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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年3月19日火曜日

2013年3月19日火曜日11:48
こんにちは、Chocoです。
3月、出会いと別れのシーズンです。
この時期は、周りの動きが大きく変化します。
それは、卒業だったり、新生活の準備だったり・・・。
忙しく時間が過ぎる中で、
東北でも、春の風を感じることができる・・・それが、3月です。


しかし、2011年3月11日2時46分18秒、
日本は深い悲しみに包まれました。

東日本大震災から2年の月日が過ぎました。

津波は、人々が築き上げたものを一瞬のうちにさらい、15,881名(宮城県はその6割)もの方々が亡くなり、2,668名の方がいまだ行方不明のままです。

2年前、私は仙台港近辺にいました。
幸い、地震が収まってから内陸方面へ車を走らせたので、津波に遭遇することはありませんでした。

そして、石巻に来て1年半が経ちました。
建物は、すぐに新しく変わることができます。
道路の舗装もすぐできます。
瓦礫の山もすぐなくなります。

しかし、人の心はすぐには変わりません。
明るく振る舞っている人でも心の奥には深い傷が必ずあります。
「大丈夫」という子どもでも津波の記憶を消すことはできません。
「頑張らなければ、亡くなった大切な人のためにも・・・」
そう、辛い気持ちを押し殺している人は、ここにはたくさんいます。

私にはその方々の心がしっかりと見えていませんでした。
見えていたつもりでも、見えないのです。

そんな想いを抱いていたときに、出会った方がいます。

及川京子さんです。

「東京しらうめ51」

旧宮城県石巻女子高校の昭和51年度卒業生で東京近隣在住者が、震災の後に結成したボランティア団体です。
及川さんはその代表です。


「東京しらうめ51」は、震災直後から活動を始めました。

「まず、支援物資として配ったのは、ハエなどの害虫対策のための物資でした」

夏場は、害虫などに悩んでいた被災地の人々の声を受け、物資を運びました。
その際、地元に残っている仲間も、被災したのにも関わらずボランティアとして加わりました。

冬は湯たんぽを送りました。
物資を集めるために、寄付金を集めるのではなく、フリーマーケットや被災地に関しての講演会などを行って資金を集めました。
その時の講演会には、ジャーナリストを呼びました。女性のエンパワーメントとして大企業に勤務し、母親でもありながら石巻へ週末ボランティアに来ている女性のトークも行い、250名の人々が来場したそうです。

昨年は、地元で加工されたワカメを銀座で販売。雄勝小学校の卒業アルバム制作の協力など、物資の支援だけでなく、さまざまな分野での支援を行いました。

その間に、銀座で無料の講演会も行いました。
内容も、外部の記者が見た震災の状況や今後への期待などのお話と、加工会社を再開させた地元の経営者の方のお話という2つの視点からの震災をテーマに行いました。

そして12月には、雄勝小学校にプレゼントを送りました。また、「東京しらうめ51」のメンバーが月に1度、アルファビクス体操のレッスンやカウンセリングなどを行うために仮設住宅に通っています。

現在もさまざまな支援を形にしている「東京しらうめ51」の皆さん。
2月27日、私は及川さんに会うために、石巻市大街道にある宮城県好文館高等学校に向かいました。

※好文館高等学校の前身は、明治44年開校の「宮城県石巻女子高等学校」です。石巻でも歴史のある女子高でしたが、平成18年に男女共学の「好文館高等学校」として生まれ変わりました。


この日は卒業式の前日で、恒例の「同窓会入会式」が行われる日です。
及川さんたちは、卒業生へのはなむけとして在校生と同窓会の方々の合唱と、チェロとピアノの演奏会を企画したのです。

題して「苦境を乗り越え卒業を迎えた後輩の旅立ちを応援するコンサート」。


リハーサル風景

この演奏会は、「被災した学校の体育館で初めて行われる卒業式の前日に、ぜひやっていただきたい」という、学校長の願いから、及川さんの知人でもあるチェリストの山本祐ノ介さん、ピアニストの小山京子さんが協力して実現しました。
世界を股にかけるプロの音楽家の音色が石巻に響き渡ります。

指揮をとっている方がチェリストの山本祐ノ介さん
リハーサル風景
この演奏会には、地元の方々も50名ほど招待されました。
生徒約600名、一般客50名が、震災から復活した体育館で世界の音色を聴いたのです。


「現役高校生も卒業式の前日に聴いたということで、大人になっても必ず覚えていてくれると思います。音楽は、すべての人の心のストレスや大変なことをすっと流してくれますから・・・・・・そんなプレゼントになれば良い・・・・・・」
と開催するにあたっての想いを語ってくれました。


今年の春から社会へ飛び出す後輩へ先輩からのメッセージです。

「次世代を担うみなさんへ
どこに居ても世界の一員であることを忘れないでください」

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リハーサルにお邪魔し、初めてプロの音楽家を間近で見ました。
椅子の位置、佇まい一つにしても、妥協を許しません。
「椅子の位置、1cm角度が違うだけでも音色の響きが違うんだ」
「プロ」とはそういうものなのです。
その本物の音楽を聴いた卒業生や在校生、地元の方々には、演奏者や企画をした及川さん方の愛と熱い想いが伝わったと思います。


震災直後から、同級生と共に活動を始めた「東京しらうめ51」、
外からの励ましの気持ち、想いを石巻の方々に伝えること、外の人々と被災地を繋ぎとめ、情報を発信することが役割であると及川さんはお話ししてくれました。

震災前に知り合った音楽家のお二人と、震災をきっかけに出会った高校の後輩や再会した同級生、
「人との繋がり・・・。最後はお金ではなく、心、結びつきの強さだけで、生きていけるのかもしれないと思う」
今まで出会った人々が、同じところに集まる・・・
今回の演奏会や今までの活動を通して見えてきたものが人間にとって最も大切なことでした。

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最後に、石巻の皆さんへ及川さんから。

「頑張れって言葉はよくないと言われますが、やはり日本語で言うと「頑張ろうね」なのだと思う。
10年、20年後に復興したときには、前の石巻に戻るのではなく、本当に今までにない新しい形の石巻になっていると思うんです。
震災後移り住んだ人々も、どうぞ離れないで、ずっといて、“新しく、素敵な街、そして世界の模範的な街”になったときに一緒にいてほしい。
たとえ、離れていても、何をしていても、一緒にいたいという思いは変わりません。
「頑張るのは皆さんですけれども、それを共にやることに私たちは全くいといません。
そこで暮らす方々が、良いと思うことをしなければならない。――いつも皆様と歩んでいきます」



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震災から2年、3月11日が近づくにつれて、石巻でもマスコミ関係の取材陣や県外ナンバーの車が多く見られました。
さまざまなところで、3月11日14時26分、黙祷がささげられました。
被災地で津波を目の当たりにした方々、
家族を失った方、
愛する人の最期を見た方・・・
遭遇していない私には、どれほど辛いかを理解するのは難しいかもしれません。

津波を目の当たりにしない私たちにできること、
それは、ずっと寄り添うことです。
それは、現地にいなくても、想いを繋げることはできます。

県外の皆様、
震災から2年が経ちました。
外見は少しずつ復興して見えるかもしれません。
しかし、まだまだ問題がたくさんあります。
不安を抱いて生活をしている方々がたくさんいます。
それでも、立ち向かおうと、重い足を踏ん張って前へ進もうとしています。
それを支えるのは、皆さんの“温かい想い”だと思いです。

目に見える復興はすぐできます。
けれど、目に見えないものこそ、長く時間がかかるし、見落とされがちです。
私も見落としてしまうことが多くあります。


「とにかく、離れないで、ずっとこのことはまだ続くので、“見ているよ”という気持ちだけでも十分ですから」と、及川さんは東京の人々に今も呼び掛けています。
忘れてはいけないこと、それは「思いやりを続ける」ことだと、及川さんのお話を聞いて思いました。


(取材日 平成25年2月27日)