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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年3月25日月曜日

2013年3月25日月曜日10:34
皆さん、こんにちは。スーサンです。

名取市の東日本大地震による犠牲者の数は911人。このうち、750人が閖上(ゆりあげ)地区でその尊い命を奪われています。

海からは約2kmという閖上中学校の前を、海側と内陸側を結ぶ市道が通っています。大地震の直後、この通りは車で渋滞していました。また、人も殺到していました。海側は平野が続き、高台がないため、唯一高い建物となった3階建ての同中学校へ避難しようとしていたのです。

閖上地区では、夏祭りで絵灯籠を浮かべる風習があったといいます。それ
を元に、今回初めて「光の道」を実現させました
午後3時55分。一帯を大津波が瞬く間に飲み込んだといいます。

3月10日の同時刻。

「3.11 閖上追悼イベント2013」の会場となった閖上中学校で、6百人近い人たちが黙とうを捧げました。式典の主催は一般社団法人「名取市観光物産協会」です。

津波の到達時刻に合わせ、1分間の黙とうが行われました
協会はこれまで、震災犠牲者を追悼する2度の夏祭りと1周忌の行事を行ってきました。3周忌の行事となる今回、念願がかなって初めて、海側にある日和山から避難所だった閖上中学校までを、絵灯籠による「光の道」でつなごうと試みました。

絵灯籠は一面がB5判の大きさで、正方形の台に4面を載せます。1面となる絵は、地元は言うに及ばず、全国に提供を呼び掛けました。

2万枚の募集に対しては、3万3千枚を超える応募があり、最終的には外国からも届いたといいます。紙には絵のみならず、メッセージも数多く加えられました。

全国から寄せられた絵やメッセージによって、絵灯籠はできました
「絵を描いて送るということが、逆にものすごく感謝されました。被災地に役立てるということで、お孫さんと一緒に描いたとか、学校や保育園、老人福祉施設などで取り組んだとか、たくさんの反響をいただきました」

式典の実行委員長である佐宗美智代さん(アットシステム社長)は、こう話していました。

ただ、当初予定されていた5千基という数は、式典当日の午後に一段と強まった風の影響で残念ながら3千基に減らされることになったのです。また、火の気が心配されたため、ろうそくによる灯(ともしび)は、一部を除き、断念せざるを得ませんでした。

海側にある日和山から閖上中学校まで、1.2㎞の距離を結ぶものでした
強風によって絵灯籠は形が崩れてしまいま
したが、追悼の思いは届いたはずです
光の道は、閖上中学校へと導かれ、1階から、浸水しなかった最上階の3階まで続きました。こうして、震災当日はたどり着けなかった人たちの無念さを、少しでも晴らすことができたように思えました。


校舎手前に並べられた絵灯籠

校舎最上階の3階まで、道はつながりました
ろうそくにともされた火それ自体は、神戸市からもたらされました。

阪神淡路大震災の犠牲者を悼む記念行事を毎年行っている、神戸市のボランティア団体「神戸・市民交流会」と「阪神淡路大震災1.17のつどいの実行委員会」が、昨年の1周忌に続いて参加。同市のメモリアルモニュメントでともされ続けている「1.17希望の灯り(あかり)」を持ち寄り、分灯したのです。

当初、光の道と合わせ、中学校校庭で予定されていた慰霊のともしびも、場所を校舎前に変更し、規模を大幅に縮小しました。もともとは、同交流会が合わせて運んできた6百の竹灯籠に加え、市内で亡くなった人数に近似する1千基の絵灯籠、同中学卒業生が用意する2千本のキャンドルが、弔いのために光の共演をすることになっていました。

神戸市のボランティア団体の皆さんによって、竹灯籠が用意されました
キャンドルは閖上中学校の卒業生らの
手によるものです
強風によって、慰霊のともしびは規模を縮小し、校舎前で開催
「ものすごい数の絵を集めて灯籠を作り、しかも1.2㎞にわたって道路に置いていくというもので、大変だなと思いました。ですから、私も式典の準備をする実行委員に名乗りを挙げて、友人たちにも声を掛けました」

こう語るのは、実行委員の1人です。

1月に募集が始まった絵は、初めのうちは集まり具合を懸念されていたものの、日増しに増えていったようです。一転して懸念されたのが、絵を張っていくのり付けや、それを組み立てる作業だったといいます。

実行委員会では、作業は1カ所では無理と判断し、実行委員が勤める職場や仙台市のNPO法人に、振り分けたといいます。そして、3月に入ってからは、ボランティアを1日20人ほど一般募集しました。

「最初の日は2人しか来てもらえず、間に合うのかかどうかが不安で、青くなりました。それからは、フェイスブックやツイッタ―を使って、あちらこちらに協力を呼び掛けました」(実行委員長の佐宗さん)

その甲斐があってか、直前の組み立て作業には1日に60人以上が参加したといいます。


絵灯籠は、4面をのりでつなぎ、正方形の台に載せてつくりました

ところで、このエピソードは現在の被災地全般のボランティア活動の状況を、ある程度示唆しています。

1年目は、ボランティアの方々は特に呼び掛けがなくても集まってくれました。大勢集まったボランティアの活動を、これもボランティアやNPO法人などが被災現場との調整役を買って出て運営する場面が多く見られました。

2年目になると、ボランティアの数が次第に減ってきて、現場をよく知る調整役も減りました。そのため、必要な時に必要な量の支援が届きにくくなっています。

その分、フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディアの役割が重みを増してきていますが、これらは情報を広めるためには大きな力を発揮するものの、力を適切にコントロールして配分していくのが難しい場面もあるようです。


組み立て作業をしながら、のり付け作業(右奥)もぎりぎりまで
続けられました
さて、この日の追悼イベントは感動の中で進んでいきました。

地元の祭りではいつも披露されていた閖上太鼓が、強風と寒さを蹴散らすように、鳴り響きました。

東北大学学友会吹奏楽部はトランペットを高らかに吹きました。震災犠牲者の中には、同期生の女性が含まれていたのです。

彼女はアルバイトをして、トランペットを購入したばかりでした。閖上中学校まではもう少しのところでどす黒い水の中に消え、後に、楽器を背負っている姿で発見されたといいます。

亡き地元の方々も聞き慣れていた「閖上太鼓」

同期生を失った東北大吹奏楽部の皆さんが、演奏を捧げました
地元の方は、さまざまに思いをはせていました。

「震災を忘れないようにすること。これから時間が過ぎると、どうしても風化するから」

「2年前とあまり変わらない。校舎から見た風景は海でした。その時を思うと・・・」

当日、絵灯籠を設置したボランティアの皆さんも、死者の霊を慰めようと精一杯だったと思います。

「若い私たちが携わっていかないと、復興は進んでいかないと思うので、次回も参加します」

「ここで友人が亡くなりました。進学で仙台を離れましたが、故郷のことがとても気掛かりで、力になりたかった」

当日集まりが心配されていたボランティアですが、目標の
250人を上回る280人が駆け付けてくれました
神戸から来られた方の話は非常に印象に残りました。

「きょう強く吹き付けた風は、亡くなられた方々の悔しい気持ちが噴き出したのかもしれません」

阪神淡路大震災の追悼式典では天候が荒れることがしばしばあり、10年目は大雨に見舞われました。それは、「悔し涙」に映ったのだといいます。

追悼イベントは滞りなく、終了しました。被災地である名取では、住民が心を安らかにして、また復興へと新しい生活の日々を始めていくのだと思いました。

(取材日 平成25年3月10日)