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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年6月21日木曜日

2012年6月21日木曜日18:21

new-Tです。

東日本大震災から1年の今年の3月11日。
テレビは全ての放送局が震災から1年という区切りの特別番組を放送していました。
キー局である東京主導の番組が主で、全国に顔の知られたキャスターが石巻や南三陸町にやって来て現状を伝えていました。

わたしはこれらの番組を数本見ましたが、違和感だけが残りました。
チャンネルを替えながら、最後まで見た番組はありませんでした。
わたしはその日、静かに時を過ごすことに決めました。

違和感とはなんだろう?
東京発想の番組作りは同じフレーズの繰り返しでした。
「復興頑張ろう」「絆」「寄り添う」「元気な子どもたち」などなど、いわゆる紋切り型というフレーズです。
そのフレーズを語れば事足りるというような安易さを感じたのはわたしだけではないと思います。
番組の中には確かに被災した東北人がいるのに、その人の内面の苦しさまで届かない。
つまり映像の中には東北も東北人もいなかったのです。

そうか、やはりこの震災はわたしたち東北人にしかわからないのかもしれない、と思ったのはその時でした。
それは1995年に起こった阪神淡路大震災の時に感じた現地との距離感とも通じるものです。
あの時、わたしは阪神淡路で人間の内面に起こっていることがわからなかった。
それが今回自分の身にふりかかってきた大震災によって、少しだけわかってきたような気もします。

ですから東京キー局制作ではない地元局制作の番組に注目しました。
震災直後から地元放送局は地に足の着いた報道と情報提供を開始しました。
テレビとラジオの情報によってどれだけ助かったか。

昨年5月13日、わたしはNHK仙台放送局制作の1本の番組を見ました。
「本当は、悲しいけれど」~閖上中学校で出会った人々の1カ月の記録~です。
震災直後、津波から閖上中学校に避難した人々を追跡したドキュメンタリーです。

このドキュメンタリーは異様に静かです。
水の引かない閖上の町を進む自衛隊員、中学校に避難した800人を超える避難した人々、肉親を捜す人、多くの人々の口は重く、疲労の様子が映像を覆っていました。
今見ても、あの時のことがフラッシュバックで思い出される辛い映像ですが、わたしは感動とも違う言いしれぬ親近感を覚えたのでした。
同じ名取市の惨状を追ったからでしょうか?
同郷の人への心配が番組から目を離せない要因だったかもしれません。
そしてこのドキュメンタリーを撮った大野太輔さんも同郷だったのでした。

大野太輔さん(37歳)。
NHK仙台放送局放送部の番組制作ディレクターです。
大野さんは仙台市太白区袋原の出身で1999年NHK入局、社会問題をテーマに「クローズアップ現代」や「追跡AtoZ」の制作を担当。2010年秋に仙台局勤務となりました。


昨年3月11日は仙台局の近所を歩いているところで地震に遭い、早速局に駆け付け電話中継のための準備を始めました。
そして「お天気カメラ」で津波の映像を見ます。それは岩手県沿岸でしたが、ほどなく仙台市内を飛んでいたヘリコプターからも映像が届きました。
名取川を逆流し、家や車や畑、ビニールハウスなどをのみ込んでいく映像です。

大野さんは不思議な気分だったと回想します。
そこは自分が生まれ育った町だったからです。
名取市閖上は子どもの時から花火大会や釣りをして遊んだ地域でした。
花火大会や釣り、夏に通ったプール、マラソン大会の練習で走った土手。

埼玉の奥さんは無事でしたが、両親の安否は不明でした。
両親の住む袋原は津波に襲われたかもしれません。
そういうこともあり、大野さんは上司に「取材に行くなら若林区の荒浜と閖上に行かせてほしい」とお願いをします。
「もし自分の親が亡くなっていたら、他人に撮られるのは気持悪いので自分が行きたい」

この局の中で自分が一番知っている町で、何かとてつもないことが起きている、それなのに自分が現場に行かないことの違和感がありました。

そうこうしているうち、3月13日夜に震災に関する「NHKスペシャル」が放送されることになり、大野さんはクルーと共に慌ただしく取材を開始しました。
この取材を元にした最初のドキュメンタリーが、「本当は、悲しいけれど」です。

その後、
 2011年8月12日放送の「本当は、悲しいけれど」第二章~閖上中学校の記録~。
 2011年9月5日放送「明日へ みんな一人じゃないからな」~宮城・閖上中学校の仲間たち~。
 2012年5月11日放送「本当は、悲しいけれど」第三章~証~
と全部で4本の連作を作り続けます。

第1作と第3作は全国放送されました。



写真3点ともNHK仙台放送局提供

「中学生たちに向き合うときの緊張感は大変なものがありました。私が子どもたちを傷つけることになるかもしれない」
「子どもたちになにも聞かなかったし、下取材もしませんでした。負担をかけたくなかったんです」
「なぜ撮るのか?わからなくなるときもありました」
大野さんは率直に答えてくれました。

大野さんたちNHK取材班が本を出しています。
「あれからの日々を数えて」東日本大震災・一年の記録(大月書店)。


この中に大野さんはドキュメンタリーと同じタイトル「本当は、悲しいけれど」という文章を載せています。
これを読むと震災直後からドキュメンタリーを撮ることになった事情、現場でのこと、現在の思いが詳しく書かれています。
その中から一部を引用します。

『あのころ、被災者自身は悲しみに立ち止まり、みずから動きだすこともできずにいたのに対して、私たちは「報道」の名のもとに自由に現地に出入りをくり返していました。自分が暮らした町に、愛する人がいるかもしれない場所に、行きたくても行けない人たちがいるにもかかわらず。その違和感が強烈に残っています。そして、その私たちマスコミが「復興」や「前へ」というメッセージを世の中に伝え続けていたことにも。』

東北出身、それも被災地出身の番組制作者なら信じられる。
そのことは、この大野さんの文章から如実に感じられます。

「二十歳になったら酒のもうぜ」と大野さんは1年間撮り続けてきた中学生たちに言ったそうです。
「被災者の皆さんは疲れています。そっとしておきたいですね」

新しい企画を大野さんはプラン中です。
その番組は、復興は誰のためのものなのか?被災者のためになるものなのか?
というものになるようです。
期待して待っています。

そうです、大事なことを忘れてました。
大野さんのご両親は3月12日の夜に無事が確認されました。

(取材日 平成24年6月14日)