各家庭で、それぞれお決まりの“ご馳走”があると思いますが、皆さんのお家はどうですか?
我が家、アオキ家ではなんといってもコレ!!
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石巻の老舗、二色餅さんの大福とお赤飯です☆ |
石巻市泉町に本店を構える老舗、「二色餅」さんの大福とお赤飯です♪
実はお赤飯が苦手なアオキ。ですが、二色餅さんのお赤飯だけは食べられるのです!!
大福ももちろん、もち米から作られた正統派。本当に美味しいんですよ。
震災前は北上川に程近い、石巻市中央1丁目にお店があった二色餅さん。
2011年3月11日の震災で被災しました。
しかし、2011年の年末に営業を再開したという話を聞き、早速お話をお伺って来ました。
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お店は鮮やかな赤・白・黒で配色されたおしゃれな雰囲気。 |
お話を聞かせてくださったのは、二色餅の西川暎氣さん、奥様の亜月子さん。創業から約80年の老舗の三代目。とっても明るく、気さくに迎え入れてくださいました。
震災直後、西川さんご家族は素早い判断で高台へ避難し、全員無事でした。
夕方雪が降る中、石巻市門脇に住む親戚や中央1丁目のお店が心配で情報を求めて歩いたと暎氣さん。
そこで思いもよらない言葉を聞きました。
「二色餅さん、建物ないよ」
津波で水が上がっていたため、その日のうちに確認することはできませんでした。
翌日、西川さんが目にしたものは変わり果てた景色。
石巻の街に慣れ親しんだ老舗「二色餅」の建物は、土台だけを残し、機械類、バイクなどすべて流されてしまいました。そこには船が3艘、車、荷台が流れ着いていたのです。
震災でお店を失ってしまいました。しかし、2011年4月、西川さんご夫婦にある依頼がきたのです。
「石巻で石原軍団が炊き出しを行ったんです。 一週間の間、そこで作る側として一緒に参加しました」
西川さんご夫婦は、鹿嶋神社の方から声がかかり、炊き出しに協力しました。
「“もともと店やってたんだがら、手伝いしたらいっちゃっ”って、声をかけてもらえたのがきっかけでね。 毎食1500食分のカレー・とん汁・天ぷらうどん・やきそば・おでん・サラダ・ぜんざいを作っていました。 石原軍団の方々と共に参加できて、本当に楽しかったんです! 調理器具はプロ仕様のきちんとしたもので、高島屋レストランからシェフが来ていました。プロの方々と共に働けて、震災のことを忘れて久しぶりに仕事の楽しさに夢中になれたことを覚えています」
と、亜月子さん。
「炊き出しを行って、たくさんの方が食べに来てくれて、人とふれあって……そうした街の人とのふれあいに、中央1丁目のお店で仕事をしていた頃の感覚が蘇ってきましたね」
と暎氣さん。
「一週間が過ぎ、炊き出しでいらっしゃった方々が帰られる時は、名残惜しい気持ちでした。 皆さん、すごく良い方々でしたし、何よりも自分達が楽しく、夢中になって活動できたから」
炊き出しの活動に参加し、石原軍団・一流シェフの本格的な仕事ぶり、久しぶりに夢中になれる感覚、お客様とのふれあい……せかされる気持ちを感じたのと同時に、お店を再建させ、早く仕事がしたいという気持ちが固まったきっかけとなりました。
一から新しい機械類を揃え、建物の工事に少し時間は掛かりましたが、2011年12月4日石巻市鋳銭場の駅前店、12月7日石巻市泉町に本店をオープンさせることができました。
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石巻市泉町の二色餅本店。 |
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お馴染みの大福と、私が大好きなお赤飯も並んでいます。 |
「12月4日の駅前店開店当日、午前1時から作業を始め、1000個用意しました。 雪が降り、突風が吹く寒い中、開店1時間で完売する大盛況になりました。 友人も開店の手伝いをしに来てくれて、駆けつけてくださったたくさんのお客様の姿をみて……温かみを感じられました」
開店時には記念品と、お雑煮のサービスもありました。即完売という大盛況ぶりは、二色餅さんが石巻の老舗として、たくさんの方々に愛され続けてきた表れそのもの。12月7日の本店の開店時も、用意したお餅は全て完売しました。お客様との久々の再会や、連絡が途絶えていた方々の安否確認も取れました。
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お餅をつく臼、かまど、あんこの製造機を見せていただきました。美味しいお餅はここから生まれます。 |
「お正月のお餅の注文が殺到し、日々の注文もあり、お蔭様で忙しくさせていただいています。 本当にありがたいことです」
一日の睡眠時間が1~2時間しかないこともあります。
けれど、周りの皆さんからいただいた応援や、やさしさに感謝の気持ちでいっぱいだと話してくださいました。
仕事をできる喜びと、久々のお客様とのふれあいに嬉しさがこみあげてきたとおっしゃいます。
「営業を再開するまでは、正直不安に思うこともありました。 営業再開したところでお客様が来てくれるのか。 準備に時間がかかり、思うように進まないこともありましたので、いつオープンできるのかと……しかし、そうした時間も、改めてこれからどうするかを考えるとても良い機会になりました。 営業再開の問い合わせの電話があったり、応援の声をいただくことも多くありましたので、随分と励まされました」
と暎氣さん。
亜月子さんも、
「被災当時も隣近所からなべや茶碗を貰ったり、食べるのに困っていた時に“プロパンガスなら使えるよ”と、教えてくれた方もいました。 子どもが通う石巻小学校のPTAにも参加しているのですが、そのネットワークで情報交換をしたり、それぞれあるものと無いものを物々交換したりもしました。 町内会からも物資をいただいたりして…… そうした困ったときに助けて貰えたことが嬉しかったですね」
と、被災しながらも協力し合い、補い合いながら生活ができたこと、そんな人と人との繋がりに、心の底から嬉しかったと話してくださいました。
12月中旬、石巻市立石巻小学校から「長崎県雲仙市立千々石第二小学校児童会から義援米をいただいたので、お餅に加工して欲しい」という依頼があり、紅白350セット、全校生徒分の大福餅を作りました。
また、全国各地からも「応援しています」と、お餅の注文と励ましの声が今でも多数寄せられているそうです。
「石巻の方々はもちろん、新聞やテレビでの報道を見て全国各地から連絡をくださる方も多く、本当にありがたく思います。 そうした応援をいただいている分、自分たちも頑張らないとと思います。 頑張って、元気な姿を見せることでたくさんの支援の恩返しをしなくちゃ。 人間、仕事をしなくちゃ駄目だね!! 最後は自分の足で立たなければ!!」
お店の再開を喜び、泣きながら電話をしてくださった方もいらっしゃったそうです。
石巻の復興を盛り上げるためにも、自分の力で立ち上がる努力をするべきと話してくださいました。
そんなやる気マンマンの二色餅さんには、今後、始めたいこともあります。
「食堂も再開させたいんです。 “あのラーメンが食べたい”と、嬉しいことによく声を聞くので。 それと、わざわざ遠くの仮設住宅からお餅を買いに来てくださる方もいらっしゃるので、仮設住宅への出張販売なども考えています」
震災後のニーズに対応した、今後の新たな取り組みにチャレンジしていきたいそうです。
「お店を再開させたからといって、それがゴールではありません。 これからが本当の勝負です」
と、暎氣さん。
食堂を再開させた暁に使おうと、配達用のバイクも準備しました!!
立ち上がるための努力と、探求心の忘れない、前向きな心の西川さんご夫婦でした。
取材している間も、本当に元気で明るいお2人。
笑いと笑顔が耐えなく、たくさんのエピソードを快く話してくださいました。
食べると思わず笑顔がこぼれる美味しい大福の秘密は、作り手である西川さんご夫婦にあるように思いました。
人間として、大切なもの。感謝の気持ちと、人を思いやる心、自立する気持ち、そして惜しまない努力。
西川さんご夫婦は、それを仕事を通して、楽しみながら見つけ出しています。
まだまだ震災の傷が癒えることは難しいことかもしれませんが、こうして前向きに捉えることから始めるだけでも、今後の一歩が大きく変わってくるのかもしれないとアオキは思いました。
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右から西川暎氣さん、奥様の亜月子さん。自慢の大福に、応援してくださった皆様への感謝の気持ちを込めます。 |
二色餅
石巻市泉町1-7-6(本店)
石巻市鋳銭場3-14(駅前店)
電話:0225-22-5340
(平成24年1月17日)