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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年11月27日火曜日

2012年11月27日火曜日18:51
皆さん、こんにちは。スーサンです。

私たちが被災地でこれから過ごす時間というのは、復興と風化という言葉が絶えず交錯していく時間なのだろうと思えるのです。

被災して亡くなった人々の氏名板を残そうと、奮闘している人物に出会いました。

仙台市在住の瀬川満夫(80)さんです。1、2カ月に1度のペースで、太白区の「あすと長町仮設住宅集会所」で、表札づくりの妙技を披露するボランティア活動を続けています。

前回目の当たりにして再び来訪してみたという、ある女性の住民から、瀬川さんはリクエストを受けていました。さすがに手慣れたものです。瞬く間に、その板状のものには美しく整った文字が彫られていきます。

実は、表札の材料とは砂なのです。鋳物用に使う砂とある砂を掛け合わせ、鉄板の上で焼きます。強固な砂の板が出来上がるといいます。

砂板に表札を彫っていきます

瀬川さんは若い時分から、同市若林区の荒浜に縁がありました。

瀬川さんは、最近でこそ出番が少なくなったものの、三代続く「焼き判師」なのです。菓子のまんじゅうなどの表面を見ると、字や模様が刻まれていることはありませんか。焼き判とは、金属の塊に字や模様を彫り込んで、取っ手を付けたものです。金属の部分に熱を加え、食品などに押し付けることで、商品に新たな表情を生み出すという日本古来の道具なのです。

焼き判を作るためには砂で型を取ることが必要で、よく荒浜に足を運び、砂をふるいに掛けては持ち帰ったといいます。老いてからは、荒浜の近くにある「冒険広場」という公園で、砂板を焼き子どもたちに文字を刻んでもらったり、廃材に焼き判を押して子どもたちに色を付けてもらったりと、積極的にボランティア活動を行ってきました。

その周辺一帯を3・11の津波が飲み込みました。「ある砂」とは思いのいっぱい詰まった荒浜の砂なのです。震災当日はバスで荒浜に向かう予定でした。ところが、バスに乗り遅れ、命拾いすることにもなるのです。

「とても運命的なものを感じましたね。亡くなられた方々からは、名前を残してくれと聞こえてくるような気がしてならなかった」

荒浜地区で死亡した被災者は300人近くに上るといいます。そのうちの30人分ほどの氏名板が、瀬川さんの手によって彫り始められているのです。材料には、もっと厚く大きなものですが、表札と同じ砂板が使われています。

さまざまな文様の焼き判を押した経木も人気

今回の震災を、遠い日の戦災に重ねたといいます。

昭和20年7月10日。仙台市内は米軍の大爆撃を受けます。自宅周辺は焼夷弾によって火に包まれました。親兄弟とは散り散りばらばらになり、当時12歳だった瀬川少年は1人で必死に逃げたといいます。今回の津波でもよく語られる「てんでんこ」の行動です。

戦後しばらくして、「仙台空襲」の全容を知ることになります。自分より年少の逃げ切れなかった少女の死が、特に衝撃だったといいます。

「歴史というのは勝者の歴史であり、戦争の被害者が名を残すことはなかったのだと思いました。だからこそ、後世に戦災というものを伝えていきたかった」

こうした思いが、驚くべきことに、空襲による全死亡者の名前をブロンズに彫るという作業に向かわせます。要した時間は10年間といいます。その氏名板は、仙台市戦災復興記念館に寄贈されています。毎年、戦災記念展示期間に公開されることになっていて、縁故者らによって直に手に触れられる機会が多いといいます。

「災害で命を落とした人たちも、歴史に名が残ることはなかったのかもしれません。震災を風化させることだけはしたくなかった」

材料は、当初の予定ではブロンズも検討されたのですが、資金面の理由で砂板に変更されました。当面の目標は、来年の3・11までに荒浜地区の全死亡者の分を刻印し、若林区に引き渡し、何らかの形で役立ててもらうことだといいます。ゆくゆくは、県内全域へ、さらに県外へ対象を広げていきたいとしています。

砂板に死亡者の名を彫ることは、墓石に名を刻むことに等しい感覚だといいます。物理的にも、砂板はロウや接着剤に浸すことで一段と強度を増し、墓石に近づくのだそうです。

「世界は、2011.3.11の仙台市荒浜海岸、閖上、
亘理、石巻、東松島、女川、南三陸、気仙沼、
陸前高田、釜石、そして福島原発を、
決して忘れない」

集会所で彫り終えられた表札は、四隅と裏面が平らに仕上げられました。もちろん、無償提供されます。注文していた住民は「市販品にはない風合いです」と、満面の笑みを見せていました。瀬川さんはあえて、砂板や文字の話は口に出しませんでした。彫ることの意味合いはまったく違っていました。

杉などの木を薄く切った経木と呼ばれるものに、こけしや動物の図柄が焼き判によって押され、テーブルに並べられていました。色塗りで完成するのだそうです。切手を貼れば、ハガキとして使えます。表札作りのパフォーマンスに、合わせて持参するものなのです。

あすと長町での次回の活動は、来年1 月11日(金)(午前10時~午後1時)を予定していますので、お楽しみに。

瀬川さんの連絡先は、〒980-0811仙台市青葉区一番町1-12-20-1205/022-266-2836です。

(取材日 平成24年11月20日)