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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年2月28日火曜日

2012年2月28日火曜日17:26

震災直後、混乱と遮断されたライフラインの前に情報を収集する術はなく、現実と自分を繋ぎ止めるツールに、もはや携帯電話は何の意味もなさなかった。
夜がくる。この震災が一体なんなのか、なにも分からないまま、この地はやがて暗黒に包まれる。        そう思った時、私は家中にあるラジオと電池を夢中でかき集めた。
「教えて。これは何?この宮城に一体何が起こったの」



仙台市若林区愛宕橋駅前にあるコミュニティエフエム「ラジオ3」。
宮城県沖地震が10年以内に99%以上の確率で起こり得ると騒がれてから、ラジオ3では在仙する外国人の方々に向け、「英語」「韓国語」「中国語」バージョンの防災情報を、日替わりで放送していました。


外へ避難待機した客は、店から支給されたブルーシートで雪をしのいだ
(2011年3月11日15:45 泉セルバ前  撮影:青木朋子さん)

ラジオ3でパーソナリティを務める青木朋子さんは、ベガルタ仙台の実況中継ディレクターとしても活躍。    2011年3月11日、翌日のホーム開幕戦のため、ユアテックスタジアムの中継室で機材チェックをしていた時、孤立状態の密室の中であの地震を経験しました。泉区のユアスタから、若林区のスタジオ間を徒歩で2時間半かけて戻り、帰途、目を疑うような街の現実を目の当たりにします。
亀裂する道路、落下物で破壊されたバス停の屋根、ショーウインドウのガラスも、高層ビルの外壁も、なにもかもが粉砕された凶器と化し、街中が見えなき敵から暴動を受けたかのような有様でした。
駅から閉め出された人で溢れかえった仙台駅西口、ペデストリアンデッキの人混みから聞こえる悲鳴、バスプールも駅周辺も、錯綜する情報の不安と恐怖が街全体を覆っていました。
地震直後の泉中央駅ぺデストリアンデッキ
(2011年3月11日 15:44   撮影 :青木朋子さん)

 震災一ヶ月前に、全国のラジオが聞けるアプリ(radiko、TuneIn Radioなど)を携帯電話にインストールしていた青木さんは、「仙台空港冠水」というニュースを携帯ラジオで聞き、思わずその場で声をあげます。

「空港が冠水?!」


ラジオ3パーソナリティ 鈴木美範(すずき・よしのり)さん

青木さんは、先にスタジオで被害状況を報道していたパーソナリティーである鈴木美範(すずき・よしのり)さん(写真右)と共に、安否確認情報をリスナーたちに呼びかけました。
スタジオは非常電源に切り替わり、自社の発電機を外に出してケーブルでスタジオ機材につなぎ、蝋燭の灯火の中で飛び込んでくるニュースを読み続けました。
午後10時頃、ラジオの音声が突然途切れたため、鈴木さんはスタッフと共に、送信所がある一番町タワービルに向かい、屋上まで階段で駆け上がり状況を確認。送信所の非常用バッテリーを使い切って、送信機の電源が落ちていたことが原因でした。ガソリンで動く発電機の燃料確保と電気復旧のことを考え、ひとまずその日は放送を打ち切り、
翌日早朝に放送を再開しました。



スタジオ内は蝋燭の灯のもとで報道を続けた(2011年3月11日)
「当局は震災前からツイッターのアカウントをもっていたので、ツイッターとラジオの両方に、安否情報を流してほしいという連絡がはいりました。後から、『情報を提供してもらったおかげで探している人が見つかりました。本当にありがとうございました』という御礼のハガキが届き、改めてラジオの力というものが、いかに大きいかを実感しましたね」
青木さんは、幼少時代からラジオに慣れ親しんでいましたが、ラジオの道に進むことを決意させたのは、1995年阪神大震災当時、赤坂泰彦さんがパーソナリティを務め絶大なる人気を博した「ミリオンナイツ」でした。
当時、私も耳をダンボにしながら、この番組を夢中で聞いていたっけ・・。それも仕事中に。



「阪神大震災の1年後、赤坂さんの番組で、神戸の女の子が”皆さんのおかげで助けられました、本当にありがとうございました”と涙声で喋っていたんです。その時の様子は今思い出しても泣けてしまうほどです。それを聞いて、大きな力も大事だけど、地域の力ってこんなに大きいのだなって実感しましたね。自分がまさか、将来同じような報道側に回るなんて思ってもみなかったですが・・・。
まさに今、私はあのときと同じ報道位置にあるのだなと。なにか運命的なものを感じています」




声もビジュアルも可愛らしい青木朋子さん


3月17日、インフラも復旧されていない宮城の状況の中、「愛知北FM」が支援物資を運んでラジオ3を訪れました。ナンバープレートを見ると「わ」ナンバー。なんとレンタカーのトラックを借りて、5日あまりで支援物資を集め、この宮城まで届けてくれたというではありませんか。
「おそらく東北の拠点は仙台にというお考えがあって、ここまで来てくださったのだと思います。こんな状況に、どれほどの労力と時間をかけてくださったのかと思うと、本当に嬉しかったですね。だた、甚大な被害は沿岸部に起きていたので、ここよりまずは沿岸部へと、日頃から親交の厚いラジオ石巻さんをご紹介させていただきました」
ラジオ石巻さんに、トラックが到着したのは当日のお昼頃だといいます。

▼ラジオ石巻「震災時におけるコミュニティ放送の役割」 
http://kokoropress.blogspot.com/2012/01/blog-post_25.html

▼情報は力。「りんごラジオ」と共に山元町の再起をはかる 
http://kokoropress.blogspot.com/2012/02/blog-post_27.html

トラックには支援物資の生活必需品がぎっしり



愛知から駆けつけてくれた「愛知北FM」さん
   (3月17日8:45 撮影/青木朋子さん)






















地域密着、市民参加、防災時災害時の放送を強みにしたコミュニティ放送局の連携は、被災地同士をつなぎ、神戸の体験は宮城へ、宮城の体験が次へと生かされます。
「これからどうやって生きていけばいいのか、あの混乱の中で誰しもがその不安を抱いていたと思います。あのとき我々生きている人間が欲しかったのは、生きていく術(すべ)。
どこのお店が再開した、どのお店にこの商品が置いてあった、乾電池はここで買える、お風呂はここで入れる。一見小さなことでも、こういう情報こそが、ライフラインが停止した時間を模索している人間たちにとって、一番必要な情報と考えていました」

 

現在、青木さんは「がんばろう!仙台、宮城」(末尾参照)という復興情報番組を、鈴木さんと共に担当し、その中で生活関連をはじめとした復興支援情報を発信しています。
震災直後から貼り出された震災報道の心得は、今も尚ブースの壁に貼り出されたままです。

「被災者を元気づけるように放送しよう」と書かれた告示

青木さんは、仙台生まれの仙台育ち。
 あの震災を、目の当たりにして実況しなければいけなかった報道側の心理。それは、想像するだに苦しいこと。目の前で、自分の故郷を破壊されていく現実を、命がのみ込まれていく姿を、感情がぶれることなく報道しなくてはならないなんて、震災時における報道心理というのはどういうものなのでしょう。
「震災後、真っ暗な部屋の中で、家族とラジオを聴いているとき、おそらくNHKのアナウンサーだったと思うのですが、『罪のない人たちが、なぜこんな目にあわなくてはいけないのか』と涙声で話していました。そのとき、その男性アナウンサーの心理が痛いほどわかって、むしろ同業者として救われたような気持ちがしましたね。その人の人間性が、その涙声の一言に凝縮されていたように思いました」


「今、隣にいる人を大切に!」「ラジオはいつも携帯しよう」

-今後はどのような番組を作りたいとお考えですか。

「希望や、前を向いて歩いていこうといった番組も大事だけど、ご家族や家を失い、とてもそんな気持ちになれないといった人も大勢いると思います。自分が復興のスピードについていけず、疎外感を感じて行き詰る人がどんなに多いことか・・・・。私たちは、そういう人たちにも呼びかける放送をしていきたいと思っています。明るく元気にという人ばかりで、自分がもしそうじゃなかったら、私だったらきっと斜めに見てしまうと思うんですよね。
疲れたら立ち止まっていても大丈夫、また歩きだせばいいだけだから、ということを伝えていきたいですね」



ラジオ3復興応援企画番組「がんばろう仙台・宮城」を担当するお二人





過酷な映像を事実としてうけとめるまでの数日間、私はラジオの力を信じ続けました。
上空を飛び回るヘリコプターの音にかき消されないよう音量を上げ、かき集めた具材でキッチンに立った時も、ストーブと懐中電灯の明かりで、家族と食卓を囲んだときも、必ずそこにはラジオがありました。
そしてまた、希望という微かな光を心に灯してくれたのも、ラジオから流れてきた一曲でした。
最後に、私は青木さんがリスナーに贈りたい曲を尋ねました。




*             *              *

私が好きな曲で、震災後何度かかけた曲は
「満月の夕(ゆうべ)」/SOUL FLOWER UNION です。
              

                                      この曲は阪神大震災がきっかけで生まれた曲で、

         震災当日の神戸の夜に満月が出ていた様子が歌われています。

         多くの方を励ました曲で、私も東日本大震災のあと何度となく聴きました。

              神戸のように東北も復興を、という願いを込めて。



 SOUL FLOWER UNION 神戸 長田神社ライブ
                            2008年1月18日、NHKプレミアム10
                                                 You Tube 








(平成24年2月28日 文/momo   写真/佐伯伸一)





【MEMO】                          青木朋子(あおき・ともこ)                             
宮城県仙台市出身 
ラジオ3パーソナリティ
ベガルタ実況中継ディレクター

▼出演番組
「ラジオ3マイタウンレディオ」 
火曜 15:00~17:00
「川柳575便」  毎週木曜 12:00~13:00
「がんばろう、仙台・宮城」
火曜~金曜  14:00~14:45 


☛「ココロプレスメンバー出演」         
  ラジオ3マイタウンRADIO 毎週木曜
  出演予定時間帯 16:20~16:30 

インターネットラジオ「サイマルラジオ」

http://www.simulradio.jp/#miyagi

仙台シティエフエム「ラジオ3」[76.2MHz]                
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TEL 022-213-2323
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   【3.11特別番組】                                                ~地域FM発 希望VOICE~
   3月11日(日)14:00~16:00(イオンモール名取より生放送)
  「コミュニティFM・臨時災害FM局が地域の人にできること」