山元町に行ってきました。
new-Tです。
津波のせいで一面の荒野になったような田んぼや畑。
そのただ中に渡辺正俊さん(70歳)がいちごを栽培するハウス(通称畑合ハウス)があります。
3月11日当日、渡辺さんは仙台市の宮城県庁で会議中でしたが、地震のため会議は中止。5時間かけて山元町に帰ってきました。
途中、一緒にいちご栽培をする息子さんと連絡がついたのですが、8メートルほど高さがある防潮林を越えて津波が襲ってきたことを聞きます。
「ああこりゃ大変なことになったな。」
しかし、その日は自宅への立ち入りは出来ませんでした。
大体が会議に出席したため、作業着や長靴など現場に行く態勢でもなかったのです。
そして、海岸から400メートルほどの所にあったいちご畑は津波で流失。
築10年の自宅も家屋は流されなかったものの、家財道具や位牌、作業で使っていた2トントラック、軽トラック、ワゴン車などすべて流されてしまいました。
いちごを初めて35年の渡辺さんは、しかし、負けませんでした。
畑合地区のご自分の田んぼに土盛りをし、ボランティアの方々の協力を得てハウスを建設。約2カ月かけて10月初旬に高設ベンチ式の栽培器具を完成させました。
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1500㎡、70メートル×5.4メートルのハウス4棟は壮観です。 |
10月17日に植え付けされたいちごは取材した段階ではまだ花が咲いたばかりです。
例年11月頃には出荷するいちごも今年は震災のせいでこのいちごが食べられるのは来年になります。
渡辺さんはこのハウスで初めて採れるいちごを、これまで支援してくれたすべての方々に「ごっつぉ」したいそうです。
渡辺さんの心配は風です。
雪の重みには耐えられても、ハウスは風には弱いそうです。
「後ろばっかり見ていてもしようがないし、前を向いてやっていくさ。」
渡辺さんから、わたしは逆に励まされました。
大変です、確かに。
しかし、渡辺さんはその大変な人生の荒波をサーファーのように軽く波乗りしていくのでは?
そんな想像をしてしまいました。
渡辺さん、息子さんと父子鷹ですね。
これからも震災に負けなかった美味しいいちごを作ってください。
(平成23年12月22日)