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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年4月5日金曜日

2013年4月5日金曜日16:43
えみです。


仙台市宮城野区文化センターでは震災復興支援事業として震災を振り返りながら、未来を思い描くさまざまなイベントが行われています。先日もココロプレスブログでその中の1つ「明日へツナグ”希望”写真展」をご紹介しました。(内容はこちら


同じく震災復興支援事業として行われる朗読会イベントがあるということで、3月のある日、取材してきました。






朗読のつどい
「あの日、あの時の私の記憶」
平成23年3月11日の東日本大震災から2年。やっとあの日のことを語れるようになった沿岸部の婦人防火クラブの皆さんが綴った「東日本大震災の体験文集」の朗読会です。


主催は仙台市宮城野地区婦人防火クラブ連絡協議会と仙台市宮城野消防署。
体験文集の朗読は、朗読リラの会と宮城朗読奉仕会の皆さんです。






東日本大震災の巨大津波は沿岸部に壊滅的な被害をもたらしました。


 震災からまもなく2年になります。津波を体験しない方々の中では、震災の記憶が少しずつ薄れつつあります。しかし、間近で津波を体験した婦人防火クラブのメンバーは決して忘れることはありません。
津波を体験したからこそ伝えことができるあの恐ろしい自然の猛威、津波体験を1人でも多くの方へ伝え後世に語り継ぎたいという思いがありました。

その思いを込めて、仙台市宮城野地区婦人防火クラブの皆さんは平成24年11月に「東日本大震災の体験文集」を作成しました。

震災の悲惨な事実を多くの方に伝えるため、この日「東日本大震災の体験文集」朗読会が開催されました。

婦人防火クラブは全国的に増加している住宅火災を防ぐため、家庭を預かる主婦が町内会単位で結成している組織です。防火防災に関する勉強や消火、通報、救急などの訓練に参加し、東日本大震災においても炊き出しなどを行いました。(婦人防火クラブ紹介文より)






会場は薄暗くなり、静かな音楽が流れる中で朗読リラの会と宮城朗読奉仕会さんによる朗読会がスタートしました。

会場となる仙台市宮城野区文化センターのシアターホールには
事前に応募していた参加者が200人程集まりました。


(朗読された作品の抜粋を記します)

ベランダに出ようとサンダルに片足を入れかけた途端、グラグラッと地震を感じた。建物が上下しているのを足裏で感じた。
とんでもない事に遭遇している事実を悟った。

硝子戸を開けると、「あー」と溜め息をついてしまった。
「この次に来るのは津波だ!」
言葉は知っていたが、見た事はなかった。
「津波はきっと来る。」
倒れた家具に阻まれた。
「前へすすめない。」

外へ出ると団地の人たちが数人ひと固まりになっていた。
「びっくりした!」
「初めてね!」の言葉が飛び交っていた。
「津波が来るから中学校へ避難しよう」と声掛けをしたのだが皆怪訝な顔を見せ、一笑に伏された感じ。


「寒いから家に帰ろう」「津波が来てから考えるさ」と言う人。

説得中に警報のサイレンが鳴り出した。津波警報である。
「早く避難してください」
「津波が来たぞ」誰かの叫ぶ声に校庭を見回すと、真っ黒い固まりの一群がゆっくり広がっていくところであった。

津波の姿が目の前に現れた。

大木が何本も、一軒家だったとおぼしき二階部分が、バラバラとなった残骸と共に黒い大きなうねりに呑み込まれた。
荒れ狂う様に人は勝つことは出来ないのか?

ヘドロの臭いと油の臭いが異臭を放ち、

余震に悩まされ恐怖に震えた3.11でした。



「ヘリコプターの音がひっきりなしに聞こえる。
「6メートルの津波が来ると言っている」
車庫の下から大量の海水が入ってきた。

「パパー死ぬよー」
「車が泥で浮いている」
「とりあえず逃げよう」
この現実を誰もがどうしていいか分からなかった。



避難所では毛布も二人で1枚しかなくまったく温かくない。仙台市のゴミ袋を渡され身体に巻く人。足に巻く人、みんな思い思いに工夫してその1枚のゴミ袋を使った。
この極限の中、倒れる人や具合が悪くなる人が続出した。陰で泣いている人もいる。肩を寄せ合って誰も一言もしゃべらずただひたすら夜が明けるのを待った。


「津波が来た!」
津波が大きな真っ黒い壁となり向かってきた。家、車全てが流されていく。

車を少し走らせると、近所の方が近寄ってきて
「おばあさんが動けないでいる」と慌てて私に助けを求めた。
「逃げる途中骨折して動けなくなってしまったらしい。」

私は「救急車なんか来ないから軽トラで運んだ方が早い」言い、一緒に避難所へ向かった。


私たちは完全に孤立していた。誰もが感情を失っていた。
「もう何もないんだ」「全て失ってしまった」
「それでも太陽が昇れば、何か変わると思った。」
太陽が顔を出した時、自衛隊の方が確認しに来てくれた。

ヘリが到着した。
「しかしヘリにつり上げられた時見た、私の下に広がる風景は灰色だった。そこには何もなかった。」
「あの混乱の中、すぐに家族が再会できたこと、家族の誰もが命を失わなかったことは奇跡だと思う。」


「津波は生と死がとなり合わせだと知った。」
「この恐ろしい体験を私は決して忘れない」


朗読リラの会•宮城朗読奉仕会さんによる朗読会

夫が「津波が来るから逃げろ」と言って向いの人たちと逃げました。
車に乗って30メートルぐらい走った時に真っ黒い津波がおおいかぶさってきました。
夫が「もうダメだ。死ぬぞ。」と言いました。
私は「こんな汚い所で死にたくない」と言った。
真っ黒い津波に車ごと流されてしまった。
「津波に流されている。助けて!」と娘に電話で必死に訴えました。
コンテナにぶつかりそうになった。
「あれにぶつかったら、今度こそ死ぬぞ」と夫がいった。
コンテナはガレキにつかえて止まり、自分たちの車も止まりました。運転席から水が入って来て、ガラスをわって外に出ようとしましたがガラスは壊れませんでした。
小さな窓に流木がささってその窓から脱出することができました。
仙台港は火の海でした。

上空を飛ぶヘリコプターに必死で
「助けて、助けて」と叫びました。

明かりの方から「何人だ」と声がしました。

男の人が来てくれて「もう大丈夫です」と声をかけてくれた。



寝たきりの母を夫がおぶり無事避難所までたどり着りつくことができた。
その後、夫は住人避難を呼びかけようと、再び住宅街で向かいましたが••••••••••••
二度と戻らない人になりました。

遺体が見つかったのは、4月初め、ガレキの中からでした。
冷たいブルーシートにつつまれ、顔には傷跡が、体の方にはシートにつつまれ見ることは出来ず、心の中で「早くあたたかい所へ連れて行くね」と呼びかけ続けました。
「あの日、全てが一変してしまいました。全てを失ってしまった。」
「大切な人を失った悲しみは果てしなく深く、夫に命を守られ、命をいただいた分、自分を大事にして生きていかなければと思い、毎日を大事に過ごしていくつもりです。」


スライドを見ながらの朗読会でした。
会場の皆さんは時に涙を流しながら聞いていました。

津波のことは全く考えていなかった。

主人から「6メートルの津波が来るから避難しろ」
というメールがきてから、やっと避難し始めたのです。

それも、どうせ来ないだろうということを前提にして••••すぐに家に帰るつもりでした。

地震の後、津波が来ることを想定していれば•••••。あんなに強い揺れだったのに、なぜ津波のことを考えなかったのだろう。

大変な惨状でしたが、嫌な思い出も絶対忘れてはいけないことなんだと、初めて思わされた。


一瞬の出来事であまりにも失った人•物が大きく、心の準備も何も追いつくことができないまま今日まできました。


あの日あの時から、たくさんの方々から心温まるあるお気遣いと、ご支援を頂いて生きてきました。
生きてこれたのが良かったのかと思いつつ、心が晴れない日々を過ごしています。
生きていくだけで精一杯の生活。
災難は自分だけじゃないんだから、自分らしさを失わないように、前を向いて少しずつ歩いていこう。


多くの命が奪われた午後2時46分
生と死があれほどはっきりと、そしてあれほど隣り合わせにあった時はない。
ご主人を失いながらも、他人に優しさを分け与えてくれたご近所の方、自分を優先しそうな中で私たちを助けてくださった多くの方々、私はその暗闇の中ひときわ輝いたその光を決して忘れない。


避難所での炊き出しの際に作ったα米の作り方を紹介していました。
水さえあれば非常時でも簡単に作ることができます。








































最後に宮城野地区婦人防火クラブさんのよりお言葉がありました。

婦人防火クラブのクラブ員の中には亡くなられたクラブ員も多数おります。本当に残念でなりません。被災の少なかったクラブからは、交代で避難所を手伝うクラブ員の姿もありました。天災は人の力ではどうすることもできないのですが、少しでも減災につとめることはできるはずです。
 あらためて家族や近所同士で自力困難者や高齢者の実態を把握し、安全な逃げ場を設けてもらうなどの働きかけも大切だと思いました。
今回の体験文を寄せてもらい、一見平和に見える笑顔の奥にも何もかも無くしてしまったむなしさや悔しさ、焦燥感が感じられ黙ってしまうこともしばしばでした。この体験を風化させることなく、手を差し伸べてくださっている大勢の方々に感謝して前を向いて歩き出したいと思います。


最後はサックスとギターの素敵な音色で
「上を向いて歩こう」を参加者全員で大合唱しました。






<取材を終えて>

東日本大震災では文章では書き表せないくらいの数々の出来事がありました。
映画のワンシーンでも見ているかの出来事。本当に今起きていることは現実なのかどうかも信じられない惨状。
かけがえのない人を失ってしまい絶望感にかられ、どうこれから生きていけばいいのか考えることができなくなってしまった人々もたくさんいるでしょう。

家族の安否を願っていた日々。

現実とは思えないあの時の記憶を私たちは決して忘れてはいけません。

この朗読会は婦人防火クラブの皆さんが沿岸部で体験したことを「東日本大震災の体験文集」としてまとめたものです。
震災、津波を体験した方々が命がけで私たちに届けてくれたメッセージでもあります。

この貴重なメッセージを私たちは後世に伝え続け、決して風化させてはいけないと思いました。



(取材日 平成25年3月9日)