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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年4月1日月曜日

2013年4月1日月曜日14:39
kaiiとコタローです。

震災から3年目を歩き始めた、2013年3月12日。
震災直後に避難所として使われていた南三陸町総合体育館文化交流ホールで、「はるかな友に心寄せて」日本-チリ交流コンサートが開かれました。

1960年(昭和35年)5月22日15時11分(現地時間)、チリ・バルディビア近海を震源とするM9.5の地震が発生。翌23日には環太平洋全域に津波が襲来して大きな被害をもたらしました。
この時、南三陸町も大きな被害を受けました。
このチリ地震津波以来、チリ共和国と南三陸町は交流を続けてきました。

津波被害を受けたモアイ像のモニュメント
こうした縁で、震災前の南三陸町志津川にはモアイ像のモニュメントがたくさん立っていました。


2010年2月27日3時34分にチリ中部沿岸で発生したM8.8の大地震では、チリ沿岸のコンスティトゥシオンに推定15mの津波が襲い104人の方が犠牲になりました。


2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた南三陸町の志津川高校2年4組の生徒たちが、2010年のチリ大地震と津波で被害に遭われた人たちにみんなでつくった詩と歌を送りました。



場所は違っても、同じく津波の被害を受けた2つの国の2つの町の痛みは同じでした。
南三陸町の高校生たちが東日本大震災から2年の思いを綴った詩には、あの時からの一日一日に対する思いが描かれていました。



志津川高校の生徒たちは、季節の移り変わりと大津波の被害から少しずつ町と自分たちの生活がよみがえっていく様子を描いています。



「自衛隊のお風呂に毎日通ったこと。明かりのない町と大潮のたびに冠水する道」など移り行く町の様子と一日一日を一生懸命生きたこと」を詩の中に綴りました。高校生たちの見て感じていた南三陸町が静かな音楽にのせて朗読されました。会場を訪れていた人たちの中には、その時を思いだして涙している人もいました。





前日、南三陸町の東日本大震災追悼式に参列された駐日チリ共和国大使館特命全権大使パトリシオ・トーレス閣下も会場を訪れていました。
トーレス大使はコンサートの後、「チリの心はいつも宮城県の皆さんといます」と被災した多くの人に思いを寄せたメッセージと優しい励ましを下さいました。


1980年代から活躍するチリの国民的シンガーソングライターで、音楽を通じた社会活動に力を注ぐケコ・ユンゲさんは、2010年のチリ地震と津波の被災地コンスティトゥシオンにあるガブリエラ・ミストラル校3年B組の生徒たちが書いた物語から歌を作り、南三陸町にメッセンジャーとして届けました。


「チリ地震発生の2日目から、祖国チリと祖国の同胞に捧げる曲を作りました。3年前チリでも大きな津波がありました。日本の津波を聞いた時、日本の人と会いたい、日本で歌いたいと思いました。人生にはさまざまなきっかけがあります。私は、歌と音楽を通じて子どもたちの支援活動を続けています。私の曲を聴いた人たちから声が掛かり、チリで復興に携わっています」



「大きな夢を見て、遠くに着くことができます。あきらめないで心で進む道が大切です」


会場には200人ほどの人が集まりました。




このコンサートを運営した国際交流基金文化事業部の松本健志さんは「日本と世界の被災地に1日も早く平穏な日が訪れますように」と話し、自然災害だけではなく紛争や戦争などで苦しむ人たちにも穏やかな日が1日も早く訪れますようにと願っていました。



「Diario(ディアリオ)」。
スペイン語で「日常」を示す言葉です。
東日本大震災後、私たちはいつもそばにある「日常」に感謝しなければならないことを学びました。
「当たり前」のことが「当たり前にできる」ことが奇跡であることを学びました。

志津川高校の生徒たちが描いた震災後の町の風景と流れていく時間と季節。震災前とは違う生活観。
生徒たちの一つ一つの言葉がとても心に響き、悲しみや自然に対して人間は無力なのだと強く感じました。

(取材日 平成25年3月12日)