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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2012年1月25日水曜日

2012年1月25日水曜日15:50
ライフラインが一斉に機能しなくなった3月11日宮城県。
未曾有の大災害に現実を現実として受け止めることができぬまま立ち尽くしていた時に、唯一の情報源は「ラジオ」でした。
乾電池をかき集め、一体ここ宮城で何が起こったのか、巨大津波、孤立、火災、寒波、膨れ上がる被害者の数・・・耳をふさぎたくなるような事実であっても、現実を映像として認識するまでに、ラジオから聞こえる緊迫した声だけが、自分をこの現実と世界に繋ぎ止めてくれた唯一の情報ツールでした。


今年開局15周年を迎える「ラジオ石巻」は、
阪神淡路大震災の翌年、この石巻に開局されました。
甚大な被災体験を元に、いずれこの東北を襲う“宮城県沖地震”を視野に入れて。

「開局14年目にこのような状況に陥ったということは、本当に必要で建てられたラジオ局なんだなと実感しています」

そう話してくださったのは、ラジオ石巻・営業部長兼技術部長である今野雅彦さん。
詳しいお話をお伺いに、石巻市鋳銭場にあるラジオ石巻をmomoとアオキが尋ねて来ました。


2011年3月11日、電気・ガス・水道とすべてのライフラインがシャットダウンされ、誰もが経験のない被災体験をしました。そんな中、唯一の情報源としてラジオ石巻は稼動し続けていました。


「震災直後は、尋常じゃない揺れでした。 停電中でも石巻のリスナーにちゃんと電波が届いているか気になり、駐車場に停めていたマイカーのエンジンをかけ、自局ラジオ石巻の放送が聞こえるか確認しました。 ラジオから仲間のアナウンサーたちの声で津波から避難するよう安全を促すアナウンスが聞こえてきたのでひと安心」


「停電が長引くと判断しました。 自家発電機を準備し、いつでも常設電源から繋ぎ替えられる準備をしましたが、燃料の量が心もとなく、今日どこまで放送できるか、夜まではもたないかもしれないという状況でした。 そこから、周囲の企業や個人の一軒一軒にお願いしながら、ラジオ放送を絶やさないためにガソリンを集める活動を行いました」

その夜は吹雪。しかし、こうした今野さんの働きで、なんとか翌日までもつ分の燃料を集められました。


「だいぶ市民の皆さんに協力していただけました」
と今野さん。
しかし、3月11日の夜7時過ぎ、日和山にある電波を発射する送信施設の電源トラブルにより、放送が中断してしまったそうです。復旧活動は長引き、ようやく放送が再開されたのは3月13日のお昼頃のことだったということです。



一方、ラジオ石巻には、常にリアルタイムにリスナーからのメールが届いていました。
『今屋根の上にいます。 浮いている状態で、たまたま部屋にあったラジオを頼りにメールしています』
『目の前で人がどんどん流されています』
『火が迫って来ています』



「“原文のままお伝えします”と、ただ読み上げることしかできなかったです。 読み上げていくうちに、地区ごとの状況が見えてくるんです。 きっと、聞いていた方々にも見えてきていたと思います」


真っ暗で余震が続く中、アナウンサーの方は「自分がパニックになってしまうとさらに混乱してしまう」と、気持ちを抑えるのに必死でした。
今野さんは、小さな灯り一つでラジオ放送を繋げていたことを、とても鮮明に覚えていらっしゃいます。


震災を通し、必要性を改めて認識されたラジオ放送。伝える側としてどのようにお考えですか?と、お伺いすると、

「当たり前のことをやっていただけなんです。 こうした災害時に情報源として頼りにされてきたのがラジオ。 それを若い世代の方々に広めていくための努力として、若い方たちも楽しんで聞いてもらえるような放送内容にしていきたいですね」

「今後復興し、また同じような苦しみが起きてしまってはいけないので、一つ一つ検証しながら記録に残し、最新の情報を集めて発信していく役割だと思っています。 最近、防潮堤の高さが決まりましたが、情報量の高さは無限です。 そこを高くする取り組みとして、いろんな連携を取っていきたいと思います。 そんな連携から生まれたのが“おらほのラジオ体操プロジェクト”だったんです」


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「おらほのラジオ体操プロジェクト」
このプロジェクトは、東日本大震災の被災地への復興支援プログラムとして、株式会社マッキンヘルスケアワールドワイドジャパン(東京都港区)が企画立案しました。「お国ことばでラジオ体操」をキャッチフレーズに、石巻日日新聞社、ラジオ石巻他とともに、その第一弾として「おらほのラジオ体操第一」をプロデュースしました。本間秋彦さんは、このプロジェクトにボランティアで参加しています。  
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▼「おらほのラジオ体操プロジェクト」本間秋彦さんインタビュー by momo
http://kokoropress.blogspot.com/2011/12/blog-post_28.html


写真右から、今野雅彦氏、石巻亀山市長、本間秋彦氏(おらほのラジオ体操贈呈式にて)

そう、以前ココロプレスでご紹介いたしました、本間秋彦さんの声で始まるユニークなラジオ体操『おらほのラジオ体操プロジェクト』 
「本間さんでなきゃ次誰いる!? て、感じに自然と繋がっていったんです。 本間さんのキャラクター、声の雰囲気もぴったりですよね。 石巻弁には秘めてるものが多いと思います。 どこか温かみみたいなものがありますよね。 今、日本全国暗いムードになっていますし、日本国民が一体になれるものって、あんまり無いじゃないですか。 もしこのラジオ体操が全国的に広がっていってくれて日本国民が一体になれるとしたら、うれしいです」


「おらほのラジオ体操」贈呈式の様子。和気藹々とした雰囲気です。



動画を見ながら、思わず笑いがこぼれます。

「漁師さんって、常に命の危険と隣り合わせじゃないですか。 漁は自然に左右され、競争もあり、待ってくれている人もいるわけですし、海の上ではきっと大変なプレッシャーなのではないんでしょうかね。 だから帰ってきて陸に上がる時が、海の上の緊張感が解きほぐれる瞬間なのではないのでしょうか」
と、ユーモアと温かみを兼ね備えた石巻弁のルーツ、そして沿岸部の方々の元気の良さについてお話してくださいました。

全国からの反響も多数寄せられ、CDの販売枚数は2000 枚を超えました。(2012年1月25日現在)
今でも全国からの問い合わせの電話やファックスが絶えないそうです。復興支援の形として、新しい角度からの取り組みとなりました。


「ラジオ体操って、だれでも参加できるもので、一度はやったことのあるものですよね。 まだまだ震災の落ち込みから抜け出せない方も多くいらっしゃると思いますが、できるタイミングで、いつでも、誰でもやってもらいたいですね」
と、このプロジェクトからなる復興への弾みに期待しています。


震災の爪跡が残る石巻。 
目には見えませんが、人の心もまだまだ完全復興には程遠くにあります。
焦らず、譲り合うやさしい気持ちで支えあい、少しづつでも前向きになっていけたら。
今野さんのお話を聞いて、アオキは思いました。 
温かみとユーモアを兼ね備えた石巻弁に慣れ親しんだ石巻人だからこそ、きっと心の強さも持ち合わせているはず。今野さんは、石巻人としての誇りを話してくださいました。


2012年3月11日、ラジオ石巻では、石巻市の「合同慰霊祭完全実況生中継」を行う予定です。
より良いラジオ放送を繋いでいくために、今日もラジオ石巻は地元の『声』をお届けします。



(平成23年1月25日)   
                        
石巻コミュニティ放送株式会社
〒986-0826 
宮城県石巻市鋳銭場3-19 秋田屋ビル3F
TEL:0225-96-1010(代) FAX:0225-96-1022
URL http://www.fm764.jp/

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