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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年4月18日木曜日

2013年4月18日木曜日13:49
皆さん、こんにちは。スーサンです。

震災の痕跡はさまざまな場所で見ることができ、つらい記憶と懐かしい記憶の両方を呼び戻しますが、消えていくものもあります。

仙台市立中野小学校の校舎もその1つです。3月から解体工事が始まっています。

「お別れ会」には約1500人が参加しました
仙台市の東部、宮城野区中野字西原地区。七北田川の左岸にあるその校舎は、動植物の宝庫と知られる河口左岸の「蒲生干潟」へは約1㎞と、海岸線から極めて近いロケーションにありました。

創立は明治6年という歴史のある学校で、昭和46年に仙台新港ができるのに合わせ、現宮城野区港2丁目付近から現在地に移転してきました。現校舎は平成3年に建てられ、平成9年に増改築されています。

2年前の震災当日。児童や職員のほか地域住民ら600人余りが避難する校舎を、高さ4.5mの津波が襲い、2階の床上20cmまでを水没させました。

避難者は全員が屋上に駆け上がり、一人も犠牲者を出しませんでしたが、水が引いた2階で小雪の降る寒い一晩を過ごしました。

この時の記憶は、校舎や体育館の外壁が打ち抜かれるという、痛々しい風景として残っています。

現在の中野小学校は、内陸部にある中野栄小学校(宮城野区栄3丁目)を間借りし、授業を続けています。平成25年4月の時点で、在校生数は68人と、震災時の155人から大きく減少しています。

側面が無くなった校舎1階部分。奥に見えるのが教室の黒板
津波によって壁面が打ち破られた体育館
4月7日、このかつての学びやで校舎や体育館、プールの「お別れ会」(市教育委員会主催)が開かれ、在校生や保護者、卒業生、地域住民など約1500人が集まり、別れを惜しみました。

冒頭、震災で犠牲となった学区内の住民に哀悼の意を表し、1分間の黙とうが行われました。

高橋充・前校長は「この校舎で学んだことを大きな誇りとし、堂々と胸を張って歩んでください」と、卒業生らを励ましました。

伊藤新一郎・同窓会長は「長年築かれた地域の文化や人の絆が、一瞬にして失われることになったのは残念です」と、震災を悔やみました。

式典の初めに、学区内の犠牲者を悼む黙とうが捧げられました
そして、今春中野小学校を巣立った2人が代表して、校舎へ感謝の気持ちを伝えました。

仙台市立高砂中学校1年の山本愛実さんは、「楽しい時、悲しい時にいつも一緒にいてくれたこと、震災の時に守ってくれたことをいつまでも忘れません」と話しました。

同じく高砂中学校1年の佐藤啓太さんは、「中野小で過ごした楽しい日々を絶対に忘れません。そして、皆さんもずっと、ここに小学校があったことを忘れないでください」と、参加者に呼び掛けました。


山本さん(上)と佐藤さんが、校舎へ感謝の思いを込めました
この後、同校で20年以上受け継がれてきたという和太鼓の力強い演奏が、6年生と今春の卒業生約20人によって披露されました。

校歌斉唱の際には、世代を超えて、親しんだメロディーと歌詞を口にする光景が見られ、感極まって涙を流す人も少なくありませんでした。

この日の記憶として屋上から記念の写真撮影が行われたほか、未来への風船が放たれ、花火が打ち上げられました。

勇壮な和太鼓演奏で校舎に別れを告げました
校歌斉唱では、どなたも感慨はひとしおのようでした

屋上のカメラから、参加者全員が入る記念写真が撮影されました
式典終了後は1時間ほど、校内への立ち入りが許されました。在校生や卒業生らは、廊下や教室の壁面にメッセージを書き入れたり、教室で同級生同士が写真を撮ったりして、母校に別れを告げていました。

卒業生という栃木県在住の長谷川朋希さん(37)は、同級生と事前に連絡を取り合い、この日のために駆け付けました。「1クラスしかなく、みんな団結力がありました。中野小ならではの野鳥観察の授業などがあって、楽しい小学生生活を送りました」。

自身と子ども2人が卒業生で、子ども1人が在校中という金子洋子さん(45)。借り上げ住宅に住んでいるため、地元の人には久しぶりに会ったといいます。「お互いに、自分の学校が無くなるのは寂しい、と話しました」。

「一番元気にしていた頃で、先生たちにはいっぱい迷惑を掛けました。いまはそれが懐かしいです」と、松谷友紀さん(26)。同級生の安彦麻衣さん(26)も、「一番楽しかったのは小学校。2クラスしかなくて、みんな仲が良くて、いつも鬼ごっこなどをしていました」と話していました。

ほとんどの方が、壁の余白に自然と手が伸びていました
至るところに、校舎への感謝のメッセージがあふれていました
仙台市教育委員会によると、中野小学校の校地は災害危険区域内にあり、学校施設としては再利用できません。また、一部について県が施工する七北田川河川堤防整備の予定地に入ることから、学校跡施設の利用も困難と判断。全施設を解体するに至ったといいます。

また、学区内で多くの住宅地が災害危険区域に指定され、地域住民の区域外移転が見込まれているため、3年後を目安に他校との統合を検討しているといいます。

復興に向けてさまざまなものが動いていく中で、人々の記憶の中には、輝く日々とともに中野小学校が、いつまでも残り続けると確信させるこの日のイベントになりました。

(取材日 平成25年4月7日)