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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年3月27日水曜日

2013年3月27日水曜日16:17
えみです。

東日本大震災からちょうど2年がたちました。もう2年?まだ2年?
被災者にとってこの2年間の暮らしはどんなに大変だったことでしょう。まだまだ復興はこれからです。被災された方の気持ちになり心を一つに持っていき経済支援•心の支援を今後も続けていくことを願っています。


今日は「東北の復興と新聞のチカラ」と題した講演会を取材してきました。





主催は仙台市宮城野区中央市民センターです。

本日の講演会は、4月からスタートする宮城野区中央市民センター老壮大学のプレ講座です。
老壮大学とは高齢の方を対象とした学習講座で、毎回テーマにそって学習しサークル活動などを通じて交流を深める目的で開催されます。


東日本大震災から間もなく2年を迎えます。当時は、電気・ガス・水道のライフラインが途絶え、情報も遮 断されました。そんな状況の中、新聞が果たした役割はとても大きなものでした。現在もなお、震災復興に関 する記事が掲載されない日はありません。
そこで、河北新報社の社長をお迎えし、「東北の復興と新聞の力」についてお話を聞き、皆さんと一緒に復興についてあらためて考えてみたいと思い今回、開催されることになりました。(宮城野区中央市民センター・岩澤センター長)

宮城野区中央市民センターの岩澤センター長

講師は、河北新報社社長の一力雅彦さん。講演会では、震災直後から現在まで新聞が果たした役割をお聞きすることができました。

河北新報社社長の一力雅彦さん
講演が始まりました。

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あの惨劇の中、皆さんの家々に新聞が届いた時の感激は大変大きかったことでしょう。

震災から2年たちますが、ここまで来られたという思いと、復興はこれからだという思いがあります。
被災3県ではいまだに2700人近い方が行方不明です。
32万人以上の方がふるさとや自宅を失い、仮設住宅に住んでいます。
福島県では、福島原発の影響で避難生活の長期化を余儀なくされています。

東北には、日常を取り戻すことが困難で、非日常生活を強いられている方がたくさんいるのです。
震災から2年もたつと復旧、復興の面から見ても残念ながら地域間格差の問題も出てきました。

そしてもう一つ、震災が風化されつつあるのが現状です。
震災の風化と福島県の風評被害という見えない壁に、たくさんの方が悩まされています。

残念ながら被災地以外では関心が薄れてきています。そうならないように我々ごとのように常に関心を持ち続けなくてはなりません。

会場にはたくさんの方々が集まり、
熱心に一力社長の講演に耳を傾けていました。

沿岸部では多くの行方不明者の捜索が月命日を中心に続けられています。海の中に潜り厳しい状況の中で捜索はずっと続けられるでしょう。
2年たっても警察、自衛隊、消防隊を中心とした捜索が続けられているのは、過去に起きた災害の中でも初めてのことであり、災害の深刻さを物語っています。
行方不明者の捜索には終わりはありません。少しでも手掛かりを見つけて家族の元に返したいという思いで、今後もずっと続けられるでしょう。


河北新報社の沿岸部の支社は津波により流されてしまいました。販売店の店主3人を含め27人が犠牲になりました。

幸い仙台市内にある河北新報社の本社では大きな被害はありませんでしたが、コンピューターが倒れてしまい電子編集ができずに困りました。
しかし、新潟日報社さんの協力もあり、3.11号外新聞を皆さんに配ることができました。

震災直後も、懸命な取材によって
新聞は発行されました。













朝、オートバイが近づいてきて新聞受けに新聞がポトッと落ちることによって社会とつながっている。「自分たちは孤立していない」という思いが皆さんにもあったことでしょう。

テレビ、パソコン、ラジオも使えず“いったい何が起きているのかさえも分からない”状況の中で新聞を手にとった瞬間、“沿岸部で大変なことが起きていることが初めて分かった、涙が止まらなかった”とある方は話してくれました。


関東大震災は焼死
阪神淡路大震災は圧死。
東日本大震災は水死。

過去に震災は3回ありました。
関東大震災、阪神淡路大震災、そして東日本大震災です。それぞれの大震災での違いは2つあります。

発生時刻と被害に合われた方の直接的な死因です。東日本大震災ではけが人は少数ですが、92%の人が津波による水死で亡くなられました。巨大津波はまさに生きるか死ぬかの瀬戸際であるのです。津波に巻き込まれた方が肺炎で亡くなられたという報告も受けています。

過去の災害時でのマニュアルでは対応しきれないことが、今回の震災で分かりました。
新しい分野、立場でマニュアル想定ラインを早急に作らなくてはなりません。

何とかなるだろうという気持ちは捨て、新しいマニュアルに沿って訓練しなくてはいけません。

みなし仮設住宅を含めました仮設住宅に住んでいる方が被災3県で25万人います。そして全国に避難している方が6万人程います。時間が掛かりますが、一歩ずつ復興に進んでいます。


現在、被災された各地では津波の被害を受けた建物を保存すべきが解体すべきが議論されています。
建物を遺し後世に伝え続けるべきか?
辛い記憶を呼び起こすことになるので撤去すべきなのか?
じっくり考える必要があります。


河北新報社では3.11大震災の時、3つのことを最初に行いました。
 1.社員の安否確認
 2.社内の被災状況確認
 3.新聞の発行に全力を尽くす。被災地では新聞を待っている人がたくさんいる。
どんなことがあっても新聞を発行し続ける。

緊急時では社員一同全員が集まり、情報を共有して力を発揮することが必要です。


新聞発行で不足したものは
    1.用紙 2.水  3.ガソリン 4.自家発燃料

情報はたくさんあるのに用紙が不足したため、ページ数を減らしながら新聞を発行し続けました。“ページ数が少なくても毎日出すんだ”という、細く長く続けることが大事だからです。
ガソリンは取材、輸送トラック、新聞配達のオートバイなどで新聞を皆さんにお届けするためには不可欠です。全国から支援してもらい新聞発行を続けられました。

震災時のあのひどい道路状況の中でも新聞を皆さんに配達することができたのは、避難所から販売店に通い配達し続けてくれた人がたくさんいたからなのです。
どんな状況下でも新聞を待っている人がいます。その人に届けたいという思いで毎日配達してくれた人がいたのです。
新聞は、皆さんに正しい情報を伝え続けたいという大きな役割とともに親しまれているのだなと感じました。
新聞によって皆さんに勇気づけることができたことはうれしい限りです。

そして新聞社としての今後の役割は、被災者に寄り添いながら新しい政策を提言していくことだと思います。課題を自治体に要望し世界に発信していくことが役目です。

被災3県では震災の影響もあり企業の数が減少しています。沿岸部では人口流出が続いています。特に若い人を中心に人口流出が目立っています。
仙石線がつながっていないので仙台市に移転してきている人が多くいます。仙台市の人口が増えている背景には被災地の厳しい状況があるということをみんなが自覚しなければなりません。






被災地の復興が遅れている原因
 1.土地がない。
 2.専門の職員が不足している。
 3.建設資材が不足し値段が高騰して工事も遅れる。
 4.復興を手掛ける人材が不足している。

これは各地と連携して広域で進めなくてならない事業です。

東日本大震災は広範囲にわたり津波の被害が及んだので、建造物をその場所に建てられないという問題があります。
これは、その場所で再建することができた阪神淡路大震災との大きな違いでもあります。速度はゆっくりでも一歩ずつ進んでいくことが大切です。


25年度から開催する「みやぎの大学(宮城野区中央市民センター主催 老壮大学)」のPRも兼ねて多くの人に集まっていただき、市民センターでお呼びしたことのない方を講師にお迎えしたいと考えていました。



震災からちょうど2年になります。老壮大学のプレ講座として震災の経験を風化させないための内容にしたいと思っていました。

私が、震災の翌日新聞が届いた感動とその後現在までの報道、テレビでは伝えることのできないことを参加者の皆さんと共有したいと考え、河北新報社の社長にお願いしたところ快くお引き受けいただき本日開催されることになりました。


特に沿岸部を中心に、3つのものが不足し、求められています。
 1.医者
 2.職
 3.住居

これらのことを踏まえて地元の人々、外部の人々の意見と取り入れながら復興に向けて提言し改革しなければならないと考えています。


東北から日本を変えて行こう!時間がかかっても元気な東北になるように頑張ろう!復旧•復興には時間がかかります。これからが大事な時期と言えます。

最後に一力社長は力強く発言されました。


風化させない。
仙台市宮城野区中央市民センター主任の黒田 恵美子さん

仙台市宮城野区中央市民センター主任の黒田恵美子さんに、老壮大学のプレ講座として「東北の復興と新聞のチカラ」を開催するまでの経緯を聞いてみました。



25年度から開催する「みやぎの大学(宮城野区中央市民センター主催 老壮大学)」のPRも兼ねて多くの人に集まっていただき、市民センターでお呼びしたことのない方を講師にお迎えしたいと考えていました。

震災からちょうど2年になります。老壮大学のプレ講座として震災の経験を風化させないための内容にしたいと思っていました。

私が、震災の翌日新聞が届いた感動とその後現在までの報道、テレビでは伝えることのできないことを参加者の皆さんと共有したいと考え、河北新報社の社長にお願いしたところ快くお引き受けいただき本日開催されることになりました。




<取材を終えて>

3.11大震災が起きた日。電気が止まり、テレビ•パソコン•電話全ての情報手段が途絶えてしまいました。周りで何が起きているのが分からず、その晩、家にあったラジオで情報を得ることができました。しかしラジオから聞こえてきた情報は想像できないくらいの惨劇で信じられませんでした。

翌朝新聞受けに入っていた新聞を手に取り惨劇を写真で見て初めて事の大きさを知ったのです。あの時、新聞の記事を見たときは本当に驚きました。そして昨晩ラジオで聞いた情報が悲しいことに嘘ではなく本当のことだったということを理解しました。

しかし、こんな大変な時でもあるのに新聞を通常通り読むことができたおかげで、非日常でありながらほんの一瞬でも日常生活を送ることができているという安心感がこみ上げてきました。

どんな状況に置いても正確な情報を伝え続け「1人ではないんだよ」という勇気と安心感を与えたくれた新聞は、震災後の私たちに本当になくてはならないものでした。

大震災直後から新聞を発行し続けてくれたことに感謝するとともに、今後も私たちが身近に感じられる親しみのある存在であってほしいと願っています。














(取材日 平成25年3月1日)