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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年12月29日土曜日

2012年12月29日土曜日12:33
こんにちは。けいこです。


JR長町駅の東に広がるあすと長町。
ここに、認知症の方18名が入居するグループホーム型福祉仮設住宅「なつぎ埜(の)」があります。

津波で被災を受けたグループホームの再建について、なつぎ埜を運営する「株式会社リブレ」代表の蓬田隆子さんにお話を伺いました。
悲しい出来事や困難を乗り越え、入所者のために走り続けている蓬田さんのお話は、震災を通して見えてきたたくさんの問題に気付かせてくれます。

東西に配置された2つのユニットからなる「なつぎ埜」。
あすと長町の一角にあります。
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地震が起きた時、蓬田さんは認知症についての講演を始める直前でした。
揺れが落ち着いた後に車を走らせ、津波が来る前にやっとの思いでなつぎ埜に到着します。

「なつぎ埜は以前、若林区種次にありました。海に近いということもあって津波に対する意識が高く、地域では頻繁に防災訓練を行っていました。認知症の方は、“どうして今避難しなければならないのか”という状況の理解が難しいので、普段から避難訓練をしておくことがとても大事でした」

避難の準備はスムーズに進み、まず先に入所者のうち14名が指定避難所となっている小学校へ随時避難します。
しかし、最後の車が出発しようとしたとき、校庭が避難を急ぐ車でいっぱいになってしまったという連絡が入ります。
蓬田さんは残る入所者4名と共に、なつぎ埜前の駐車場に車を停め、いつでも避難できるように待機していました。

「そのとき、“津波が来る!”と叫びながら走り抜ける車がいたんです。海の方を見ると、白い波しぶきをあげて向かってくる津波が見えました。波の下の方はいろんなものを巻き込んでいたんでしょうね、真っ黒い波でした。それを見てすぐ、西へ西へと逃げました」

向かった先は蓬田さんが運営するもう1つのグループホームで、宮城野区にある「よもぎ埜」。
地理に詳しい職員の方に先導され、必死に車で逃げたそうです。

先に14名が避難した小学校では、地域の方も含め多くの方が校庭や体育館で待機していました。
そこに津波が襲ってきます。

校庭にいて津波に気付いた方の
「津波が来る!」
という声で元気な人は校舎に逃げたものの、校庭に停めた車で待機していた方が津波に流され、残念なことに7名の命が奪われてしまいます。
助けられなかったという後悔は、今も蓬田さんの心に大きな傷として残っていると言います。

種次にあった時のなつぎ埜。
震災の翌日に仙台東部道路を歩き続けたどり着いた時には、
建物の周りは湖のようになっていたそうです。
(写真提供:なつぎ埜)

認知症の方は、「環境の変化」にとても敏感だと言います。
私たちが地震の時に感じたような恐怖やストレスに加えて、とてつもない不安や心配を感じていたようです。

「“ここはどこ?今は何時?”そんなことを何度も聞かれました。“津波が来たんだよ”、“ここは学校だよ”。今の状況を長く説明するのではなく、ゆっくり短い言葉でわかりやすく答えました。職員が不安になっていたら入居者も不安になってしまいます。常に笑顔で元気にいるように心掛けていました」


蓬田さんは震災の翌日には避難所にいた7名をよもぎ埜に迎え入れ、1つの施設に29名が入居するという避難生活がスタート。
ライフラインも絶たれている中での避難生活は本当に大変だったと当時を振り返ります。

仮設グループホームに移転したのは昨年8月。
震災から5カ月というとても速いスピードで入居者の安心できる場所を手に入れることができたのは、蓬田さんたち自らが厚生労働省や政府に現状を訴えたことがきっかけです。

厚生労働省からは素早い対応があり、イメージ図として簡単な図面が提示されたものの、調理場もなく、トイレも1カ所だけというもの。
認知症の方が安心して暮らせる機能を満たしていくために、細かい部分を直し、何度も何度も調整を重ねます。
その結果、仮設と言えど十分に認知症の方のための機能が整った「グループホーム型福祉仮設住宅」が完成したのです。

その後、被災地には相次いでグループホームが生まれました。
蓬田さんたちが踏み出した大きな一歩が形になった証です。


施設前に作られた畑。
大事なコミュニケーションの場です。

そんな仮設グループホームの前には、畑が設けられています。
この畑は入居者と地域の住民とをつなぐ手段の1つとなっていて、半分は仮設住宅で暮らす方々へも貸しているのだとか。
交流のためには欠かせないそうです。

「震災前に畑作業をしていた人たちは、仮設住宅に移ったことで作業ができず、生きがいを無くしているかもしれないと考えていたんです。毎日手入れに来る方もいますよ。なつぎ埜の畑も手伝っていただいて助かってます。入居者も土に触ると元気になるみたいです。大地に足を踏みしめて、自然と姿勢がしゃんとなるんですよ」

「何を作っているの?」、「随分大きく育ったね」と声を掛けられることもあるとか。
畑は地域とグループホームをつなぐ大事な役割を担っています。
(提供:なつぎ埜)
入居者の方はここで採れた食材を使って食事を作ることもあるとか。
「採れた食材をどう食べるか」を考えることも、ケアの1つだそうです。

「例えば、採れた野菜をどうやって食べるか入居者の方と献立を考えるんです。畑は入居者に主体的に生きてもらうための道具でもあります。全て私たちがやってしまっては、その自信と誇りを失ってしまいます。人生の先輩として堂々と生きてもらいたいと思っているので、できることはどんどんしてもらっています」


伺ったときには、皆さんでお皿を拭く作業をしていました。
入居者の皆さんでご飯を作る様子。
料理自慢の腕の見せ所です。
(提供:なつぎ埜)



長期的な視点で震災に対する福祉のあり方を考えると、やはり行政や政府の支援が不可欠です。
その支援を待つ課題の1つに、「福祉避難所」の設置という問題があります。

「福祉避難所」とは、高齢者や障害者など、災害時に介護や救護が必要となる方へ配慮した市町村指定の避難所のこと。
バリアフリーであることや、介助ができる職員がいることなどの条件があり、災害時には老人ホームなどの既存の施設がそのまま障害者などを受け入れる福祉避難所となります。

「全国の避難所を調べてみると、その多くが海や川に近い場所に建てられているんです。そこにいる方たちがすぐに逃げられるような、福祉避難所を何カ所も作ってほしいと強く思っています。すぐにできるものではないですが、とにかく災害が起きたときには、認知症の方などが安心できる場所が必要です。そのためには行政の応援が必要だと思っています」


高齢になっても障害をもっても かけがえのない命
人は1人では生きられない 安心できる暮らしを地域と共に

震災後のさまざまな問題をとてつもないスピードで乗り越えていく蓬田さんは、今後も障害者の支援にために走り続けると言います。
蓬田さんの意志を支えているのはどんな思いなのでしょうか。

「入居者の方には、1人の人間として最後の最後まで人間らしく生きていてほしい、と思っているんです。障害を持っていても、誰かの大切な存在です。“今できること”を先延ばしにしないで、入居者の人生を支えていきたいと思っています。入居者の方からは思いやりや励まし、そして気遣いの心を日々いただいています。だからこそ、今は一緒にいることの幸せを毎日感じているんです」

今回の震災で、県内20カ所のグループホームが全壊。
そのうち18カ所は再建に向けて動き始めています。
しかし、障害者を災害から守るために考えていかなければならない問題は山積みです。

仮設住宅と同様に、グループホームも入居できる期間は2年間。
移転先を探すのにも一苦労だと言います。
今後はグループホームが地域に対してできる役割も探していきたいと蓬田さんは語ってくれました。

この取材を通して強く印象に残ったのは、
「どうにかして入居者の生活を良くしたい。これからの生活に不自由がないようにしたい」
という一心で尽力している蓬田さんの姿そのものです。
福祉の復興の先頭を走り続け、障害を持った方がより良い暮らしができるようにと道を開いてきた様子を、蓬田さんの言葉の端々から手に取るように感じることができました。


(取材日 平成24年12月12日)