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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年2月2日木曜日

2012年2月2日木曜日13:30
こんにちは、石巻よりアオキです。
石巻市立町の、復興ふれあい商店街に来ています。
この復興ふれあい商店街は、震災でお店の再開が困難になってしまった街の食品や衣料、家電、理髪店、飲食店などの21店舗が集まり、石巻市立町にて2011年12月10日にオープンした仮設商店街です。




本日は、家電製品を扱う「みなと電化センター」の大森敏枝さんにお話をお伺いいたしました。

みなと電化センターは、もともと石巻市湊にある、街の電気屋さんでした。
2011年3月11日の震災により、自宅兼お店があった石巻市湊には4.2メートルにも達する津波が押し寄せ、1階のお店は壊滅的な被害を受けました。大切な帳簿や、入荷したばかりの春の新作家電、約600万円相当が海水に浸かりました。

大森さんご夫婦は、自宅での生活ができない状況になってしまいました。
震災から2日後の3月14日、山形県に住む息子さんの下で避難生活を過ごすことになりました。
それから間もなく、大森さんに一本の連絡が入りました。
「やっと繋がった。 早く帰ってきて! 電気屋さんがいなくて困っている」
石巻の昔ながらのお客様から、家電製品を求める声があったのです。
3月25日、大森さんは山形の息子さん家族やご親戚の皆さんに協力してもらい、ガソリンや灯油、食品などを揃えられるだけ備え、早速石巻へ向かいました。
石巻では旦那様のご実家である、前谷地での生活になりました。
そこでも、「山形と石巻との往復は大変だろうから、よかったらここで生活しなさい」と優しい言葉を掛けていただき、40日間お世話になったそうです。
5月を迎える頃、空いているアパートが東松島市に見つかり、そこが新たな生活の拠点になりました。

「とにかく、毎日不安でした」
と、大森さん。続く避難生活、行方不明の親族や知人、明日どうなってしまうのか、どうしたらよいのか……不安に思わないことはありませんでした。

6月、季節が夏に向かう頃、大森さんは一つの区切りを迎えていました。
行方不明だったお母様が、大森さんの元へ帰って来てくれたこと。そして、ライフラインが復旧し、元の生活を取り戻そうと、地元石巻の皆さんからの電化製品を求める声が多く寄せられたのです。そうした声に答えるために仕事を再開させたのでした。

もちろん、お店や倉庫などの施設はありませんでしたが、できる範囲で仕事を再開させました。トラックで街を走っていると、“電気屋さんだ!”と、近隣の方々が声を掛けてくださったりと、今までになかったコミュニケーションが生れました。
日々、家電製品を求める声は多くなり、通常の仕事量を遥かに超えるほどでした。しかし、石巻では資材を手に入れることが難しく、こなすべき仕事は山ほどありましたが、なかなか思うようには進みませんでした。少しでも皆さんのためになりたいと、山形県まで資材調達に走ることも少なくありませんでした。

そうした慌しい日々を送っていたある時、石巻立町復興ふれあい商店街への出店希望者を募っているという情報を、友人が教えてくれたのです。

「応募期限の前日に知ったんです。 急いで応募しに向かいました。 お蔭様で間に合い、オープンすることができました」
こうして再びお店を構えることができたのです。

石巻立町復興ふれあい商店街“みなと電化センター”

自宅とお店、そして大切な家族を亡くしてしまった大森さん。慣れない地での避難生活や先の見えない不安に、きっと苦労が耐えない生活だったはずです。しかしこの日、大森さんが私に見せてくれたには、優しくてあったかい笑顔でした。

思わず私は“ここまで頑張れた秘訣はなんだったのでしょうか”という質問をしました。
「一つは、お客様からの声があったこと。 それから、津波から避難するとき、たった一つだけ持って逃げたものがあります。 私の財産です」

大森さんの財産。それは、お店を始めて38年間、毎日積み上げてきた顧客様の情報が入った『メモリースティック』

「これが無かったら、早くから気持ちを切り替え、仕事を再開することはできなかったと思います。 本当にこれだけは……もし失っていたら、悔しくて悔しくて、仕方なかったと思います」

思えば、避難していたときも、石巻へ戻るきっかけになったのも、仕事を再開しようと決心したきっかけも、全て“人”が関わっていたのです。大森さんの財産、それは人との繋がりだったのです。

「誰もが経験のない震災。 そこから受けたショックは、とても大きいです。 今でも、目を閉じると、津波の押し寄せる光景が目に浮かび、忘れられません。 きっと石巻の皆さん、そういった思いを抱いている方がたくさんいらっしゃると思います。 悔しさや悲しさでいっぱい……。 だけれどそれでも現実をきちんと受け止め、無理はせずに、毎日の生活の中から生きる勇気と、ほんの少しでも楽しさを見つけていってほしいと考えています。 人は人によって助けられると思うのです。 近所付き合いや、毎日交わす挨拶、人はほんの身近なことで絆が生まれるのだから

大森さんは、家族や親戚、石巻の知人や友人、昔ながらのお得意様、“人”に助けられたと話してくださいました。

そして、今後の石巻の街づくりの面でも、近所付き合いのある街、お年寄りが住みやすい環境、安心して暮らせる温かみのある街に変わっていてほしいとお話してくださいました。

また、大森さんは
「今回の震災で大変な思いをしたけれども、いろんな人に助けられて、今なんとか美味しくごはんが食べれようになった、近所の方々とコミュニケーションを取って、みんなで笑える時間があるな……、そう思えるような日常を取り戻したときに、初めて復興したと言えるのだと思います」
きれいに片付いていく街と、被災地に住む皆さんの心の元気が出て、初めて復興だと話してくださいました。

「仕事を再開して、始めはなかなかスムーズには進みませんでしたが、2月に入った今、やっと本来の軌道に乗り始めました。 毎日、少しづつでも前へ進めるように努力しています。 またこうしてお店を構えられたことに感謝しています。 後継者である息子のためにも、2年後の復興ふれあい商店街を卒業する頃には、またこの石巻で新しい店舗付住宅を持つことが目標です」

毎日の小さな積み重ねは、後にかけがえのない大きな財産になる。
なんでもない日常の中にこそ、宝物はあるのだと教えていただきました。
大森さんの新しい夢……2年後には、仮設商店街を立派に卒業できるようにと、やさしい笑顔で今日もお仕事に励みます。

“ありがとう”の言葉を忘れず、元気に頑張ります。


(平成24年2月2日)