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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年9月26日水曜日

2012年9月26日水曜日13:20
急に寒くなりました。皆さんお元気ですか?
気仙沼からkaiiです。

東日本大震災から私を守ってくれた91歳のおばあちゃんのお話を皆さんにお伝えします。

私の育った場所は気仙沼湾の東岸、大浦地区という場所です。

東日本大震災当時のテレビ映像の中で、気仙沼湾の上空を海上自衛隊が映像でとらえていました。

その時の映像で、津波火災の延焼の激しかった東側の海岸線です。
この地域は、昆布・わかめの養殖と漁業を生業にしてきた100戸ばかりの小さな集落です。
その集落に、今日ご紹介するヤヘミばあちゃんの家も建っていました。
ばあちゃんの家は、今の時代には珍しく10人の大家族です。

kaiiはこのばあちゃんの傍で生きてきました。

おいしいお魚を食べさせてくれたのも、女性の生き方を諭してくれたのも、お料理を教えてくれたのも、苦しい時の生き方を教えてくれたのも、みんなヤヘミばあちゃんでした。

子どものころから聞いてきたばあちゃんの話の中には、地震や津波の話がたくさんありました。
昭和8年の三陸大津波、昭和35年のチリ地震津波、昭和53年の宮城県沖地震などです。

チリ地震津波の時には津波が押し寄せる前に海水が引き、海底の魚が跳ねた話。
津波が押し寄せて来た時には対岸の市場に着岸していた船がこちら岸に流れ着いて、逃げ場を失った漁師たちを救出した話。
引き波が去った後の田んぼに、生きたままの魚が打ち上げられていた話。
支援された衣類の話やそのリフォームについてなど、生きる知恵をたくさん聞いてきました。

「海の水が引いたら1分か2分で津波は来るんだから早く高いところに逃げないといけない」
「逃げるときには、振り返ってはいけない。命だけもって逃げること、財産はまたがんばれば築けるけれど命は無くしたらもうこの世に帰ることができない」
「地震が来たら戸を開けて逃げるところを確保しなさい。でも、外にむやみに飛び出してはいけない」
「地震の揺れが来たら、火をすぐに止めること。火に水を掛けて無理に消さないこと」

ばあちゃんの話の中には、生きる知恵と逃げる知恵がたくさん入っていました。



「津波なんて来ないから大丈夫だよ~」

ばあちゃんのそんな話を気持ちのどこかで面倒と感じながら聞いていましたが、今回の東日本大震災の津波の時には、ばあちゃんから聞いていた話が私の命を守ってくれました。

就労していた場所の近くにある川の水は、逃げる時にはすっかり引いて無くなっていました。

「水が引いたら、津波が来るまで1分か2分。高いところに逃げること・・・振り返らないこと」
---ばあちゃんの言っていたことが、その時、私の傍にありました。

「1分か2分・・」
---早足で近くの小高いところになんとかたどり着いた時、砂嵐のようなものが視界に迫ってきました。

「更に高い場所へ」
---ばあちゃんの話が命を助けてくれました。



ばあちゃんはその時、地震の揺れの中をじいちゃんと孫と一緒に近所の高いところにある家に向かって避難したそうです。

「ここなら大丈夫」

海抜5mの場所に建つ家の座敷へ避難した時、大津波がばあちゃんとじいちゃんのいる座敷に入ってきたそうです。避難していた家の人が、じいちゃんとばあちゃんが流されないように押入れの中に入れ、引き戸を押さえてじいちゃんとばあちゃんの命を守ってくれたそうです。

「あの時は寒かった。まさか津波があそこまで来るとは思わなかったし、濡れた着物が重かった。
更に高いところの畑へみんなに連れて行ってもらって、シートの中に包まれていたんだよ。
そのうちに火事になって、津波の当たらなかった家に入れてもらって着替えをさせてもらい、毛布に包まれた時にようやくホッとしたんだよ。生きていてよかった。しぶといんだな・・・今回も生きたもの」

と、ばあちゃんは笑って話してくれました。


今年9月に、気仙沼の中山間地に家を新築して暮らしているばあちゃん。
「海がみえないんだよな・・・」と呟いていました。


幾度も幾度も海に大変な思いをしてきたはずなのに、それでも海が好きなばあちゃんがいました。

第二次世界大戦の中を生き、食糧の無い時代には、子どもたちに食べ物を食べさせるために釜の底のコゲや糊を水でふやかして食べて空腹を満たし、畑仕事や海の仕事、商い、嫁も母も気丈にこなしてきたばあちゃん。その生きる強さを、91歳になった今も感じます。

便利さに慣れた生活をしている私たちに、ばあちゃんたちが昔話してくれた、経験は「生きる知恵」であり「生きる術」であったと感謝しています、。



「大地震来るぞ大津波」

地域の中には昭和8年の三陸大津波を伝える石碑が建っています。
石は語ってくれない「生きる術」をばあちゃんたちが地域に残し、語り継いでくれていたことが、命を守ってくれたのだと思います。

「あんまり うざねはいだり はがせだりしないように」
~あまりお互いが大変な思いをしたりさせたりしないように~

ヤヘミばあちゃんの優しさがこめられた言葉です。


(取材日 平成24年9月21日)