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宮城県復興応援ブログ ココロプレス

「ココロプレス」では、全国からいただいたご支援への感謝と東日本大震災の風化防止のため、宮城の復興の様子や地域の取り組みを随時発信しています。 ぜひご覧ください。

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写真 「19年連続 生鮮カツオ水揚げ日本一」に向けて、気仙沼では生鮮カツオ水揚げが順調です。「今年はとりわけ脂が乗っている」と関係者の表情もほころんでいます。
2015.7 ~宮城県震災復興推進課~
2011年12月12日月曜日

2011年12月12日月曜日9:54
こんにちは。石巻より、アオキです。

震災以来、日和山から出張できてくれる「とこやさん」がいるという話をきいて、お話をお伺いに行って来ました。
元は石巻市中央1丁目にお店があった、飯田理容室の飯田實さんです。



震災の日、地震で足の踏み場もないほど荒れ果ててしまったお店の中の様子、硬いはずの道路のコンクリートが歪んでいるのを見て、

「これは尋常ではない。 震源が近い。 津波も来るかもしれない」

飯田さんはそう思い、避難するための車を取りに行きました。
その時、北上川の船がなぜか沖の方に強く流されているのが目に入りました。
お店に戻って奥様を車に乗せようとしたその時、先ほどとは逆に北上川の船が川の上流に、より強く流されて行くのが見えました。
同時に背後から波が押し寄せて来ました。
飯田さんはさすがに焦ったとおっしゃっていました。

飯田さんは奥様と車に乗り込み、「津波だ! 逃げろ!」と、大声で叫びながら、津波に背中を追われ、必死に高台へ避難したそうです。


「あと10秒遅かったら…」と、今思い返しても怖かったと、津波の話を聞かせてくださいました。


翌日、お店に戻った飯田さんが目にしたのは、建物ごと傾いたお店に20~30センチも積もったヘドロ。
ヘドロの中には魚が埋もれ、3メートルもの高さまで水が来た跡がくっきりと残っていたお店の姿でした。
飯田さんは、思いも寄らなかった事態に、すっかり頭の中が真っ白になってしまったそうです。


日和山にある自宅も損壊してしまった箇所がありました。余震が続く中、安心して過ごせないという奥様を石巻高校へ避難させ、飯田さんは自宅で留守を守って避難所と自宅を行き来する生活が続きました。


ある時、石巻高校に避難していた方々をまとめるリーダーの方の散髪をして差し上げたそうです。

それがきっかけとなって、手作りの飯田理容室が再開されました。




「飯田理容室」。
ダンボールで作られた、ぬくもりの感じられる看板は避難していた小学生の女の子が手作りで作ってくれました。


その後、4月も末頃になってから自宅へ戻って生活を始めた飯田さんご夫婦は、オーダーの入った方の元へ出張して散髪をする、飯田理容室を始めました。


「仕事を再開させようと毎日情報を求めに市役所に通いながら、一度はお店のリフォームを考えましたが、早めに手を打ちたいと思って」
と、飯田さん。


創業約110年のお店を継いできた3代目として、家業を絶やさぬようにと、できることから仕事を再開させました。

今後の見通しははっきりしていません。
でも、お店を継ぎたいと言ってくれている娘さん夫婦とお孫さんが、どのように繁栄していくのかを、
そして今後の石巻を、
長い目で見つめていきたいと話してくださいました。


飯田さんは、石巻が漁業で繁栄した秘密や、港町としての石巻の歴史などをたくさん教えてくださいました。

とても楽しそうに話してくださる姿を見て、海や川に親しんできた石巻を、心底愛していらっしゃるという姿が見えたように思いました。


石巻の歴史について、お話を聞きながらの散髪。
他では味わえない貴重な時間が過ごせそうです。
その歴史の深さに、石巻を見る目が変わりました。


(平成23年12月12日)