header

宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

ヘッダー写真説明文

写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年11月9日金曜日

2012年11月9日金曜日19:11
こんにちは。弥太郎です。

震災から1年8カ月がたち、仙台では、中心市街地を歩く限りその爪痕を感じることが少なくなってきました。

その仙台に全国から約2,000名が集う「日本女性会議2012in仙台」が、10月26日~28日に仙台国際センターで開催されました。

 

男女共同参画社会の実現を目指して毎年国内各都市で開催されてきたこの会議。

仙台大会は「きめる うごく 東北(ここ)から」をテーマに、

今、この時だからこそ、この被災地から、「女性たちには社会を変える力も責任もある」こと

を発信する会議を目指しています。

※7月に行われたこの会議のプレイベントの模様はこちらから。

ノルウェーの女性国会議員による記念講演、6つのテーマの分科会、被災地をめぐるエクスカーションなどが盛り込まれたこの会議。
開会式では、大会長の奥山恵美子仙台市長が「被災地の思いを共有し各地域で取組みを育てていただきたい」とあいさつしました。


















今日は、この開会式後に行われた「特別プログラム」をレポートします。
==
特別プログラム「女性たちが語る3.11~これまでと今と」

宮城、岩手、福島、それぞれの被災地で支援に関わった女性たちが、あらためて3.11からを振り返ります。

=========
コーディネーター
 宗片恵美子氏(特定非営利活動法人イコールネット仙台代表理事)
パネリスト
 阿部憲子氏(南三陸ホテル観洋女将)
 石井布紀子氏(特定非営利活動法人さくらネット代表理事)
 伊藤仟佐子氏(仙台市子育てふれあいプラザのびすく仙台館長)
 丹野綾子氏(河北新報社石巻総局記者)
 二瓶由美子氏(桜の聖母短期大学准教授)



プログラムは、3月11日の仙台市内、沿岸部被災地の様子の朗読から静かに始まりました。

朗読を聞きながら、鮮明によみがえる3月11日からの記憶。










パネリストのお話が続きます。

南三陸ホテル観洋の女将 阿部憲子氏は、震災直後地獄絵図を見るようだったと言う南三陸町への想いと、600名の被災者を受け入れ命の砦となっていた日々を語ります。
「南三陸町では、すでに100事業所が廃業し100事業所が今後を悩んでいる。震災の風化を防ぎ交流人口を増やしたい。ガソリンを入れる、お土産を買う、などで救われる人がいることを全国の皆さんに知ってほしい」


河北新報社記者 丹野綾子氏は、震災当日の夜、気仙沼入りした後に突きつけられた辛い現実と、記者として伝え続けてきたことを語ります。
「“寄り添う”という言葉はきれいだが、津波で小さい子どもを亡くした親たちは本当に厳しい時間を過ごしてきた。時間の経過の中で2重、3重に傷ついている」と、被災者の気持ちとそこに寄り添って取材活動を行うことの難しさも伝えました。


のびすく仙台館長 伊藤仟佐子氏は、震災後4日目にして市内の公共施設で一番初めに開館をした「のびすく仙台」が被災した親子をどのように支援したか、その教訓をハンドブックにまとめたことなどを語ります。
「現在は福島から仙台に避難している乳幼児の親子の支援や、東松島市で女性のためのサロンを開いている。子どものケアとともにお母さんたちのケアも必要だと感じている」


桜の聖母短大准教授 二瓶由美子氏は、卒業式を翌日に控えて被災した時からの福島県内各地の現状、学生たちのボランティア活動、チェルノブイリ視察団として学んだことを語ります。
「チェルノブイリ視察から学んだことは教育と情報の重要性だ。「福島学」という地元学を「福島復興学」として実施している。学んだことを実行でき、逆境に強い女性を育てたい」


さくらネット代表 石井布紀子氏は、阪神大震災での被災経験、岩手を中心にした被災地支援の活動、被災地の女性たちを支援する中で見えてきた現状を語ります。
「男性が報酬のあるガレキ撤去の作業に出かける一方で、避難所で女性は言われるままに無報酬の食事づくりに閉じ込められた。復興に関する審議会等でも女性が少ない。女性が従属的な行動をとる習性を感じることもある」


被災地の女性たちにまつわる、印象的なお話がありました。

「女性の“大切な人を守る力”はすごい。大切な人を守りきれなかった女性の喪失感もすごい何かあったら必ず守るからと子どもと約束をしていたのに、その約束を果たせなかったと自分を責め続けている女性がいる」(伊藤氏)。


「食べるものが限られる中でも取材に行くとそのわずかな食料を分けてくれたおばあちゃん。避難所でこどもを夜泣きさせてはならないと日中お昼寝させないように頑張るお母さん。10日間顔を洗っていなくても「洗いたいと思うのはわがまま」と言う女性。我慢してきた人たちがたくさんいる。」(丹野氏)







「“釜石の軌跡”と言われた、釜石市の死亡率の低さが注目されている。そのなかに校長先生が女性だった学校が2校あった。また(被災3県での)保育所では保育中の子どもの死亡はゼロだった。女性が日常から丁寧につむいできた力が多くの命を救った。命と暮らしはつながっている。」(石井氏)



それぞれに状況は違えど、「一人一人を突き動かす現実があった」ことがパネリストの方々に共通していたこと、と宗片氏。


現実を受け止め支援を続けてきた方の言葉には、復興への力と希望を感じるものが多くありました。





「1,000年に一度の災害は、1,000年に一度の学びの機会。あらゆる世代の方々に被災地に来てほしい」(阿部氏)

「福島で生きていく決意をしている。若い女性たちへの支援をしていきたい。震災後、福島で生きる人はさまざまである。一人一人のドラマがあり困難がある。そして、一人一人の選択があっていい」(二瓶氏)

「日常に築いてきた専門性は暮らしを取り戻す力になる。私たちが自身の専門性を高めていくことが大切。従属的な立場に留まらず仕組みの中で生業として評価されることが必要である(石井氏)


パネリストの方々を「突き動かした現実」は涙が出てしまうことばかりでしたが、伝えたいという気持ちにあふれたお話は会場が一体となるような温かな空気をつくりだしました。
その空気は、会議の参加者が各地域でこれらの現実や言葉をきっと伝えてくれるという期待を持たせてくれるものでした。

被災地から語る、伝える。
言葉の力の大きさとともに、この先もそれを続けることの大切さを実感した時間でした。

(取材日 平成24年10月26日)