header

宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

ヘッダー写真説明文

写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年10月24日水曜日

2012年10月24日水曜日20:16
米川地区の山々は色づき始め、とてものどかな日本の秋の風景です。
こんにちはkaiiです。

登米市東和町米川地区は、南三陸町入谷地区まで車で20分ほどの所に位置し、国の重要無形民俗文化財、*「米川の水かぶり」などで有名な地区です。


10月20日、21日に開かれた、地域の人たちの「米川手づくり文化祭」についてお知らせします。
20日の前夜祭には、ロンドンオリンピックの銀メダリスト千田健太選手・淡路卓選手、7位入賞の菅原千恵子選手のトークショーが開かれ、世界で活躍するオリンピック選手を一目見たいという人たちで会場は満席でした。


21日は、米川公民館を会場に住民の手づくりの文化祭が賑やかに開かれました。会場の入口では、米川特産、今が旬の「マイタケ」や地元の野菜、餅など米川の特産品販売が行われ、また、ステージでは、地域の子どもたちや芸達者な皆さんの踊りが披露されました。


震災後すぐに、南三陸町から米川地区に家族で移り住んだ男性は、「被災当時は2歳だった息子が、これから文化祭のステージで踊るので見に来ました」と目を細めていました。
「避難してきた時は、子どもの下着、オムツなどにとても困りましたが地域の人に助けてもらいました。今日は地域の人たちとの交流を楽しんで帰りたいです。この地域の人たちはとても親切で、今は何の不自由もありません」と話していました。



震災当時、被災地での支援活動に当たった婦人防火クラブの大橋さんは、「何もいらないから地域の中の”絆”を大切にしていきたい」と友人の及川さんと優しい笑顔で話してくれました。

「絆」を大切に皆で復興をめざしてガンバロウ!
仲良しの大橋さんと及川さん
82歳の工藤さんは、「震災で志津川病院に入院中だった同級生が津波で亡くなったことがとてもショックな出来事でした。生きている自分ができることで、被災地の人を励ましたい」と、“七転八起のだるまびな”を作り被災地へ贈りました。被災地の皆さんには「日ごとに寒くなるのでがんばってください」と伝えたいと話していました。

自分のできることで被災地の人に寄り添いたい
優しさと強さの工藤さん


老人介護施設で働いている菅原さんは、「親戚がいたので米川に移り住みました。この地域には笑顔がいっぱいあります。大変な毎日は今も続いていますが、”笑い”を大切にしたい」と話してくれました。

大変なことはたくさんありますが・・・
「笑い」が大切・・・と菅原さん
                                                         


米川公民館の沼倉祐之館長のお話です。


3.11は、大きな揺れと長さに驚きました。ライフラインは全て止まりました。私たちはその時、宮城県沖地震か内陸地震かと思っていました。
情報網が断たれ、また避難所運営に奔走していたため、沿岸部が大津波に襲われていることを知ることができなかったのです。
米川地域振興会では、まず米川10行政区の被害状況の把握と避難所開設を素早く行い、弱者(主に高齢者や幼児)救済を優先し、食事提供、寒さ対策をしました。並行してガソリンや灯油の調達も行いました。

震災の翌日から、南三陸町や気仙沼市から食糧や衣類を求める人が米川地区に来るようになり、被害の大きさを実感しました。
早速、地域全体に声掛けを行い衣類を集めました。それを種類・サイズ・男女の別に分別しました。
また、隣接する岩手県藤沢町のリンゴ業者から大量のリンゴを無償提供していただいたので、それと一緒に気仙沼市と南三陸町の避難所に届けました。
不足していたガソリンを融通し合ってどうにかたどり着き、大変喜んでもらったことを覚えています。

4月20日から7月末までの間、気仙沼市、南三陸町、亘理町、福島県からの被災者を地区内3カ所の避難所に受け入れました。その後、5家族が借家などをして今も米川地区に住んでいます。ご縁があれば永住してほしいとも思っています。

困った時は「おたがいさま」。それが当たり前の行動です。

今、この地域では、風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギーの事業計画が進められており、地域の活性化に繋がることを願っています。


「復興」は必ずできる・・・人間の力を信じることを沼倉館長が教えてくれました。


                                                          

被災後、米川地区に移り住んだ人たちが地域の中に受け入れられ、地域に溶け込んでいることを文化祭に参加して感じました。



*米川の水かぶり  (宮城県文化財保護課ホームページより)

国の重要無形民俗文化財(風俗慣習)。登米市(旧東和町)米川の水かぶりは、東和町米川の五日町で2月の初午に行われる火伏せの行事である。初午の日の朝、五日町在住の男達が宿に集まって・藁製の装束を作る。この行事は、厄年の男達が中心となって行われる。
行事は、藁製のオシメという装束とアタマという被り物を付け、顔に鍋墨を塗った一団が、梵天を持った還暦の者を先頭に大慈寺境内の秋葉神社(秋葉大権現)にお参りした後、通りの家に水をかけながら町中をねり歩く。
水かぶりの一行が通りかかると町内の人々や観客は、争って装束の藁を引き抜き、その藁を屋根に乗せる。こうすることで火伏せになるとか、魔除けになるといわれている。米川では、初午の日以外に水かぶりをしてはならない、五日町以外の男が加わってはいけないとされ、これを破ると火事が発生しやすくなると伝えられている。


(取材日 平成24年10月20、21日)