには「酒有」の文字を記した |
倒壊したタンクの様子 大津波はほとんどのタンクをなぎ倒し、壁に叩きつけた |
津波は多くの機材や貯蔵タンクをなぎ倒し、流しただけではなく、大量のがれきや土砂を蔵の中に呼び込みました。
通常なら転倒するはずのない、大事なお酒の入った貯蔵タンクは全て倒壊し、中の酒が流されてしまったりしたそうです。
上の写真の「酒有」の文字は、横倒しになった密閉タンクのなかで、奇跡的に中の酒が無事だったものを発見し、記したものだといいます。
「酒蔵は建物こそ原形をとどめていたものの、蔵の中に流入した土砂やがれきの量がものすごくて、
当初は、とてもタンクの中の酒が無事だとは思えなかったですね」
それでも、損傷の少ないタンクを念のために調べてみると、3本ほどのタンクの中身が無事だったことがわかり、2012年の3月11日に合わせて、震災復興酒として、販売にこぎ着けることができました。
「酒造設備はことごとく破壊されました。瓶詰めする機械も当然、ありません。それでも、せっかく酒の一部が無事だったのだから、一年後の3.11になんとか世に出したいと考えました」
3.11の震災は、自身の酒蔵、自宅を破壊しただけではなく、歴史ある蔵が共に歩んできた愛着ある閖上地区に甚大な被害を与えました。
震災から1年と区切りの時に、この地で酒造りを続けていく意思を示したい。復興計画もなかなか定まらない故郷の再興を願いたい。佐々木さんはそんな思いから、酒名を「閖」と名付けました。
「全国からたくさんの支援を頂いているにもかかわらず、一年が経過して何の成果もないで済ませられるか。あれが悪いこれが悪いといって何もしない、できないでいるのは許せない。必ず復興を形にする。酒屋なら酒を売る。蔵元なら造れなくても必ず酒を出す。という強い思いがありました」
中身は、無事だったタンクに残っていた純米酒「宝船浪の音 名取物語」で震災前に搾ってい新酒です。懸念していた瓶詰め作業は、6月にココロプレスで紹介した仙台市荒町の森民酒造本家で、ろ過、瓶詰め作業を行うことで解決しました。
宝船 浪の音の純米酒「閖」 |
「昨年、みやぎ生協さんを中心に数量限定で発売した『閖』は、幸いにも好評で完売しました。同時にたくさんの励ましの声や、浪の音の販売を待っているとの声をいただきました。そんなわけで、2013年度はなんとしてでも、震災後、新しく仕込んだお酒を蔵出ししたい、酒造りを再開することこそが、元の地に蔵を再興する第一歩だとの決意を新たにしました」
佐々木さんは、震災直後の店舗や酒蔵の惨状を見ても、酒造りをあきらめる気持ちにはならなかったといいます。
「酒蔵の屋上で、津波に飲み込まれていく閖上の町の様子を目の当たりにし、生きている自分がこれからしなければならないこと、閖上のためにできることは何かと頭を巡らせました。とにかくどんな形でも良い、故郷を取り戻し、閖上で再び酒造りをすることを考えました」
海を中心とした閖上という地域の成り立ち、その生業、文化、歴史、街並みとともに、佐々木酒造店、宝船浪の音は、酒蔵の歴史を積み重ねてきました。閖上を取り戻すためには、その町を構成する要素の一つであった自分たちの酒造りを絶やしてはならない、との強い思いが揺らぐことはなかったそうです。
「元の場所ですぐに酒造りを再開することはできない。機材も全くない。一からの再出発でしたが、自分たちの意気がそがれることはありませんでした。たくさんの方が支援の手を差し伸べてくださったことも大きな力になって、今年度、震災以降に仕込んだ酒を初めて蔵出しすることができました」
今年初頭に蔵出しした新酒は、「閖」の写真を撮影した仮設工場で、酒造りの工程が全て行われました。
現在、全国に日本酒の蔵元は数あれど、仮設の工場で酒造りを行っているところはないでしょう。
仮設といえばプレハブ、酒造りに欠かせない温度管理も大変です。新品を購入すれば数千万円はかかるという酒米を蒸す機械など、必要な機材は全て津波で駄目になってしまっています。
こうした状況下で、佐々木さんはいかにして今年度の蔵出しを実現することができたのでしょう。
閖上1丁目の、震災以前の佐々木酒造店跡地から、名取市下余田にある名取市復興工業団地内の仮設工場に場所を移し、次回にその軌跡を紹介したいと思います。
2013年7月30日火曜日
揺るがぬ酒造りへの思い~佐々木酒造店・後編(名取市)
http://kokoropress.blogspot.jp/2013/07/blog-post_30.html
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宝船 浪の音 醸造元
有限会社 佐々木酒造店
仮設店舗 宮城県名取市美田園7‐1‐1(閖上さいかい市場内)
℡ 022‐398‐8596
仮設工場 宮城県名取市下余田中荷440‐1(名取市復興工業団地B棟)
http://www.naminooto.co.jp
(取材日 平成25年7月2日)