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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年6月30日土曜日

2012年6月30日土曜日0:30

new-Tです。

防潮林の復興を目指す亘理町のグリーンベルトプロジェクトについで、今回は山元町の植樹の話題です。

山元町に、地域の人々の心のよりどころとなってきた八重垣神社があります。
社殿は寛政年間(1789年~1801年)に造営された歴史のある神社です。
しかし、震災津波によって社殿と森は流されてしまいました。

鳥居があった地点から社殿のあった地点を撮影


今回の植樹は日本財団が復興支援策として取り組む「鎮守の森復活プロジェクト」で、八重垣神社との共催です。
6月24日(日)当日、地元はもとより関西、関東、東北六県から約530名の方々が植樹に訪れました。



植樹開始。
植樹指導は横浜国立大学名誉教授で国際生態学センター長の宮脇昭さん。
植樹の父と言われるオーソリティです。
宮脇さんは多数の種類の樹種を混ぜて植樹する「混種・密植型植樹」を提唱、各国で実践されています。

まるで漫談のような植樹講座でした。「文明は海や川のある場所で栄えた。高台移転をしてもいずれ人間は水のそばに戻ってくる。そのために陸地に防災のための植樹をするのです」

今回はタブノキ(この木が津波に一番強いということ)、ヤマザクラ、アカガシ、シラカシ、アオキなど21種類、約3300本を植樹しました。

歴史の古い八重垣神社は、藤波家が神社の神事を執り行うことになって、藤波祥子さんが22代目になります。
藤波さんの開会式の挨拶です。
「春は桜の花はもちろんきれいなんですが、花が一斉に散ったとき境内がピンク色のじゅうたんのようになり、まるで夢を見ているようでした。夏、木々が青々として来る頃お祭りがあります。秋になると近所の小学校の子どもたちが、こんにちは秋を探しに来ました、と言って境内の落ち葉を一所懸命拾っている姿がかわいかったですね。そして冬、御社殿の屋根に積もった雪が素晴らしいコントラストでした。でも、一番思い出に残っているのは被災して1カ月の頃、根こそぎ倒れた桜の木が、それでも花を咲かせているのを見たときです。哀れで悲しくて、でもとてもきれいでした。その桜の木にとっては最後の花でした」


住民が集う鎮守の森を復活させ、地域の結束を高めるというこのプロジェクト。
鎮守の森は、災害の際、人々の避難場所に、都市部では防災林として大きな力を発揮します。
また、地域のコミュニティーの場として、住民の心を癒し、活力を与えてきました。

深いうっそうとした緑の木々に囲まれた神社は、昔から子どもたちのかっこうの遊び場でした。
そしてお祭りの御神輿、神楽、屋台などに胸を躍らせたものです。
山元町の沿岸部、高瀬にある八重垣神社は回りにあった森も、他の民家もほとんどが津波によって流出してしまったのです。
この場所から地域コミュニティーという概念は無くなってしまいました。

しかし、藤波さんは氏子さんたちがまとまってどこかに移転する場合には遙拝所でもあった方が良いかもしれないと思っていますが、神社の移転は全く考えていないそうです。

わたしは神職に就かれる方として、今回の震災で津波をまともに受けてしまった事に関しての思いを質問しました。
ちょっとぶしつけかな? とも思ったのですが、これが聞きたかったのです。
そしてファクスでの返信は率直な回答でした。

「自然はそういうものである。自然界に生きとし生ける物全て、自然の前では平等であり、例外はない。
その法則にのっとって生かされているという事を知っている者たちは被災してもなお、被災前と変わらず神様に向かって手を合わせる。
こういう時にこそ、その人間の根っこの部分が見えてくるもの。
こういう時にどう考え、どう生きるかということで、それまでのその人の生き方が見えてくる」

どこかひょうひょうとした趣の藤波さんは宮城県婦人神職協議会の会長でもあります。
お忙しいところ、お手間を取らせてしましました。
2、3年で大きく高くなるという植樹された木々でおおわれた鎮守の森の復活をお祈りしています。

お問い合わせは、
八重垣神社 0223-36-8320


震災前の八重垣神社社殿と大鳥居
(HP宮城の旅より転載しました)

(取材日 平成24年6月24日 )