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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年12月25日火曜日

2012年12月25日火曜日18:59
皆さん、こんにちは。スーサンです。

今回は、塩竈市内のかまぼこ業者を訪ね、復興の歩みを尋ねました。

塩竈市について、知られているようで知られていないことの1つが、市町村ごとのかまぼこの生産量、生産金額が全国一であることです。いや、正確には「全国一だった」と言うべきで、平成23年は全国7位に転落してしまいました。

塩竈市のかまぼこ業者を含む水産加工業者は、塩釜魚市場の北側に広がる水産加工団地の新浜、そして、塩釜港奥の北側となる北浜の、JR仙石線の高架からは海側に見える一帯に集積しています。

東日本大震災は両地区に大きな被害をもたらしました。かまぼこについても、生産の大幅な減少を招いたのは言うまでもありません。

軟弱地盤が散見されていた新浜では地震により、冠水しやすかった北浜では津波の襲来により、それぞれ工場などで損壊が生じました。塩釜蒲鉾連合商工業協同組合によると、23の加盟社中17社で建物の損壊が生じ、このうち2社では全壊となったといいます。

震災から1カ月後の写真。2階建ての工場に対岸の
防波堤からの跳ね返りの波が直撃しました
工場内部は破壊され尽くされました
今回おじゃましたのが、その全壊した1社である株式会社カネコ橋沼商店です。昭和2年(1927年)に北浜地区で創業した老舗かまぼこメーカーで、過去には揚げかまぼこやちくわを生産していましたが、現在では笹かまぼこに特化しています。

同社の2階建て工場、隣接する社長宅は、海岸線と50mと離れていませんでした。その間には護岸工事のための更地があるだけです、港の奥に入った津波は対岸の防波堤に当たり、その跳ね返りがまともに押し寄せ、4.8mの浸水となったといいます。

創業者から数えて3代目となる橋沼幸造社長(59)に、震災当日を振り返ってもらいました。

「地震後、直ちに30人の従業員を避難させました。津波が来た時は自宅の2階にいましたが、ただ、あぜんとしていました。次に頭をよぎったのは、とにかく商売を続けようということでした。収入を得て、借入金を返していかないといけないという思いでした」

同社では被災企業で多く見られるように、操業停止と引き換えに、金融機関からの借入金や設備のリース代が残る格好となりました。

再建に向けての動きは早く、昨年5月の段階で現在地での再建を決めています。その後、ほどなくして、施設や設備の復旧・整備に国が50%、県が25%を上限に補助する、いわゆる、グループ補助金を申請しています。

この補助金交付では、地域貢献の度合いが審査されるといいます。補助金は昨年11月に認められる結果となりましたが、市内の小中学生を対象にしたかまぼこの食育が評価されたとみています。かまぼこを学校の給食に取り入れてもらうなど、先ほどの塩釜蒲鉾連合商工業協同組合の一員として、同社が30年以上取り組んできたものです。


旧工場跡地に建設された新工場(延べ床面積435㎡)
新工場には直売所を併設しています
新工場は昨年11月に着工し、今年4月に完成しました。生産ライン2つを持ち、以前と同じような生産規模といいます。総工費は約4億5千万円です。グループ補助金では充当できなかった1億9千万円については、県の外郭団体である「みやぎ産業振興機構」を通じた無利子融資を受けることができました。

「実際に補助金が交付されるのは、工事がすべて完了してからです。銀行からのつなぎ融資がなかったら、再建はできなかったかもしれません。銀行には感謝したい」

生産ラインは2つで、生産規模は以前と変わらないといいます
スーパーマーケットなどでおなじみの商品
従来の雇用を維持しながらの再操業から8カ月がたちますが、生産量は震災前の6割にとどまっているといいます。ビジネスの展開の難しさが如実に表れているのです。事業再開の4月の段階では、年末から来年の2、3月にかけての商談は間に合わなかったといいます。

「いろいろ提案したくてもできませんでした。震災によって、量販店の売り場から当社の製品が消えましたが、他社の商品が取って替わっています。当社の生産が回復したからといって、すぐに元に戻るわけではありません。今後、来春以降の商戦に懸けたいと思っています」

当然、顧客の新規開拓は欠かせません。全国各地で開催される商談会の派遣に県が交通費を補助する事業なども、積極的に利用しているようです。

同社の商品は笹かまぼこですが、土産物・贈答用が3割、量販店向けが7割という売上構成となっています。土産物・贈答用にはシンプルなものに加えて、フカヒレやカキ、ホヤなどの食材を使ったものがあります。食材の仕入れ先は気仙沼、石巻両市、女川町などで、復興は県内各地と軌を一にしているということを、あらためて認識させられました。

復興へ力強く歩み出した橋沼社長
今後の抱負を問うと、「事業の再開を成功させ、借金を返済していきたい」と、飾り気のない表現が返ってきました。

量販店への販売で柔軟に対応するため、年末年始も操業は休むことなく続けられるといいます。

全国7位からトップの座を奪還することは、地域経済を立て直すことを意味します。「カネコ橋沼」のブランドをはじめとして、塩竈市の水産加工業者のこれからの奮起に、大いに注目していきたいものです。

橋沼社長は、昭和35年(1960年)5月に発生したチリ津波を鮮明に覚えているといいます。自宅の解体の際に出てきた当時の雑誌には、今回の津波と同じだった浸水深や、自衛隊の出動、復興予算の不足といった事実経過が掲載されていて、既視感にとらわれたといいます。

私たちが東日本大震災からどれほど学ぶことができるのか。それを考えるには、とても示唆に富む話でした。

(取材日 平成24年12月19日)