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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年3月12日月曜日

2012年3月12日月曜日10:47

2012年3月11日 穏やかな朝を迎えました。
1年前の朝とは、町の活気も住む人の呼気の音も違う朝です。
今日は祈りの日にしようと思いを持ち出かけた、末吉とkaiiです。
朝8時鹿折中学校仮設住宅に設けられた慰霊台に献花し合掌しました。
「なぜ」の思いは生きている私たちにも、亡くなった方々にもあるのだと感じました。

その後、震災の6カ月後に生まれた、おのでらはるとくんの笑顔に会いにいきました。



















毎日新聞社の記者さんが先に来ておられました。
はるとくんは笑顔でした。お母さんの胸に抱かれていました。
生後6カ月。元気にすくすくと育っています。

その後、鹿折地域内に入ると
大音響でステージが組まれていたり、テレビクルー、報道関係者がたくさんいました。
その傍らでは、家族を亡くされて人たちが、花を手向け、線香の点して合掌しています。
心の準備もできずに別れなければならなかった家族の気持ちを思うと心が痛みました。
多くの方が亡くなった場所では、私たちも合掌しました。

あの日の大きな揺れと大津波にはそれぞれの生きた物語があります。
その物語は・・・今もまだ続く物語です。

3月11日午後2時30分から
気仙沼市総合体育館で行われた追悼式に参加しました。
多くのご遺族が式に参列され涙されていました。
午後2時46分
大きなサイレンの音と共に全ての動きが止まりました。
去来する恐怖・悲しみ・無念の1分間が過ぎました。
内閣総理大臣の式辞に続き
お体の優れない天皇陛下がおことばを下さいました。
この1年間、皇后陛下と共に被災した私達に寄り添いお励ましくださった
お2人のお姿がとても心強く感じられました。














菅原茂市長は式辞で
「時計の針を1年前に戻すことが叶わぬならば、前に進むしか道はない
市民の心を1つにしてご支援いただいている皆様と一緒に復興一路に取り組んでいきたいと思います」
と述べ、千年に一度の大震災ならば千年分の復興を果たす意気込みを持ちたいとの意思をしめしました。















2家族の遺族がお別れの言葉を述べました。
17歳で家と家族7人を失った三浦三咲さんが声を詰まらせながら家族の思い出を話しました。
「お父さん20歳になって一緒にお酒を飲みたかった。お母さんは私の憧れです」この言葉を話す彼女
の胸の痛みを思うと涙を止めることなどできませんでした。















お母さんが未だに行方不明の三浦友幸さんは、11日朝、母のために訪れる人が迷わないように
家の跡地に桜の苗を植えたことを紹介しました。

未だ癒えることのない心の痛みを感じた時でした。
あの日のことを忘れず・・・生きられる時間に感謝して生きることを考えました。














この日・・・私のもとにも1年を按じてメールや電話がきました。
その中に、「ありがとう」「おかげさまで生きられた」の内容がありました。

「津波で何も無くなってしまった時、困っていた私達家族に食べ物から温かい布団などを分けてくれてありがとう
もし、私たちが逆の立場なら私たちは見ないふり見えないふりをしたと思うのに、心配ってくれてありがとう。
今こうして生きていられるのはおかげさまです・・・ありがとう・・・」その言葉が続きました。
特に何をしたのでもないのです。
ただ生きているから助け合うことがその時は当たり前だったのです。
生きていると紆余曲折もあります。
でも、本当に「人」を思うことの意味は、心の中から自然に湧きあがった行動なのだと思えるようになりました。

あの時を生きられた命だから・・・助け合い認め合い生きることの意味があるのだと感じています。

(平成24年3月11日)