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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2013年2月1日金曜日

2013年2月1日金曜日21:00
皆さん、こんにちは。けいこです。

塩釜港に昇る朝日を撮影した写真です。
雪が積もった港町を赤く照らしています。

この写真は、東日本大震災の翌朝に塩竃市立第一中学校から撮影されたものです。
右手には、津波の被害を受けたマリンゲート塩釜。
中央に写っているのは、がれきがスクリューに絡まり動けなくなった海上保安庁の船です。

この写真を撮影したのは、塩竈市で長年写真店を営んでいた、フジカラープラザ岩沼さくら店・大友写真館の大友文雄さんです。
現在は塩竈市を離れ、岩沼市の自宅を改装し写真店の営業を続けています。

カメラを通して塩竈の町や人を見つめてきた大友さんに、震災当時のお話を伺いました。

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以前塩竈市にあった写真店は、海沿いにあるマリンゲート塩釜の近くにありました。
地震が起きた時はお店の棚に置いたものが2、3個落ちる程度だったそうですが、目の前に開ける海は2メートル近い津波になってお店を襲います。

避難しながらも、大友さんは町の様子を撮影し続けました。
液状化現象によって吹き出す泥。
雪の中、避難を急ぐ車の列。
当時の様子を撮影した写真からは、張り詰めた塩竈市内の様子が伝わってきました。

その後大友さんは鹽竈神社、さらに塩竈市立第一中学校へと避難します。
そこで撮影されたものが上の写真です。
「あの日の夜は、仙台新港のコンビナートで起きた爆発の音も聞こえていました」


数日後にお店に戻ると、撮影や現像に必要な機材は津波によって全て使用できない状態に…。
建物の外壁やシャッターははがれ、歩道もアスファルトがえぐれた状態となり簡単にはお店の中に入れなかったそうです。
それでもなんとか店内から機材や道具を運び出す作業を続けたと言います。

2011年3月末のお店の様子

津波の被害を受けたお店の中から運び出したカウンターと椅子。
現在の店舗でも使用されています。
津波を被ったため、所々にさびが…。
震災直後の4月。
大友さんは地元の岩沼でお店を再開させることを決意します。

「塩竈でまた再開しようと思っていたのですが、家庭の事情もあり岩沼で新たに再開することにしました。震災直後の早い段階で新しいお店用に機械を注文していたので、改装工事が終わる前にその機械が届いてしまった、なんてこともありました(笑)。家内には、“もうお店を続けなくてもいいんじゃないの”なんて言われましたけど、これから何もしないっていうのもなんだかしっくりこなくてね」

行政の復興計画が動き出すより早く、自らの大きな一歩を踏み出した大友さん。
お店を再開するのも、岩沼の自宅を改装するのも、全てが即決。
その決断に戸惑いや迷いはなかった、と言います。

震災後3カ月で岩沼市の自宅を改装。

大友さんの自宅の改装工事に集まったのは、石巻の大工の方々。
自らも被災をしていながら、毎日工事に駆け付けたそうです。
↓↓↓

これが現在のお店。
庭先の畑と倉庫があった場所に建てられました。

大友さんのお店が新天地でスタートを切ったのは2011年8月。

「新しくオープンしてからは、津波を被った写真がきれいになるかどうか尋ねてくる方が多かったです。現像を依頼に来る仮設住宅の方もいました。私はボランティアで写真の洗浄作業を手伝ったりしました」

塩竈でお店を開いていた頃には近所の保育園の運動会なども撮影していた大友さんは、塩竃の人々の成長を見続けてきました。
岩沼に移転した後もそのつながりは続き、今も塩竈から撮影を頼まれることがあるそうです。
遠く離れても、昔からのつながりは強いものになっているんですね。

「いまだに塩竈から現像の注文をいただいたり、カメラの修理を頼まれたりすることもありますよ。私に年賀状のプリントを頼みたいと言ってくれた方もいました。依頼された仕事は、絶対に断りたくないんです。いろいろな注文に応えていくのが楽しくて、好きなんです」

大友さんは、塩竃の方たちの印象をこう語ります。

「いろんな人が出入りする港町だからかな、塩竈の人たちは人懐っこいんです。一度仲良くなると相手に対して思いやりを持つような、素敵な人たちがとても多いです」


写真の現像に必要な機械。
これが無ければ仕事にならないと言います。


「朝早い時間や雨の日はきれいに撮れますよ」
ちょっとした撮影のテクニックも教えてもらいました。


大友さんは現在、岩沼市にある2つの写真クラブに参加しています。
岩沼市民会館や仙台空港のロビーでの展示も行ってきたそうです。
季節の風景の撮影会や批評会を行い、今もなお撮影技術を高める努力をされています。

「もともと私は現像を専門とした仕事をしていたんです。ネガを見ただけで、それがどんな発色になるのかわかります。色に関しては自信があります。技術は誰にも負けません」

長年積み重ねてきた経験と自信。
塩竈の方たちが今でも大友さんに現像を依頼する理由もここにあるのではないでしょうか。


「まだまだこれからです 頑張るのは」

今後の意気込みをお聞きしました。

「写真を好きな人がどんどん増えてきていますよね。そういった方の役に立ちたいと思っています。みんなに喜んでもらえるような写真屋さんでいたいですね」

震災で大変な苦労をしていながらも、「まずは何事もとにかくやってみる」という明るく前向きな大友さん。
取材中も笑顔を見せながら、いろいろな話をしてくれました。

塩竈からの応援を受け、今後は岩沼の方々の成長も見つめる写真屋さん。
2つの町を股に掛けたくさんの思い出1つ1つを切り取っていってほしいと思います。

※写真提供:大友文雄さん

(取材日 平成25年1月11日)