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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年12月8日土曜日

2012年12月8日土曜日12:01
こんにちは、Chocoです。
昨晩の地震について、私の周囲の報告です。

昨日の午後5時18分ごろ、三陸沖で震度5弱の強い地震が起きました。
マグニチュードは7.3と推測されています。

石巻の家にいた私は、夕ご飯の支度をしていまいた。
いつものように、「5時の音楽」が外から聞こえてきました。
それから十数分後、強い揺れを感じました。
しばらくそのまま動かずにいましたが、揺れが続き、強さが増したので、家の中にいた人たちと外へ出ました。


「去年の揺れよりは強くはないけれど、強い・・・」と震災当時を思い出していた私を正気に戻したのが、「避難するよ!!」という仲間の声でした。

急いで車に乗り近くの山の方へ避難しました。
その時、隣に住んでいたおばあさんも一緒に連れて行きました。

住宅地を過ぎるとすぐ渋滞にはまり、1時間以上車は動くことができませんでした。

避難勧告のアナウンスが避難中に何度も流れました。
農免道路も渋滞に

私が一緒に避難したのは、私のボランティアの上司2人と隣に住んでいるおばあさん。
上司2人は、携帯やパソコンを使って、みんなの無事を確認、他県や国外にいる人々に報告をしていました。

おばあさんは、時々昨年の震災の話をしてくれました。
「震災直後は1個のおにぎりを3人で分けたんだ…」
「当時は、どんなものでも食べられることが何よりも幸せだった。どんなものでもおいしく感じられたんだ」
そう、話してくれました。
多くの地元の方々は、去年の震災が頭によみがえり、とても不安な時間を過ごしたことと思います。
私でさえも、「津波が再来したら・・・」と思い不安になりました。




地震から約2時間半が過ぎたころ、避難勧告が解除され、8時頃には帰宅することができました。

私にとって、初めて「津波」から逃げるという経験でした。
地震での被害以上に、津波の避難は困難だということをあらためて感じました。

いくら高さ10メートルの堤防を作っても、街は平たいまま、道路は細いままだったたら、逃げ場がありません。
実際、私たちが逃げた所は農道の片道1車線、一方通行です。
そして、渋滞にはまりました。

私の住んでいる渡波(わたのは)地区には高い場所と言えば、遠くにある山くらいです。昨年の東日本大震災では、この地区だけで、200人以上の方が津波の被害に遭い亡くなりました。

女川街道(国道398号)を挟んで海側にも、山側にも高い建物はあまりありません。
避難所の設置が何よりも大切なのかもしれません。

今回を振り返ると、避難勧告が鳴る前に、行動する人が多かったです。
渋滞にはなったものの、住民の皆さんの意識はとても高かったと思います。

そして、隣人との助け合い、声を掛け合うことも日頃から大切なのだと思いました。
誰が住んでいるか、どんな状況か(1人暮らし、足が悪い・・・など)日ごろから分かっていれば、いざというとき助け合えるのではないでしょうか。

沿岸だから、被災地だからではなく、皆さんにも言えることなのかな・・・と、避難した翌日の今日、ふと思いました。

「日頃から・・・」が大切です。


(取材日 平成24年12月8日)