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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年11月12日月曜日

2012年11月12日月曜日10:52
皆さん、こんにちは。スーサンです。


流出は免れたものの津波をかぶり汚損した石巻市鮎川の貴重な民俗文化財などが、大学生の手によって洗浄、復元され、仙台市内でお披露目されました。11月6-8日にせんだいメディアテークで開催された「東北学院大学 文化財レスキュー展in仙台」でのことです。今回は、その模様をお伝えします。

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はて、これは一体何でしょう?

取っ手を持って手で押すものなのか、回転する軸には金属の突起が付いていて、何やら農機具にも見えますが・・・

金属付きの回転軸は、押しながら田畑で使うものなのでしょうか




この他にも、竹で編まれたひょうたん型の巨大なかご、こたつの木組みとしてはかなり背が高すぎるもの・・・・・・。摩訶不思議なものだらけの印象で、「何だろう」「こうするものだ」といった反応がそこかしこで聞こえてきました。民具好き、木工好きの来場者も相当数に上りました。


会場に所狭しと並べられたのは、農具や漁具、生活用具など200点余り。いずれも、明治初期から昭和30年代にかけて、石巻市鮎川周辺の牡鹿半島で実際に暮らしの中で使われてきたものなのだといいます。



この辺りは、桶や時計などと分かるのですが
学生の皆さんが、来場者から聞き書きしていました

実はこれらはもともと、石巻市教育委員会が設置している「石巻市鮎川収蔵庫」に文化財として保存されていたものなのです。

収蔵庫は、昨年3月の震災でいったんは泥まみれの海水に浸かり、破損した壁からがれきが入り込む状況にありました。昭和30年代に旧牡鹿町教育委員会が始めたという収集は、民俗学的なものに加えて考古学的なもの、歴史学的なものにも及んでいます。


それら文化財は昨年6月、国の文化機関などで組織された「被災文化財等救援委員会」によって〝救出〟されました。地元体育館に一時保管した後で、東北学院大学博物館に移されたのです。その数は民俗資料が約4000点、考古・歴史資料が平箱で60個に達しました。


洗浄と復元は、東北学院大文学部歴史学科の学生らが中心となり、行われました。汚損の状態を記録するカルテを元に、水洗い、ブラッシング、カビ取りといった地道な作業が続けられてきました。

手押し式消防車なのだそうです

今回の公開は、今年8月の現地鮎川での展示会に次ぐものとなりました。前回と同様に、会場にはノートを手にして来場者に接する学生の姿が見られました。展示物に関連する情報を聞き書きしていたのです。


文化財はその背景を示すデータが重要になるといいます。ただモノが残ったとしても、それが何であり、地域の歴史にどのように関わってきたのか――こうしたことが分からなければ意味をなさないといいます。


昨年回収された文化財のデータは、元来なかったのか、津波で散逸したのかは判然としていないようなのですが、再構築が求められています。


「鮎川ではある程度、道具の用途などを聞くことができました。仙台ではむしろ、鮎川以外の人や、鮎川を過去の移住あるいは今回の震災避難で離れた人にとって、道具が何らかの意味を持つものであるのかを探りたかったのです。こうすることによって、今後のコレクションで活用の道が開けてくるのではと考えています」


こう語るのは、回収と復元に取り組んできた東北学院大文学部歴史学科の加藤幸治准教授(民俗学)です。


予想外の展開になったようです。

展示の目玉の1つになっていた手押し式の消防車。それを鮎川まで「販売しに行った」という人が現れました。昭和40年に納入されたといいます。

鮎川出身者からは展示物を巡り、「おじいさんが使っていた」「うちにも同じものがあった」などの発言がある一方、震災前の普段の暮らしを「思い出すきっかけになった」と吐露する声も。


距離や時間を越えて、1つの地域が豊かに映り現代によみがっていくのが、文化財の魅力なのかもしれません。

加藤准教授(右から3人目)と学生の皆さん。「学生の力で 文化財 保護!」

全国有数の捕鯨基地だった鮎川ならではものとしては、捕鯨船のへさきで使われていた鋼鉄製のモリが公開されていました。


加藤准教授によると、牡鹿半島で収集されてきたものの特徴は、意外にも漁具、養殖具より農具が多いのだそうです。半農半漁の生活の歴史がうかがえるといいます。

捕鯨船で使っていたモリです

牡鹿半島は明治以降、昨年の惨禍を含め4度の大津波に遭遇しています。

日々の営みで使われていた道具はその結果、流失したものが多かったはずです。過去には、後年貴重な資料となる道具がどのように回収、復元されたかを示した記録が残されていません。

東北学院大の取り組みは、文化財の復興の過程自体を研究することにつながり、大いに注目されています。


会場では、考古資料の縄文土器、歴史資料の板碑拓本が合わせて展示され、学生らの洗浄・復元作業の様子がパネル紹介されていました。

縄文土器もコレクションされていました

中世の街道にあったという石碑を元にした拓本
学生たちの洗浄・復元作業の記録もパネル紹介されていました

東北学院大学では2年後をメドに、全資料を石巻市教育委員会に返還する予定です。その間、再度、石巻と仙台の両市で展示開催することが検討されています。
乞うご期待です。


(取材日 平成24年11月7日)