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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年4月22日月曜日

2013年4月22日月曜日21:13

石野 葉穂香です。

4月14日、亘理町荒浜地区にある「川口神社」の春の例大祭に行ってまいりました。
お目当ては、3年ぶりに復活した同神社の「御神輿」です。
ピカピカになって修復作業から帰ってきた御神輿

川口神社は、寛永12年(1635)、伊達政宗公のひとつ年下のいとこだった亘理城主・伊達成実(しげざね)公が、五穀豊穣と航海の安全と大漁を願い、阿武隈川河口の鎮守として勧進した古社です。当時は「新浜(あらはま)湊神社」と呼ばれていました。

その後、開拓が進み、やがて地名も「新浜」から「荒浜」へと変わりました。

神社にはこんな言い伝えも残っています。

……享保16年(1731)、阿武隈川の河口が閉塞して廻船(荷を運ぶ舟)が荒浜へ入港できなくなりました。時の仙台藩第4代藩主・伊達綱村公が出馬して祈祷を行ったところ、閉塞はたちまち解消し、舟は元通り通行できるようになったそうです。

綱村公はその霊験に感謝して扁額を揮毫、伊達家の家紋「竹に雀」が入った幕と共に奉納しました。

川口神社は、阿武隈川の右岸(河口に向かって右側)に鎮座しています。

写真の右側手前方向が阿武隈川の堤防。
鳥居は東側、河口を向いて建っています

東日本大震災の大津波は、荒浜地区を襲ったほか、阿武隈川河口をさかのぼり、河岸堤防を越えて川口神社の境内にも押し寄せて来ました。

神社本殿は地面より少し高い位置にあったため、被害は最少で済みましたが、流されてきた多くの漂流物が宮司の家、社務所、水舎などを傷つけてしまいました。
そして「太鼓」や「御神輿」も……。

同年4月の例祭は中止されました。
昨年(平成24年=2012)の例祭は2年ぶりに復活し、地区の人たちを大いに励ましてくれました。

けれども「御神輿」は修理が間に合わなかったため、他所の神社から借りたものでした。

そして今年3月31日、支援団体の援助によって修理完成した川口神社収蔵の「御神輿」が、ついに神社に戻ってきました。

「春の例祭」に間に合ったのです。

例祭は、毎年4月20日に行われるのですが、今年は1週間早めての開催。
境内の桜も2分咲きほどではありましたが、陽光にほころび始めていました。

桜はぼちぼち・・・2分咲きぐらい。
右側の屋根は壊れてしまった水舎。
奥の鳥居の背後、よく見ると残雪の蔵王連峰が

4月14日、朝9時、よく晴れた空の光に映えるピカピカの御神輿が神社を出発しました。

御神輿の重さは約1トン。この日は漁港のほか、町内に点在する4カ所の仮設住宅を訪問します。担いだまま、全てを練り歩くにはさすがに重過ぎるため、まずはトラックに載せられて漁港へ向かいました。

漁港では、漁業の復興と豊漁を祈願しました。

津波で大きな被害を受けた荒浜漁港。
「鳥の海ふれあい市場」前を練り歩きます


そのあと再びトラックに載って、向かった先は県立亘理高校のそばの館南仮設住宅です。
まず太鼓を積んだ軽トラックが、ドンドコドンドコと御神輿の到着を知らせます。

待ちに待った御神輿の巡行。仮設住宅に入居する人たちが、広場に集まって来ました。

「お帰り~」「御神輿、帰ってきたんだっちゃ」「川口っつぁんが来てくれたぁ」




「かわぐっつぁん」。
地域の人たちは親しみを込めて
川口神社のことをそう呼んでいます
この日はまた、地元の創作太鼓のグループ「倭多里道の会」、そして「仙台雀踊り●わ組」「わたり漣■結yui」という三つのグループの連合である「道岳館」の皆さん、そして「郵すずめ」「うかれ榧の木」のメンバーの方々も初めて例祭に参加。御神輿の周りで太鼓の演奏と雀踊りを披露して、例祭に華やぎを添えてくださいました。

太鼓の勇ましい音が空気をふるわせます


かわいい雀踊りに拍手喝采


いかにも“いなせ”な、浜の男


「私たちは、荒浜や吉田の人たちが会員のグループ。震災で道具を失ったりバラバラになったりしましたが、昨年四月、ようやく活動を再開させることができました」

そうおっしゃるのは「道岳館」の統括・富山道岳さん(50歳)。

「春祭り(例祭)に参加したのは今年が初めてです。御神輿の復活を皆で喜び、私たちの演奏が復興への励みになれたらうれしいです」

「道岳館」の皆さんと富山さん(左端)。
ボードの文字は「感謝」です
「御神輿」と「道岳館」の皆さんは、そのあと旧館仮設、公共ゾーン仮設、中央工業団地応急仮設住宅も訪問し、多くの人たちの笑顔に出迎えられました。

獅子舞も登場しました。

獅子に噛んでもらうと無病息災で過ごせます

「めんこいっちゃね~」

目を細めて子どもたちの踊りを見つめるおばあちゃん。
拍手や手拍子、仮設の庭に明るさがあふれ、誰の顔もほころんでいます。

雀踊りには春の陽がとても似合います
華やぎと賑わいが仮設住宅にやってきました
「多くの方のご協力を得て、御神輿が復活しました」と川口神社の渡邉光彦宮司(68歳)。
「幸せとは生きていることなのです」と語る宮司の目にも光るものが……。



「かわぐっつぁんが見守ってます」

午後2時、御神輿は川口神社へ帰り、ご神体も本殿へ。
朝は2分咲きほどだった境内の桜も、午後には5分咲き近くにまで花を開かせていました。
御神輿は、収納庫前で「いやいや」するみたいに、2度、3度と行きつ戻りつ……。
「楽しかったから収納庫に入りたくない」という様子を表しているのだそうです。


鳥居をくぐって神社へ帰着


ちょっと分かりづらいですが、
朝よりもたくさん桜が開花していました。
成実公が亘理に入部した9年後の慶長16年(1611)、慶長三陸大津波が起こりました。

成実公もまた、津波に襲われた亘理の景色を見つめたはず。

しかし、「武勇無双の成実」と呼ばれ、「知謀の景綱(片倉小十郎景綱)」とともに、「伊達の双璧」、さらには「伊達の一番槍」と称えられた成実公。
自領の復興と発展に力を尽くし、新田開発、漁業振興などに努め、石高を2倍にまで増やしました。


御神輿を担ぐ男たちの威勢のいい掛け声を聞いていると、「伊達の無双」の強さとたくましさは、今も亘理の人たちに受け継がれているんだなぁ・・・・・・・と感じました。

「堅三つ引両(たてみつびきりょう)」は
「竹に雀」「九曜紋」と同じく
伊達藩の家紋のひとつです

なお、川口神社では、5月3日午前11時から、「鎮守の森復活プロジェクト みんなの鎮守の森 植樹祭」が開催されます。
横浜国立大学の宮脇昭教授による植樹指導のもと、21種類以上、2100本を植樹予定。
参加費は無料。また参加者全員に移植スコップと軍手と絵本がプレゼントされます。
参加ご希望の方は、川口神社(電話・FAX/0223-35-2648)、日本文化興隆財団(電話03-5775-1145)、またはhttp://www.nihonbunka.or.jpまでお問い合わせください。


(取材日 平成25年4月14日)