header

宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

ヘッダー写真説明文

写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年11月2日金曜日

2012年11月2日金曜日0:39
えみです。

宮城県の浦戸諸島では100年前から、白菜の採種文化がありました。しかし、今回の大震災の津波の被害により、その文化が途絶えようとしていました。

100年という長い歴史の中で多くの方が関わりたくさんの方の思い入れがある白菜の種を、ここで絶やしたくない。未来へと継いでいきたいと考え、立ち上がった方たちがいました。仙台市にある明成高等学校調理科の皆さんです。

 この内容は前回ブログにてご紹介しました。
  『被災農地で白菜の種を収穫』


前回の取材では、食育活動を担当している月本麻美子さんに白菜の採種文化についていろいろお話をお聞きいしました。 

今回は月本さんに同行して、宮城県浦戸諸島の野々島へ取材に行きました。


取材日の10月17日はとても天気がよく、気持ちのいい日でした。

浦戸諸島へは塩釜港のマリンゲート塩釜から船が出ています。





月本さんと待ち合わせをし、早速船に乗り込みました。平日にも関わらず多くの方が船に乗り込んでいます。




船からは無数の島々が見えます。


船が港を出ると有人、無人島がたくさん見えてきました。この離島で100年前から白菜の採種の研究が行われていたんですね。
島を眺めていると、多くの方たちの苦労が目に浮かびます。


野々島までは約30分で着きました。
島民の方々も荷物を抱え、何人か降りられました。

偶然にも前回お話しした、82歳になる鈴木はつみさんというおばあちゃんも船に乗っていました。後でお邪魔して、お話を伺いたいですと一言伝え、私たちは白菜の苗を植える畑へと向かいました。

明日は、7月に採れた種から生えた苗を植えるそうです。明成高校の生徒有志数名が野々島の浦戸第二小学校•浦戸中学校の生徒と交流しながら種まきをします。
そして来年の春にはきれいな菜の花畑になるそうです。

昨年植えた種から出来た白菜の種を今年もまた植えることにより、また来年へと種は存続されます。

鈴木さんが貸したくれた畑は港から5分位歩いた、海の近くでした。この辺りも津波が押し寄せてしまい、畑として使用できるようになるまではガレキの撤去など大変だったそうです。

明日の白菜の種まきのために今日は畑の畝立てをします。

畑の近くには海が見えました。


月本さんと一緒に、この畑の持ち主である鈴木さんの家を訪ねました。

前回のブログでも紹介しましたが、月本さんは昨年の夏に野々島を訪れたときに、もう一度この島で白菜の採種文化を広げたいと考えていました。そこで運良く出会ったのが鈴木さんでした。
鈴木さんはこの畑で50年間も白菜の採種をしていた方です。

鈴木さんは現在、仮設住宅に住んでいます。
82歳のおばあちゃんですが、とても元気で笑顔が素敵な方でした。快く取材に応じてくださりはっきりとした口調でお話ししてくれました。

「良かった。良かった。いい人に出会えて。本当に良かった。ずっと種取りをやってゆくことができる。うれしい。仙台の方がこの島に定期的に来てくれてお話しできるのもうれしい。楽しい。つながりができて良かった」と鈴木さんは笑顔でお話ししてくれました。

「本当に鈴木さんに出会えて良かった。何から何まで教えていただいています。本当にいつもありがとう。最後まで畑に残って手伝ってくれているのでいつも助かっています」
と月本さんも笑顔で応えていました。

今年の夏は昨年植えた白菜の種から4〜5キログラムの種が採れたそうです。相当の量でまさかこんなにたくさんの量の種が採れるとは誰も思っていなかったそうです。

「やはり昔からやっているから土がいいんだね」
鈴木さんと月本さんは2人で嬉しそうに会話していました。


「白菜のふるさと宮城から 野々島の鈴木」
鈴木はつみさん(右)
月本麻美子さん(左)



とても元気なおばあちゃんでした。最後に見送ってくれました。
また来るね。おばあちゃん!




震災によって野々島の畑がすべて流されてしまったことは非常に残念で悲しい事実でしたが、決して悲しいことだけではありませんでした。鈴木さんと月本さんの運命的な出会いがあり、野々島の採種文化を存続してゆきたいという強い思い入れがある人々の協力があったからこそ、再び野々島での白菜の採種文化がスタートしました。

月本さんも「ずっとこの島に通い続けて鈴木さんらと宮城における白菜の採種保存活動を続けていきたいと思います。これがみなさんの大切なふるさとを思うきっかけになれば有難いです。」と最後に話されました。


私自身も100年という長い歴史のある白菜の採種文化を再びスタートさせたこの野々島に来ることができ、鈴木さんという素敵なおばあちゃんに会えて幸運でした。
この採種文化はこの野々島で今後もずっと続いてゆくことでしょう。白菜について何も知らなったことが分かり、とても勉強になりました。


「また遊びに来ますね」と鈴木さんに別れを告げて、帰りの船が出る港に向かいました。



野々島港





来年の春には、この白菜採種の畑に黄色いかわいい菜の花が咲くことでしょう。


その頃が楽しみです。また野々島にぜひ遊びに行きたいです。



およそ30分で塩釜港に到着です。



 (取材日 平成24年10月17日)