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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年2月18日月曜日

2013年2月18日月曜日18:51
こんにちは、Chocoです。

インターネットの時代だなーとつくづく思うのが、SNSの利用率です。
多くの人がフェイスブックなどのソーシャルネットワークを活用しています。
そして、私もその中の一人・・・
離れていても相手とのコンタクトが簡単に取れるのがとても良いですよね。
そして、今回このSNSで集まった人々が女川と石巻の応急仮設住宅に集まりました。

命名されたのが「ちょこっとボランティア」
SNSで声を上げて、集まった人たちがこちらです。

2日間一緒に活動した皆さん
今回の炊き出しイベントで集まったボランティアの人々には、ミュージシャン、漫才師、カウンセラー、そして地元で地元の人々のために活動している人と、さまざまでした。
その中に私たちINJMも加わらせてもらいました。


炊き出しで提供されたのは、お好み焼きと焼きそば、生ガキ、2日目には綿あめの提供もありました。
材料もさまざまなところからの支援があり、たくさん作り、より多くの人々に食べてもらうことができました。

今回イベントが開催されたところは、女川の横浦浜と石巻の蛇田中央仮設でした。

今日は、1日目にイベントを行った、女川の横浦浜仮設をご紹介します。

横浦浜は、女川町中から国道41号線を車で約20分走らせたところにあります。

震災前の横浦
震災後の横浦

東日本大震災(地震、津波)被害状況専門サイト 参照



私がお話を聞いた木村登志子さんも津波の被害に遭いました。
「津波が来たから、自宅の2階に逃げたんです。
だけど、津波は2階にまで来て、でもたまたま1階と2階が少し離れたみたいで、天井に隙間ができてそこから呼吸をしていたんです」
丁度、一緒にいたお嫁さんが波の勢いで外に出されて、屋根の上に登ることができ、その後、登志子さんを助けてくれたそうです。

「安心があるのよね。ここまでは来ないって・・・」
「みんな、また戻って来られると思って、外をウロウロしていた。
『まだ来ないねー』と海を眺めていた」
全ての人々が初めて見る大津波。

「来ないだろう」
という変な安心感が多くの人々の命を奪いました。
そして、人口約100人だった横浦浜の人々も11人の方が犠牲となりました。
津波の高さは小高い所にある45号線にまで達したそうです。


横浦浜仮設は、41号線の道路を挟んで、両側に仮設住宅が建てられており、
そこには20世帯、約56名の人々が暮らしています。


マッサージ師さんの登場で、
地元の方々も癒しのひと時を過ごすことができました。


お好み焼きを作るボランティアの人たち

ちょこっとダンディーのショータイム
http://kaleidoline.jp/geinin-meikan/04ta/02chi/chokotto_dandy.htm


最後に、ボランティアさんと木村さんとの集合写真を撮りました。

横浦浜の皆さんから「ちょこっとボランティア」メンバーへのメッセージ
(ボランティアさんに囲まれているのが木村登志子さん)
「遠い所 ありがとうございます。おいしかったでーす。感謝、感謝です。」
横浦一同        
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ちょっとおもしろい、横浦浜の事情
イベント終了後、私たちは浜まで歩いて降りて行きました。




浜までたどり着く途中、何人かの地元の方と会いました。
写真に写っている地元の方・・・
苗字は全員「木村」さんです。

実は、横浦浜の仮設住宅に住む全ての人が「木村」さんなのです。
お話しをしてくれた登志子さんにも、「ここ全員木村です」と教えてくれました。
ほとんどが親戚同士だと言います。
なぜかというと・・・
「横浦の仮設の裏をもうちょっと登ると、城跡があるのね。木村の城があったんだ。そこを守る家来の子孫が私たち」だそうです。

登志子さんの息子さんで20代目になるそうです。
今は津波で流されたお宅も「400年続いていたお家だったんです(立て直しなどはしているけど・・・)」とお話ししてくれました。

とても珍しく、そして歴史あるのが、横浦浜です。
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浜に小山があり、そこには神社がありました。
「あの参道の階段の3段しか残らなかったんだ」
沖から帰ってきた漁師さんが教えてくれました。

小山の上にある神社の参道の上から3段目まで海水は達したそうです。
津波は私がシャッターを切った場所よりもはるか高いところまで上り、写真の左側に見える小山の神社の上から3段を残し、階段は海水に浸かったそうです。

以前は、目に見えた津波の被害も少しずつ少しずつ片付けられ、どこまで津波が到達したか、どんな被害があったのか・・・というのは直接見ることができない場所も多くなってきました。
地元の方に聞いて、「えっ?!」と驚くこともあります。
今は更地だけれど、以前は住宅地だった、歴史あるお家がたくさんあった・・・

私たちには、訪れた場所がどんな状況だったかは分かりません。
特に街中ですが、復旧が進み、道路のでこぼこも直され、建物も新しくなり、目に見える復興が多くなりました。

そこからは、どんな被害出たのかというのは見えにくくなっているのは確かです。

今回、地元の方と話して、横浦の歴史、津波の被害、現在の生活の状況などを知ることができました。

横浦の皆さん、ちょこっとボランティアの皆さん、ありがとうございました。


(取材日 平成25年2月10日)