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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年6月10日月曜日

2013年6月10日月曜日17:31
6月より、ココロプレス取材スタッフの一員に加わったYUUと申します。

ハンドルネームは、アメリカで大活躍中、仙台縁(ゆかり)のダルビッシュ投手にあやかりました。

彼がホームで投げる試合に三振を奪ったり、ピンチを抑えたりすると、YUuuuuuuuuという大合唱がスタジアムでこだましますよね。興奮度MAXのブーイングのノリで、逆にひいきの選手を称えようという洒落のきいたスタイルは、アメリカの野球文化ならでは、という気がします。

「ゆう」という名前に有という漢字を使うのは、結構、珍しいと思いますが、「ゆう」は勇気の「ゆう」でもあり、優しさの「ゆう」でもあります。

大震災に直面した多くの人々が、自身の逆境にも関わらず、他者に目を向け、心配りしてきた勇気や優しさ。震災復興にはこれからも欠かせない、そんな行動や取組のスナップショットを少しでも多く紹介していきたいと考えています。


創業嘉永2年 森民酒造本家


梅雨入り前、夏の予行演習のような快晴の日々が続くと、ちょっと足を伸ばして散策気分になることがありませんか?

そんな時は、気軽に足を運べる市街地近郊の商店街の散歩なんかお薦めです。

仙台市は歴史ある城下町。中心街から少し足を伸ばせば、まだまだ由緒ある商家や建物が残っています。

上の写真は、創業嘉永2年(1849)の酒蔵、仙台市若林区の荒町商店街にある森民酒造本家です。ぱっと見には、古くからある酒屋さんかと思ってしまいますが、実は、建物の奥は立派な酒蔵で、酒造りの工程が全て行われています。

酒造業は東北各地において、地域と密接な関わりを持つ地場産業です。宮城県にも幾つも酒蔵がありますが、都心部で実際にお酒を醸している蔵は非常に珍しい。

「現在の荒町地区は藩政の時代から、水源が豊富で高品質なことが知られていました。そのため、
当時、貴重な物資で免許制だった麹屋が数多く荒町に移り住んだそうです。麹も酒造りも、良い水は欠かせません」

              
森民酒造本家 森徳英社長


こう説明してくれたのは、森民酒造本家の森徳英社長。

森民酒造本家では、豊かな清流広瀬川の伏流水、井戸水で酒を仕込んでいます。お酒の原料となる酒米も宮城県内の契約農家が栽培したものを使用しています。そして、実際に酒造りを行う場所は、仙台市内のほぼ中心部。まさに地産地消の見本のような酒蔵なんです。
 
良い酒造りには高品質の水が欠かせません。

このキーワードこそが、東北に数多くのファンが支持する蔵元が点在する一つの理由でしょう。

それだけに、東日本大震災は、宮城県の酒造業界全体に大きな爪痕を残しました。
実際に、湾岸部に位置する酒蔵では、蔵全体が津波に流されてしまうような惨事も起きました。


震災で壁が崩れ落ちてしまった土蔵


「私どもの蔵も、土蔵の壁が崩れ落ちたり、蔵の天井の梁が大きく歪んでしまったりなど震災の被害は大きかったですが、震災直後より、ある程度時間が経過すると、耳に入ってくるのは湾岸部のより深刻で凄惨な被害状況でした」

森民酒造本家の酒蔵を見せてもらうと、壊滅的な被害でこそなかったものの、現在も震災の傷跡が色濃く残っています。

真夏でも蔵の中をひんやりさせ、温度変化をしにくくする効用がある土壁は広範囲にわたり崩れ落ちたままです。

被害は外観だけではありません。
                

大きく歪んでしまった酒蔵の梁


震災以前は、貯蔵用に使っていたという蔵に案内されました。勾配のきつい階段を上り、蔵の上部に足を踏み入れると、由緒ある蔵を支えてきた梁が大分歪んでいます。

「現在の家屋ではあまり見かけない、この大きな梁のおかげで建物の倒壊を免れた側面もあるかとは思いますが、このままでは、大切なお酒を貯蔵しておくことはできないので、震災後、蔵の中のタンクは、使用していない状態のままです」

森社長によると、貯蔵用タンクが稼働できないことが主な要因となって、2012年度の森民酒造本家の生産量は、震災以前の約半分ほどになってしまっているそうです。

商売への直接的な影響だけではなく、貯蔵タンクのある蔵を開放して、荒町地区の夏祭りの時期に行っていた試飲会なども、昨年度は休止せざるを得ませんでした。

これまで、全国ニュースで幾度となく取り上げられてきた沿岸部の被害とは事情が違っても、震災被害の影響は、この仙台城下の職人町に、当時のたたずまいを残しながら現存するこの酒蔵にとっても、決して小さくはなかったようです。

それでも、大震災をマイナス方向への分岐点として捉えるばかりではなく、震災を契機にあらためて教えられた人との繋がり、家族や地域の絆の大切さを糧として、前を向いていきたいと、森社長は話します。



震災以降、日々の生活で、感謝の心をより強く念頭に置くようになった
と話す森社長



「多くの人々と同じように、大惨事をもたらした震災は、あまり振り返りたくない負の記憶である一方で、人との繋がり、思いやりの心を再認識させられました。それまで以上に、日々の生活で、家族やコミニュティへの感謝の気持ちを強く感じるようになりましたね」


森民酒造本家では、震災直後より約3週間炊き出しを続けました。


社員や家族の安否は確認できたものの、営業再開は当面無理と判断して、現在できることをと考えて、始めたそうです。

当時を振り返ると、震災後、1週間ぐらいは、仙台市内、至る所に店を構えるコンビニエンスストアも、物流が途絶えた影響などから、多くの店舗が休業状態でした。

現代を象徴するような便利な小売店舗が機能を失い、藩政時代より続く商家が、緊急時の避難所、集会所の役割を果たした事例は、非常に興味深い話だと思いました。

炊き出しの様子が口コミで伝わった後は、近隣の人々から、さまざまな支援の食糧が持ち寄られる事もあったそうです。店舗にやってくる人々も、開始当初は荒町商店街周辺の人がほとんどだったそうですが、段々と輪が広がり、河原町辺りからも、足を運ぶ人が増えたそうです。


「うちは、住居と酒蔵が同じ敷地内なのですが、重油を使用しているので、炊き出しだけではなく、ガスが使えない人たちにお風呂を開放しようと考えたのですが、お風呂は遠慮される方がほとんどでしたね。逆境にあっても他者へ配慮する、東北人の特性ともいえる奥ゆかしさを感じました」
              
              
荒町の店舗に、実際に買いにくるお客さんが多いという「小粋なすずめ」
仙台青葉祭りからネーミング。すっきり辛口の純米酒


震災後、約1カ月ほどが過ぎ、ようやく営業を再開したものの、貯蔵用の蔵が使えなくなったりなど、先行きへの不安は、相当に大きかった、と言います。

「そんな時、それまで取り引きがなかった遠隔地のホテルから引き合いがあったり、震災後の炊き出しなどが縁で森民の酒を知ってもらい、注文を受けたり、実際に店舗に足を運んでもらうお客さんと触れ合うことで、随分、勇気づけられました」

震災後、実際に炊き出しを行ったり、地域に密着して、地産地消を実践している酒蔵の社長が話す、人との繋がり、家族、地域の絆の大切さは、心に響くものがありました。


取材時に挨拶にこられた社長の祖母、森さちさんは、90歳を超える年齢だそうですが、肌艶の良さは、写真や文章では描写できないほど素晴らしく、そのことを指摘すると、昔から酒蔵に育ち、生活してきた女性は肌の綺麗な女性が多いと説明されました。

考えられる理由として、真っ先に思い浮かぶのは、やはり、良い酒蔵に欠かせない質の高い水ということになるでしょう。

広瀬川を水源とする伏流水、井戸水は、地域と共生するこの蔵の酒造りに欠かせない水ですが、防災の観点からも非常に重要なものです。

後日、水をテーマとして、もう一度、この酒蔵を紹介したいと考えています。


森民酒造本家
http://moritami.jp/


(取材日 平成25年6月5日)