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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年3月3日日曜日

2013年3月3日日曜日17:34
こんにちは、Chocoです。
以前紹介したアートギルドの遠藤圭さんに続いて紹介するのは、同じくアートギルドの崎村周平(D-BONS)さんです。


震災後、たくさんの悲劇が人々を襲いました。
そして私の周りでは、たくさんの人が、苦境を跳ね返る位の気持ちで動き出しています。
崎村さんもその中の一人です。

牡鹿半島を中心に37台のコンテナにスプレー缶で絵を描く活動をしている崎村さんは、女川で生まれ育ちました。
「昔っから、女川が大好きなんです」


町全体が遊び場だったと、幼少時代を振り返っている顔は、とても輝いていました。
「ゲームセンターやカラオケ・・・といった遊び場がない中で、独自で遊びを考えて、街の中で遊んでいた。高校は石巻の方だったけど、やっぱり女川の駅に帰り着くとすごくホッとした」

そして、女川の町に広がる海もまた、崎村さんにとって良き理解者でもありました。
「絵で悩んだり、恋愛や家庭の悩みがあると、1人で海へ行っていた」

スプレーアートを始めたきっかけは、「中学で、ヒップホップに衝撃を受け、音楽を通してその中の文化の1つとしてグラフィティーを知った。絵も好きだし、音楽も好きだからという単純なことから始まった」と教えてくれました。

その時は海外アーティストの真似事で描いていたそうです。
「若気の至り」で公共の場に描いた作品たちを描いては消して、描いては消して・・・その連続だったそうです。
しっかり消すことができなくて、助けをお願いしたのが地元の塗装屋さん。
「そんなに描きたいなら、俺ん家の壁に描け!!」
と言われ、それが初めての依頼でした。
さらに、高校最後の夏には、グラフィティの道を歩むと決めた出来事が起きました。
日本を代表するグラフィティライターのTOMI-Eさんとの出会いです。
壁画の作品制作するために約1カ月間石巻に滞在していたTOMI-Eさんの噂を聞き、崎村さんは、毎日その現場に通い続け、本物のグラフィティの迫力に圧倒されました。
その経験からスプレー缶を一生握り続けようという想いが強まりました。

その後も、八百屋さんのシャッターなどもお願いされ描くようになり、高校卒業後は、地域活動などのポスターや、お店の看板デザインなどの仕事を経て、グラフィティーアーティスト「D-BONS」として活動してきました。


その活動最中だった、2年前の3月11日、
津波が崎村さんの作品やスプレー缶、大切なもの、大切な人を連れ去りました。

当時、崎村さんは石巻市南浜町の職場にいて、日和山へ逃げることができたため無事でした。
「パニックだった。今まで癒されてきた海にこんなことされて、皆のたまり場がなくなって、どこだ、ここは・・・という感覚になった」と当時のことをお話してくれました。
「ばあちゃんは、足が悪かったから、弟は一緒に逃げようとして呑まれたんだと思う」
「弟は女川の獅子舞保存会に入っていたり、コンビニでバイトしてたし、俺より顔が広くて、可愛がられてた。」
みんなに愛されていた弟さんは、アルバイト帰りに魚を持ってきた時もあったそうです。

とても仲が良かった弟、そして、一家を優しく包み込んでいたおばあさんは、津波に飲み込まれ、帰らぬ人となりました。

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「大丈夫か。今何が必要なんだ」
T0MI-Eさんからの連絡でした。
崎村さんが震災後一番欲しかったもの、それは・・・「スプレー缶」。
「そうか・・・わかった!!」
そして、TOMI-Eさんたちは大量の物資と共に、スプレー缶を届けてくれました。

そして、二人は共にスプレー缶を握りました。
精神的には落ち着いていない状況だったのに、絵を描くときすごく集中できて、その時
「俺にはこれしかないな、スプレー缶で一生描いていきたい」
と想いを再確認し、そして強く決心したそうです。


その翌年の5月、ピースボートの提案で、「コンテナに大漁旗を作ろうプロジェクト」が始まり、9カ月で37個のコンテナにスプレーを吹きかけました。

今回連れて行ってくれたところは、女川の竹浦浜です。
「ここは、プロジェクトではなく、個人的に頼まれたところなんです」
と、車で案内してくれました。
「ここは先輩のお家のもので、先輩の弟と俺の弟が同級生って言う繋がりがあって、『ぜひ描いてほしい』というオーダーが入ったんです。

竹浦浜の作品を眺める崎村さん。

サイドはメッセージボードに
D-BONSの七福神の恵比寿様

こだわりとは?
D-BONSDは将軍伊達正宗のこと
だから、自分が描くキャラクターは片目は描かない。
(指に注目)これはわざとスプレーが垂れた感じにしている。
その理由は、スプレーで書いているという主張。スプレーっぽさを出したいから」

「グラフィティーって、人の描いたものの真似から入ると思うけど、自分がどれだけオリジナルの物を持っているかっていうのも武器だと思う。それを模索していた。コンテナに絵を描き続けていて、自分のグラフィティーはこれなんじゃないかと思えた。」
ずっとやっていたけど、大漁旗や魚、海を描くのは、初めての経験でした。

「今後は、女川の海の大漁旗であったり、海の要素とグラフィティーをミックスさせた絵を自分の中で消化して確立したい。誰もが『あの人が描いたんだ』ってわかるようにしたい」と語ってくれました。

崎村さんにとって、スプレーアートとは・・・
「魂」
D-BONS(崎村周平)さん 

悲しみを乗り越え、スプレーをまた手にした崎村さん。

地元の人たちへの想いと県外の人への想いをお話ししてくれました。
「俺が動いて、それをまだ動けない人が見て、『自分も頑張ろう』と思ってほしい」
そして、被災地としてじゃなく、女川として見てほしい。女川でこういう人がいる・・・そして、その人たちが、女川にきて、女川を知る。俺は、その『きっかけ』であればいい」

大好きな女川のために、大切な人々のために、
スプレー缶を片手に活動しているスプレーアーティストD-BONS(崎村周平)さん。

今後の活躍も楽しみです。


崎村さんに会いたい方は、女川きぼうの鐘商店街の「アートギルド」へ!!
作品を見たい方は牡鹿半島へ向けて車を走らせると、道沿いにあるコンテナが元気よく出迎えてくれます。
そして、D-BONSさんのライブアートを見たい方は、今月の23,24日に行われる女川復興祭へお越しください!!


(取材日 平成25年2月22日)

TOMI-E・・・日本を代表とするグラフィティーライター
「コンテナに大漁旗を作ろうプロジェクト」・・・一般社団法人ピースボートが企画したプロジェクト。
漁具や船、小屋なども全て津波に持って行かれた漁師さんが震災後、コンテナを使い漁具などを入れる倉庫として使用しています。殺風景だったコンテナが、崎村さんの手で色鮮やかで温かい姿に変わりました。