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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年3月17日土曜日

2012年3月17日土曜日16:04
戦国武将随一の筆まめといわれた、流麗達筆な政宗の書状。 その数は、3000点を超え、そのうちの自筆書状は1000点を超えるといいます。
東日本大震災から2カ月たった5月、石巻湊町で瓦礫の下から伊達政宗の直筆の手紙が発見されました。
公開されたのは、先にお知らせしていた角田の長泉寺で行われた「かくだ牟宇姫ひなまつりシンポジウム」。

牟宇姫の菩提寺「長泉寺」
シンポジウムには大友喜助角田市長も参加されました

手紙の持ち主は、400年続く旧家出身の歯科医師、内海伸宏(うつみ・のぶひろ)さん。
震災当日、診療中に被災し、ご家族やスタッフはご無事でしたが、家は津波にのまれてしまいました。
5月、機動隊や自衛隊の一斉捜索が入った中で、内海さんの住居跡地の瓦礫処理を手伝っていた知人が見つけたものは、宛先人の身を庇護するように丸まった政宗の掛け軸。
その内容は、伊達家重臣、角田の石川宗敬公に嫁いだ次女牟宇姫(むうひめ)に宛てられた手紙でした。


川村孫兵衛像(石巻日和山)

元々、内海さんの家は、松島の野々島を拠点にした貿易、海運を担っていましたが、江戸中期石巻に渡り、北上川から運ばれてきた米のお蔵守の役人をされていたといいます。天下を治めたければ、水を統治せよとまで言われていた元和時代、政宗は、仙台藩の経済基盤となる米を確保するために、水路を治水事業により変更し、大規模な新田開発に乗り出しました。 
治水の名手、川村孫兵衛を近江から起用し、石巻湾に注ぐ江合川と迫川を合流させ、さらに北上川を合わせるという、過去に例をみない大規模な治水事業が、1616年から10年という月日をかけて行われたのです。北上川の水運を利用した米輸送は、石巻を米の一大集積地、東国最大の港町へと発展させました。


北上川
政宗は慶長使節を実現する2年前に「慶長三陸津波」を経験しています。
この津波は、今回ほどまでの被害規模でないにしても、3回にわたって大津波が政宗領内を襲い、甚大な被害をもたらしました。
しかし、政宗はその災害被害にめげることもなく、2年後には慶長遣欧使節を実現させ、勇猛果敢な勢力を全国に知らしめました。


先の内海さんの元に、どのような経緯でこの書が渡ったかという詳細は不明だといいます。
しかし、東国最大の港町に栄えさせ、仙台藩を実質石高百万石とまで言わしめた拠点となった石巻で、このような書が見つかるというのは、政宗が何かしらの想いを、この手紙に託したかったからのことではないでしょうか。


牟宇姫は、長女の五郎八姫(いろはひめ)とは異母兄弟(牟宇姫の母親は、政宗の側室であったお山の方・柴田氏)であり、五郎八姫のあとに男子が続いた40歳をすぎて誕生した女子である牟宇姫を、ことのほか溺愛していました。
牟宇姫が角田に嫁ぐときに持たせたのではないかと口伝えされている雛人形は、豪華絢爛で、角田市郷土資料館で毎年展示されていましたが、この震災により建物共に破損。
長泉寺で行われた今回のこのひなまつりシンポジウムでは、瓦礫の中から奇跡的に発見された政宗直筆の手紙が公開されました


▲(口語訳)このたび、お手紙をいただきました。あなたにお会いしているような心持でながめております。息災でいらっしゃるとのこと、何より安心しました。大和殿(石川昭光)も、この頃は心持も良いでしょうか。ますますご養生なさるよう申し伝えください。私も一段と健康でおります。
追伸:尚々、こちらでは将軍へのご挨拶が日にまして順調であるため、安心しております。こちらも何事もなく皆元気でおりますので、ご心配には及びません。小宰相(牟宇姫つきの待女)を通じて(あなたにこちらのことが)届いていること、満足の旨を申し上げたいと思います。後日詳しく申し上げます。(牟宇姫宛・元和5年~8年頃)


▲(口語訳)江戸へのぼることになりました。お手紙とともに、餞(はなむけ)としていただいた錦(生糸)20はかえって面倒をおかけしましたが、祝儀として留め置きたいと思います。
追伸:12日には、必ず出発いたします。本当にこの度はお会いできず、心残りですが、来年の暮れには仙台に戻って、文ではなくお話しできればと思います。
六日 陸奥(政宗)より牟宇へ



内海さんは手紙を見つめながら、温かい笑顔と口調で話を続けてくださいました。
「なにもかも流されたというのに、この手紙だけが見つかったのは本当に不思議なことです。この手紙の存在意義が何かしらあるのかもしれませんが、今その答えを見つけることは到底できません。その答えが出るまでには、もっと時間が必要でしょうね。この2通の手紙は、政宗が牟宇姫に返事として書いた手紙です。私としては、牟宇姫が政宗に一体どんな手紙を書いたのか、そちらの方も見てみたいと思いますね」
「今できることをしよう  無理せず」
政宗の手紙の保有者 内海伸宏さん

瓦礫の中から見つけ出された政宗の書を見た3日後、私は震災後はじめて青葉城址を訪れました。
標高140メートルの青葉山に立つ、政宗像の視線の先に広がる仙台湾。
政宗は、3月11日に起きた我が藩の惨事の一部始終を、辛苦の涙を湛えた独眼で見つめていたにちがいありません。



政宗辞世の句。


          曇りなき 心のつきを 先だてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く

---死して尚、月の前立てを空高く輝かせ、残された人々を導いていこうぞ。


青葉山から宮城の未来を見守る伊達政宗像


歴史は繰り返すというのなら、不屈の精神で仙台藩を築き上げた政宗の志もまた、この書のように瓦礫の中から甦るはず。
宮城を案じる政宗公の想いと、それを託された県民すべての幸福を、牟宇姫が眠るここ長泉寺で手を合わせ、梅咲き誇る春待つ角田を後にしたのでした。




(平成24年3月17日 by_momo)                        


【MEMO】

長泉寺
〒981-1505
宮城県角田市角田字長泉寺69
TEL(0224)62-1004 FAX(0224)63-0063

曹洞宗長泉寺は、高源山または六国峯と号し、千葉県市川市総寧寺を本寺とする東北屈指の名刹。本堂奥の霊屋(おたまや)には天正18年、初代角田邑主となった石川昭光公の木像と殉死七士像が祀られている。平成23年度、地球温暖化防止環境教育・普及啓発部門の於いて長泉寺(ミネ幼稚園)は、環境大臣賞を受賞。年末に行われた式典の中で「被災された地域の中にあって、立派に幼児教育をされ、環境保全活動に尽力されていることに敬服する」と細野環境大臣が式辞を述べられた。


「復興へ頑張ろう 宮城!」
むすび丸と角田のゆるキャラ、ヒカリちゃん